Monday 15 September 2014

秋の北海道で

ぼくがもっとも尊敬する現代美術家のひとりである岡部昌生さんとの、二つのトーク・イベントにお招きいただきました(福島県立博物館を中心とする「はま・なか・あいづ文化連携プロジェクト2014」の一環です)。

13日(土)は大通り公園のはずれにある瀟洒な札幌市資料館での「札幌で語る<近代>」。佐藤友哉さん(札幌芸術の森美術館長)および岡部さん、港千尋さんとぼく。フロッタージュによる歴史記述者である岡部さんのお仕事を出発点として、近代という枠組のはじまりと終わりについての、大変に刺激的なディスカッションになりました。

14日(日)は「北海道・福島/炭鉱・アート」が主題。まず、その会場に打たれました。三笠市にある旧住友奔別(ぽんべつ)炭鉱。廃され赤く錆びた姿をさらす縦坑のやぐらを見学したあと、石炭積出ホッパーと呼ばれる巨大な建物の廃墟に展示された岡部さんの100メートルにおよぶ作品を前にしてのイベント。渡邊晃一さん(美術家、福島大学教授)と岡部さんの対話ののち、吉岡宏高さん(炭鉱の記憶推進事業団理事長)のきわめて的確なこの場所をめぐるお話をうかがい、さらに港くんとぼくが加わって、エネルギーと近代、福島と北海道をめぐる話を発展させていきました。

すでに秋の北海道が、その土地が、いろいろな考えを強いてきます。近現代という時代の非情さとさびしさの影にあるものを探りながら、ヒトとその技術がはらむ問題、ヒトという種と他の生命たちの関係を、これからも言葉にしなくてはなりません。

次は11月の「動物のいのち」シンポジウム。




Tuesday 9 September 2014

『ちくま新書ブックガイド』

ちくま新書の創刊20周年を記念するブックガイドが発行されました。この新書の中から「印象に残る1冊」を116人の人たちが選んでいます。

ぼくは服部文祥さんの『サバイバル! 人はズルなしで生きられるのか』を選びました。

おもしろいもので、どの本を選びどのように紹介するかで、選者の人柄などもなんとなくわかってきます。読みたくなる本がたくさんあって困りますが、特にいまの興味からいってすぐにでも読みたいのは

山下祐介『東北発の震災論』(選者は鎌仲ひとみさん)
山下祐介『限界集落の真実』(山内明美さん)
松戸清裕『ソ連史』(黒田龍之助さん)
国分良成『中華人民共和国』(塩沢英一さん)

あたりでしょうか。評の中では、中条省平さんの『<狐>が選んだ入門書』評が、とりわけ心に残りました。

ともあれ、大変に刺激的ないい小冊子ですので、今後書店で見かけたらぜひもらっておくことをお勧めします!「定価0円」です。あの知る人ぞ知る、知らない人はまったく知らない、高品質リトル・マガジン『北と南』の編集長・河内卓の仕事みたいです。


Saturday 6 September 2014

『三角みづ紀詩集』

思潮社・現代詩文庫206として『三角みづ紀詩集』が刊行されました。ぼくは福間健二、池井昌樹、野口あや子のみなさんとともに、解説エッセーを寄稿しています。

この刊行を待つ間に、みづ紀さんの昨年の詩集『隣人のいない部屋』が萩原朔太郎賞を受賞したとの発表がありました。おめでとうございます! それはまさに詩人・三角みづ紀の最大の転回点を記す詩集。その現在地を視野に入れて、現代詩文庫も、お読みください。

ぼくのエッセーは「スロヴェニア作用」と題されています。静岡、スロヴェニア、小さな旅を彼女と共有し、彼女の変貌をまのあたりにすることができたのは、ぼくの大きな幸運でした。

『知の現在と未来』(岩波書店)

岩波書店創業百年シンポジウム『知の現在と未来』が書籍となって発売されました。昨年11月、明治大学を会場として行なわれたシンポジウムの記録です。ぼくは初日の司会・進行を務め、広井良典さんの基調講演のあと、高橋源一郎さんおよび長谷川一さんとのディスカッションに参加しました。

「資本主義と国家」を主題とする柄谷さんたちの二日めに対して、われわれの初日のテーマは「大学と出版」。限られた時間であまりに多くの論点が出て、十分な議論にはなりませんでしたが、ある範囲内で、知の変容の現状を話し合うことができたのではないかと思います。

ぼく自身は、遠からず大学(いまあるかたちでの)は消滅していくと思いますが、大学であろうがなかろうが「シーンを作り出すこと」の重要性は変わりません。「セノポイエーシス」という、われわれディジタルコンテンツ系の合言葉は、これからもいつまでも創造への鍵を握るでしょう。

答えのない問いの書。そういうものとして、読んでみてください。

「旅きり」22回

「すばる」10月号で連載「旅ときりぎりす」も第22回。2年間24回の連載もあと2回です。

今回はアオテアロア=ニュージーランド北島太平洋岸の「ギズボーン」。大好きな町のひとつ。ぜひごらんください!

アルバニアで朗読会

3日、アルバニアの首都ティラナのカフェ Woodstokで単独朗読会を開いてもらいました。東日本大震災以前の作品、以後の作品のいくつかを、ぼく自身による英訳(うち2片は日本語原文)、Belfjore Qose によるアルバニア語訳で交互に朗読。およそ70名のお客さんが集まってくれて、その後のQ&Aもすごい熱気でした。ぼくがクリームが好きだというと、ただちにWhite Room をかけてくれたり、お店のホスピタリティも完璧。ラテン世界の辺境、鎖国社会主義の国というイメージしかなかったアルバニアですが、その美しさ、人々の温かさ、センスのよさ、やる気、あらゆる面で感動の連続でした。

当然、また行きます。来年も。すばらしい経験でした!

ところでぼくの子供時代(中1のころ)さかんに飛び交っていた言葉が「アルバニア型決議案」。その後の台湾と中国の国際的地位を決めたキーワードでした。いまの自分の台湾との関係の深さを思うと、感無量です。歴史。知ろうとしなければわからない、知らなければ土地のことは何もわからない。第2次大戦以降の歴史について、これから真剣に勉強しなおすつもりです。

Friday 5 September 2014

スロヴェニア語訳の出版

スロヴェニアの古都プトゥイでの国際フェスティヴァル「詩と葡萄酒の日々」に、2012年につづいて参加しました。

主な目的は完成したばかりのスロヴェニア語訳日本現代詩集について語ること。

この大きな詩祭では毎年、その年のテーマ国があり、2012年は日本年。福間健二、野村喜和夫、和合亮一、三角みづ紀さんとぼくが参加し、スロヴェニアの現代詩人4名との相互翻訳のワークショップを行ないました。昨年はこの4人が来日し、ワークショップを続行、そして明治大学と神戸大学で朗読会。

今回の詩集は上記の5名+2013年の日本代表・橘上、14年の石田瑞穂のおふたりを加えた7名の作品のスロヴェニア語訳をまとめたものでした。女性がみづ紀さんだけとは少なすぎますが、まずは興味深い内容で、すでにヨーロッパの多くの人々の関心を惹いています。

今回はぼくと瑞穂さんがこの詩集について語り、同時に詩祭で福島の現状をめぐる写真展を開催した赤阪友昭さんをまじえて、会場のみなさんとのディスカッションのセッションをもちました。活発な議論。

春の「見えない波」でも感じたことですが、ヨーロッパ(チェルノブイリと地続き)ではことのほか福島に対する関心が高いようです。そして、オリンピック誘致のために「福島の状況は制御下にある」と平気でいったわれわれの恥知らずな首相がいかに嘘つきであるかは、改めていうまでもなく、すでにヨーロッパでも誰もが知っていることになってしまいました。つくづく情ないことです。

書名はNovi svet (新世界)。この「新」にこめられた意味を、いつまでも問い直す必要があるでしょう。