Sunday 31 January 2010

カリフォルニアで詩を読む

金曜日、土曜日と、スタンフォード大学でのイベントTrans-Poetic Exchangeに参加しました。

中心的主題は、メキシコの詩人オクタビオ・パスの野心的な(マラルメ的な)傑作Blancoと、ブラジルのポエジア・コンクレータ運動の中心人物だった詩人アロルド・ジ・カンポスによるそのポルトガル語訳Transblancoをめぐる議論。コーディネーターはスタンフォード大学のブラジル文学者、マリリア・リブランディ・ローシャ。

大きく分けて、研究者・批評家たちによるシンポジウムと、パスに共鳴する詩人たちの朗読という構成。シンポジウムにはアメリカのマージョリー・パーロフやブラジルのルイス・コスタ・リマといった大物批評家たちが集まり、20世紀の詩の歴史の本質にふれる議論がくりひろげられました。(ちなみにパーロフは、ロブ・ウィルソンと並んで、ぼくの文章を引用している数少ないアメリカのメジャー批評家。)

そして金曜日の夜、ブラジルのヴィジュアル・アーティスト、アンドレ・ヴァリアスが準備してくれた映像に載せて、3人の詩人の朗読会が、大学内のピゴット劇場で開催されました。

朗読は、ぼく、ブラジルの詩人=哲学者アントニオ・シセロ、そしてアメリカ現代詩の長老であり「エスノポエティクス」という言葉の産みの親でもあるジェローム・ローゼンバーグの順。ひとり20分弱の持ち時間でしたが、かなり熱い夜になりました。

ぼくが読んだのはWALKING展で展示した7編のうちの6編。佐々木愛さんのドローイング、そしてぼくの青森写真をスライドショーで見せながら、各編ともまず日本語の原文を読み、それから4編は英訳、2編は南映子さんとぼくの共訳によるスペイン語訳を読みました。

はたしてぼくの詩が受け入れられるのかどうか不安だったのですが、さいわい(少なくともパスの読者である人たちには)かなりの程度まで言語の差を超えてストレートに伝わる雰囲気があったようす。ブラジルの批評家ジョアン・アドルフォ・ハンセンは、ポルトガル語訳の発表を申し出てくれました。

パフォーマンスのしめめくくりだったジェローム・ローゼンバーグの強烈さには及ぶべくもないけれど(彼の炎に拮抗するのは日本では吉増剛造さんだけでしょう)、ともあれバイリンガル「詩人」として舞台に立つことを果たせて、ぼくとしては新たな出発という気分。これからも詩の「研究者」と「実作者」という両方の側から、できるかぎりの言葉の仕事にとりくみたいと思います。

一夜明けて今日は、ブランチをとりながらの詩人たちのラウンドテーブルに批評家たちが加わって議論をするという趣向。リラックスした中にも火花が散る、おもしろい場が生じました。ぼくは西脇順三郎からアルザスの二言語詩人イヴァン・ゴルにふれ、ついでパスにおける自然力の介入について話し、また年来の持論である「エスノポエティクスこそ60年代のアメリカに甦ったシュルレアリスムの別ヴァージョンだ」という話をしました。パスと親しかったキューバ系アメリカ人のエンリコ・マリオ・サンティやジェローム・ローゼンバーグが、強く共感してくれました。

その後、雑談に流れ、マージョリー・パーロフとはミシェル・レリスのすばらしさについて語り合うことができました。ある一点で話がわかる人は、やはり別のどこかでもストレートに話が通じるもの。彼女は、まるで小学校の先生のような気さくなおばちゃんですが、まぎれもない大批評家です。

ところで今回の参加の機会を作ってくれたのは、古い友人の石井康史くん(慶応大学)。スタンフォードでラテンアメリカ文学の博士号をとった彼の人脈のおかげです。ありがとう、確実に新しい経験といえる、すばらしい2日間だったよ! いまは病床にある彼の、一日も早い恢復を祈っています。

それにつけても、たった2日間のためにブラジルから、バルセロナから、日本から、アメリカ東海岸から、これだけの人に旅費・宿泊費を提供できる大学の財政力に、恐ろしいものを感じた。しかも、毎週のようにいろいろな学部・学科で、この程度の催しがあるわけだから。大規模なイベントはむりでも、せめて年にひとりでも外国の詩人を招いて、2週間くらい滞在して自由に日本を体験してもらうような制度を作れないものかな。滞在のための「義務」などというケチなことはいわずに。

大学に頼ることもできないので、いつかダイヤモンドの鉱脈を掘り当てたなら、そんな基金を作ってみたい。