Thursday 30 April 2009

楽しいゲスト

きょうのゼミと授業(「コンテンツ批評」)に、外部ゼミ生に登録した志村さんがひょっこり訪ねてきてくれた。もちろん初対面なんだけど、そんな気もしない。2コマ連続で参加してもらい、おかげで学生のみんなにもいい緊張感。それぞれのショート・プレゼンテーションがもりあがっておもしろかった。

木曜日は基本的に午後ずっとアキバにいます。ただし今日みたいに、まず映画館に出かけている場合もあるので、参加希望の人は事前に確認してもらうのが無難ではあります。外部ゼミ生のみなさん、よろしく! きっと全員にとって楽しく刺激的な場になります。

『子供の情景』

岩波ホールで『子供の情景』。あの天才サミラ・マフマルバフの妹ハナ・マフマルバフ。やっぱり驚異の天才でした。

1988年9月3日生まれの彼女が18歳のときに撮ったのがこの作品。ターリバーンによりあの巨大な石仏が破壊されたアフガニスタンのバーミヤン、子供たちの遊びは......。冷厳な筋立てが、非情なまでに乾いた美しすぎる風景の中で進行する。完成された、すきのない想像力。すでに巨匠の風格をたたえています。

バクタイ役の少女の顔が、すごい。泥まみれのアッバスとともに、けっして忘れられない顔。まいりました。

『ソラニン』

おくればせながら、『ソラニン』。これにはじんわり感動。ストーリーについては絶対に話せないが、物語作法上の禁じ手をおかしつつ、その「なぜ?」に読んでいるほうも全面的にまきこまれてゆく。

最初から描かれている風景があまりに目になじむ。あ、和泉多摩川か。

ソラニンというとじゃがいものあの毒成分をだれでも思い浮かべるが、そのうち「空耳」のような「空人」があるのかと思えてきた。

作者は1980年生まれ。明治でぼくが最初に受け持った学生たちと同い年だ、たぶん。アジア各地を旅しては写真を撮っていたアキラは、驚くほど短期間でみるみる写真がよくなっていったが、それを仕事にする道はめざさなかった。人なつこいおじいちゃん子のコバは卒業後もときどき連絡をくれた。年賀状の返事書かなくてごめん(今年は誰にも出さずじまい)。パイロットになるといってた神谷は、アフリカ、アメリカを迂回してほんとにその夢を果たした。おめでとう。途中で大学を辞めたコーサクは、たったひとりで各地でがんばって、その後何年かかけてカナダの大学をぶじ卒業した。えらかった。3年から地元関西の大学に転入していったユキムラさんは、その後どうしているだろう。

(かれらのクラスは英語の授業だったが、2000年の総合文化ゼミナールは「オートポイエーシスとアフォーダンス」だった。そのときは3人しか学生が集まらなかったけど、そろそろまたとりあげてみようかとも思う。)

世代には世代の表現あり。でもヒトの考えること感じることは100年や1000年では変わらないので、われわれはおなじような物語をいつまでも読み、いつでも泣く。浅野いにお。他の作品も読んでみよう。

Wednesday 29 April 2009

アーティスト・ファイル2009

おくればせながら国立新美術館で。さすがに充実している。特に彫刻。大平實の廃材利用、村井進吾の黒御影石は、それぞれ木と石の「やわらかさ」にぞくぞくする。

石川くんの写真は、でっかいプリントで見ると写真集よりいちだんといい。何かのまちがいで儲かったら、いつかオリジナル・プリントを購入したいもの。

金田実生の作品では水溶性クレヨンと鉛筆だけで描かれた「冬の呼吸」に見とれた。津上みゆきは色遣いにより自分がまったく別の反応をしめすことに、むしろ驚く。絵も結局は画面と見る者とのインターフェイスでどのようにでも変わるわけか。

ペーター・ボーゲルスのビデオで眠る少女の(別々の日付をもつ)顔が、一瞬の目覚めでシンクロするところに、クリス・マルケルの「展望デッキ」のあの有名なまばたきのシーンを100倍に増幅したスリルを感じた。

川村記念美術館にロスコを見に行きたいが、なかなか行けず。連休も苦しい。

大洞敦史の36冊

外部ゼミ生、大洞敦史くんの36冊です。まだこれから変わるかもしれません。著者名、書名、(訳者)、出版社、出版年の並べ方は、この形式にそろえてください。各カテゴリー内の並びは順不同でかまいません。まずは、みんなの参考まで。

1.考え方・感じ方・判断力の核をなす12冊

プラトン『国家』(藤沢令夫訳、「プラトン全集」11、岩波書店、1976年)
アリストテレス『ニコマコス倫理学』(西洋古典叢書、京都大学学術出版会、2002年)
エピクテトス『要録』(鹿野治助訳、「世界の名著」13、中央公論社、1968年)
『デカルト=エリザベト往復書簡』(山田弘昭訳、講談社学術文庫、2001年)
『二宮尊徳』(「日本の名著」26、中央公論社、1970年)
G・I・グルジェフ『ベルゼバブの孫への話』(浅井雅志訳、平河出版社、1990年)
アラン『わが思索のあと』(田島節夫訳、「アラン著作集」10、白水社、1982年 
シモーヌ・ヴェーユ『カイエ4』(冨原眞弓訳、みすず書房、1992年
管啓次郎『トロピカル・ゴシップ——混血地帯の旅と思考』(青土社、1998年) 
岡本太郎『自分の中に毒を持て』(青春出版社、1993年)
鶴見和子『コレクション鶴見和子曼荼羅 水の巻——南方熊楠のコスモロジー』(藤原書店、1998年) 
米山優『モナドロジーの美学——ライプニッツ/西田幾多郎/アラン』(名古屋大学出版会、1999年)


2.専門と呼びたい分野(教育)の12冊

工藤庸子・岩永雅也『大人のための「学問のススメ」』(講談社現代新書、2007年)
佐藤卓己・井上義和編『ラーニング・アロン』(新曜社、2008年)
森信三『修身教授録』(致知出版社、1989年) 
大越俊夫『幻の鯉のぼり——師友塾物語』(白揚社、1995年) 
宮川俊彦『親のぶんまで愛してやる』(サンマーク出版、2004年)
伊藤隆二『なぜ「この子らは世の光なり」か』(樹心社、1990年)
長谷川宏『おとなと子どもの知的空間づくり——赤門塾の20年』(明治図書、1990年) 
橋本義夫『だれもが書ける文章——「自分史」のすすめ』(講談社現代新書、1978年) 
オリヴィエ・ルブール『学ぶとは何か——学校教育の哲学』(石堂・梅本訳、勁草書房、1984年)
イヴァン・イリイチ『脱学校の社会』(東洋・小澤周三訳、東京創元社、1977年) 
鶴田義男『現代アメリカの生涯教育哲学』(新風社、2006年) 
野嶋栄一郎・鈴木克明ほか『人間情報科学とeラーニング』(放送大学大学院教材、2006年) 


3.「現代性」を主題とする12冊

工藤庸子『ヨーロッパ文明批判序説』(東京大学出版会、2003年) 
磯貝日月編『環境歴史学入門——あん・まくどなるどの大学院講義録』(アサヒビール、2006年)
ジグムント・バウマン『コミュニティ——安全と自由の戦場』(奥井智之訳、筑摩書房、2008年) 
フランコ・カッサーノ『南の思想』(ファビオ・ランベッリ訳、講談社選書メチエ、2006年) 
井筒俊彦『イスラーム生誕』(中公文庫、1990年) 
野尻武敏『転換期の政治経済倫理序説』(ミネルヴァ書房、2006年) 
佐藤優『獄中記』(岩波書店、2006年) 
宮内勝典『惑星の思考——〈9・11〉以後を生きる』(岩波書店、2007年)
今福龍太『群島——世界論』(岩波書店、2008年) 
坂口恭平『TOKYO 0円ハウス 0円生活』(大和書房、2008年) 
岡野守也『聖徳太子「十七条憲法」を読む』(大法輪閣、2003年) 
仲島陽一『共感の思想史』(創風社、2006年) 

Tuesday 28 April 2009

Pandemic?

ついにパンデミック到来か。

ニューヨーク在住の、帰国中の友人が、木曜日にむこうに帰るのが怖くてたまらないと怯えている。実際、スペイン風邪なみの大打撃を人類がこうむることは、まあいつ起きてもおかしくない。

ヴェルナー・ヘルツォークの南極を舞台にしたドキュメンタリー Encounters at the End of the World を思う。何をやっても人類は遠からず滅ぶし、人類が滅んでも地球と生命は当分は続く(それも終わりを運命づけられてはいるけれど)。

この絶対的ニヒリズムに抗いつつ生きてゆくことを試みるのは(結局は破れるとしたって)、ただただ決意の問題。

生存を保証してくれる海辺ではなく南極大陸の山脈にむかって、死にむかって、ひとりよちよちと歩いてゆくペンギンの衝撃は、まさにそれがわれわれひとりひとりの姿だから。

生存の方向を選びたいね、いましばらくは。生存にむかって歩いてゆくことを選びたいね。さあ、どうすれば?

ちょっと追加、結局10名

「外部ゼミ生」募集をしめきったといったけど、昨日マチョイネ講義で会った河内くんが「ワシを入れんとはどういうつもりやワレ」と河内弁ですごむので(嘘、嘘)その河内くんと、わが友人タロパンことジャズピアニストの工藤さんが加わることになりました。これで10名。初年度はとにかく、これでやってみます。みんな、人生のある一年を、のんびり歩いていきましょう。

Monday 27 April 2009

マチョイネ、永遠の旅人

日曜日。三鷹駅近くの文鳥舎というブックカフェで、マチョイネこと西江雅之先生のレクチャーに。

先生にお目にかかるのは4年ぶり。さっき京都から戻ってきたばかりでほとんど寝ていない、とおっしゃるのだが、大変お元気そう。5日前にはタヒチにいらしたそうだ。去年1年で、15、6回、海外に行った、とのこと。その常軌を逸した旅人/言語探求者の人生は、70歳を迎えてもまったく変わらない。

きょうのお話は世界各地のフランス領土について。そのほとんどを訪れている西江先生は、フランス人でもありえないような、珍しい存在だ。ぼくはフランス本国のほかには、マルチニック(1985,1995)、グアドループ(1985)、タヒチ(1992,2008)、ヌーヴェル・カレドニー(2002)だけ。西江先生はこれにレユニオン、サンピエール・エ・ミクロン、ワリス・エ・フトゥナが加わる。そしてフランス領土ではないが、インドのポンディシェリなども気になるかつての「フランス」。

いつまでもたっても追いつけないのが、「師」の定義。たぶんいまでも先生は、ぼくより歩くのが早いはず。先生の授業をぼくがとっていたのは30年前だ。そこで、ピジン・クレオル言語学への目を開かれ、カリブ海への接近をはじめたのだった。

先生、いつまでもお元気で! ぼくの次の目的地は、ギュイヤンヌ・フランセーズとパプア・ニューギニアです。

Saturday 25 April 2009

マラルメ、インド、三田

金曜日、アキバで近藤一弥さんのデザインの授業を終えた大学院生5人と、KANDADAへ。熊倉敬聡さんのトーク。

フランス文学者(マラルメ研究者)の熊倉さんは、ずっとヨガを実践し、去年はフランスに滞在しつつ、ユーラシア大陸各地を旅したそうだ。お話は主として言語化できないものをめぐって。で、当然言葉で理解できることは限られていたが(瞑想の話は聞いただけでは何もわからないわけだし)、スライド写真はどれも楽しめた。中央アジア、行きたい。インドに行ったら、道端の象にさわりたい。

ぼくは熊倉さんの活動をまったく知らなかったのだが、「三田の家」という興味深い試みがある。慶應の三田キャンパスそばに一軒家を借りて、そこがいわば共同の学外ゼミ室みたいになっているようだ。大学と商店街の協力から生まれたものらしい。

アメリカなら一軒の家を学生数人が共同で借りて一緒に暮らしているのはあたりまえの光景だが、それを発展させて、たとえばDC系だけの自主運営の寮というかセミナーハウスを作ることだってできるわけだ。生田から下り方面なら、まだ家賃も安いし。

そうすればそこでシネクラブも料理クラブも園芸もバンドも劇団も美術制作も養蜂もできて......楽しいだろうけど、仕事だけはできないな。

現代日本語書き言葉均衡コーパス

とはすごい名前だが、国立国語研究所の「研究開発部門言語資源グループ」が進めているプロジェクト名。要するに現代日本語の文章のサンプルを言語データベースKOTONOHAとしてまとめるということらしい。

で、ランダムに抽出されたらしいぼくのところにも、文章の採録許可が来たのだが、おもしろいことに、採録されるのはぼく自身の文章ではなくて、ぼくが10年ほどまえに訳したアメリカのリトアニア系哲学者アルフォンソ・リンギスの一文。現代日本語における翻訳文のサンプルとして。

翻訳文も日本語文として確固たる位置を占めているわけだから当然なのだが、長らく翻訳をやってきた者としてはこのあたりまえの事実がちゃんと認められるのが、ちょっとうれしいような。

とはいえ「ぼく自身の文章」と上で呼んだものも、結局はつねに一種の翻訳文。

外部ゼミ生・受付終了!

当初の予定だった8名に達したので、2009年度外部ゼミ生の受付を終了します。興味をもってくださったみなさん、ありがとうございました。

以下、参加者の姓のみ記します(参加希望表明順)。年齢も職業もいろいろ。簡単なプロフィルは、またいずれ順次、リストとともに。

大洞、大塚、安西、中村、志村、敷田、星埜、賀内。みなさん、よろしくお願いいたします! 通常ゼミ生9名とともに、しばし本の森をさまよってみましょう。

まずは各自で36冊のリストの作成、組み換えを進めてください。もちろん、「まだ読んでないし手にとってすらいないけれどこれから読みたいと思っている本」を入れても、まったくかまいません。ただし存在しない本はダメ。

ミラノ在住の安西さんから質問がありました。ウェブサイト、ブログを1冊の本としてあげていいか? そこに含まれる内容・情報量からいって当然「いいよ」と答えてもいいところですが、ここでは旧来型の紙の本に限定しましょう。というのも、まさに、ふつうの本との関係をはぐくむことが目的なので。世界最大級の本の町、神田をすぐそばにもつ地の利を生かして、いろいろな書物を発見してほしいと思ってます。特に明治理工出身の諸君は、いままで生田で山ごもりをしていたためか、書店そのものをほとんど知らないことが判明! これからは毎日、知らない本を手に取る(ジャンルを問わず)習慣をつけよう。

それと、ライティング・ワークショップの開催も考えています。夏の予定が決められないので、今年度はむずかしいかもしれないけれど。要するに「作文塾」です。書くことは教えられないので、みずから学ぶだけの塾ですが。この件、いずれまた。

Friday 24 April 2009

B6カード1枚

木曜5限の授業は「コンテンツ批評」。去年は課題図書6冊を指定し、1冊あたり2週間をかけてディスカッションをし文章を書いて提出するという形式だったが、どうも評判がよくなかった。

それで今年は、毎週ひとつの「文化アイテム」(へんな言葉だけど便宜的に決めた)についての報告を、B6のカードに書けるだけ書いてくる、ということにした。するとなかなかおもしろい話がぽろぽろ出てきて、きょうのところはいい展開。この調子で進めたい。カードの書き方にも工夫があって、それぞれの人柄がしのばれ、手応えがある。

ともあれ終わってからパコたちと晩ごはんを食べているとき、クサナギくんの一件を知る。事件とすら呼べないどうでもいいことだが、それに対するこのマスメディアの狂った反応は何だ? 報道価値の有無に関して、ここまで見識のないやつらが、新聞社にもテレビ局にもそろってるのか。どこか一紙くらい、一顧だにしない新聞があれば、明日からでもそれを講読したい。

便乗して憤慨している政治家のばかばかしさはいうにおよばず。

Wednesday 22 April 2009

塗り絵の世界

最近は夜になると疲れて何もしたくないので、音をすべて消して塗り絵。するとしばし夢中になり、この手仕事にほっとする。

やっているのはこれ

http://www.amazon.co.jp/Mario-Mandala-Tauchi/dp/1904563562/ref=sr_1_7/503-0881169-8831128?ie=UTF8&s=english-books&qid=1174288042&sr=1-7

なんとマリオくんは今週、ロンドンおよびアムステルダムでもライヴ曼陀羅を描いているようだ! おもしろそう。マンダラ行脚よ、永遠に。

きょうは京橋でツァイト・フォトサロンに。安斎重男写真展。超豪華なメンバーのポートレート集。ボイスが3点あったが、いちばんいいのだけ売れ残っている。これはおもしろい。来日したボイスが、小学生みたいに体育館で床にすわっている東京芸大の学生たちを相手に講演を行っている、その後ろ姿。ちょっと、欲しいなあ。

メビウス

明治大学国際日本学部ではフランスのマンガ家メビウスを迎えて浦沢直樹、夏目房之介両氏との公開シンポジウムを以下の日程で開催します。

5月9日(土)13:30-16:00
明治大学駿河台校舎アカデミーコモン3階アカデミーホール

トークとライヴ・アート・パフォーマンスが予定されています。

どなたでも無料で入場できますのでぜひお越しください。詳細は次のアドレスにあります。

http://www.meiji.ac.jp/koho/hus/html/dtl_0004084.html


「ライヴ・アート・パフォーマンス」というのが気になるね。なおその日、おなじアカデミーコモンの2階ではだいたい17:30ごろから19:30ごろまで、新領域創造専攻の学生たちのポスター発表もやってます。ぜひのぞいてみてください。

ファノンのほうへ

火曜日、早稲田の授業。マルチニック留学直前の中村隆之くんに来てもらい、フランツ・ファノンの生涯と思想をめぐる話を聞いた。

学生のみんなにも興味深かったらしく、みんなすごく真剣に聞いたりノートをとったりしていた。

ファノンについてはぼくも以前にすごく不十分なかたちで論じたことがある。もっとその生き方の全体を捉え直してみたいと思った。いずれ。でもいつになることやら。

外部ゼミ生・補足

外部ゼミ生については、早速何件かのお問い合わせをいただきました。ありがとうございます。

きちんと述べていなかったことを数点、補足します。

(1)本名で、本人として、参加すること
(2)プロフィルをここで紹介することがある
(3)リストを(作成過程を含めて)ここで公開することがある(完成ヴァージョンはすべて公開する)
(4)リストの中で「これはいらない」とぼくが判断したものは抹消することがある(理由はいちいち説明しない)
(5)定員は最大7、8名程度でしめきる

いまのところ大洞くん以外に3人の人が参加希望です。それではよろしく!

Monday 20 April 2009

あっというまの3年、10年

大学のキャンパスというのは、学生も教員もそれぞれの時間割にしたがって動いているため、会わなくなるとほんとに会わなくなる。

きょうも「先生、おひさしぶりで〜す」と声をかけられて、見ると、以前に英語かフランス語の授業(もうどちらかもわからなくなっている)に出ていた学生。ぜんぜん会ってなかったと思う。あ、しばらく。もう3年だっけ?「4年ですよ〜!」との答えに、またびっくり。ニュージーランドから帰って明治に復帰した2006年の新入生が、もう4年になったわけだ。いわれてみると、さすがに新入生当時とはそれなりにファッションもちがっているような気が。

ぼくが日本の大学で教えたのは、1999年夏の東大駒場での集中講義(カリブ海比較文学)が最初。初日を終えてほっとして出ると夕立でどしゃぶり。渋谷に出たら、江藤淳の自殺が報じられていた。同年代の友人たちがとっくに職についていたのを思うと、教師デビューはずいぶん(10年あまりは)遅かった。このときの集中講義に出てくれていたうちの何人かとは、いまも友人として親しくつきあっている。それから10年。まだまだ教師としてはかけだし。あと10年くらいやれば、少しは格好がつくかな。

そのあとは原野で、蜜蜂と兎とでっかい犬を飼って暮らすか。

Susan Boyle!

スーザン・ボイルにはやられた。じわりと泣けます。でも、なぜだろう?

http://www.youtube.com/watch?v=vMVHlPeqTEg

外部ゼミ生募集!

先日から話題に出している「外部ゼミ生」を正式に募集します。「正式」といっても、なんの拘束も大きな義務もありませんし、授業料もいりません。ただ、以下のルールにしたがって36冊の個別リーディング・リストを作成するだけ。

(1)自分の考え方、感じ方、判断力の核をなす本を12冊。
(2)自分が専門と呼びたい分野(「デザイン」でも「写真」でも「ファッション」でも)の本を12冊。
(3)分野を問わず「現代性」を主題とする本を12冊。

これで1冊あたり200字くらいの短いコメント(長くてはいけない)をつけるところまでが、前期の目標。さらに後期には、リストから出発して見えて来たものを、20枚くらいのエッセーにまとめてもらいます。

外部ゼミ生は毎週の授業に出るわけではなくて、個人リスト作成によって参加。参加希望者は、それぞれ自分で作業し、6月末までに36冊のリストを提出してください。それに7月末までにコメントを書き加えてください。夏休み中に、アキバか猿楽町で、一日がかりのオープン・ゼミを開催します。これに参加できることを前提とします(遠隔地居住者はこのかぎりにあらず)。

年齢・性別・国籍に制限はありません。ただし、リストはオープン・ゼミの時点で、すべてここで公開します。またゼミのめざすところと著しく逸れている人には、主催者による参加おことわりの権利を保留しますので、悪しからず。

みんなの「分野」

先週の木曜日、今年度のゼミで各自が追求する「いちおう専門と呼びたい分野」について話し合った。たとえば、すでに36冊のリストを提出してくれた「外部ゼミ生」の大洞くんの場合、分野は「教育」(特に生涯教育)で、ゆるぎない。

以下、みんなの分野。

宇野澤 「アート?」
ガルシア「文字と情報」
篠塚  「群衆」
于   「アニメーション」
黄   「広告/ファッション」
佐藤  「ドキュメンタリー」
原   「映像、音楽、心理」
ロー  「メディア論/生命論」

そして正確にはぼくの研究室所属ではないけれど修論指導を手伝う滝沢が「<萌え>カルチャー」。

まずは名乗るしかない。名乗り、リーディングリストを作ってゆく。それを人にむかって説明してみる。ついでリストを組み替えてゆく。そのうちかたちが自分でも見えてくる。

ゼミは1、2年合同で毎週集まる。2年は個別に論文指導をおこなう。のんびり、でも充実した年度にしよう!

Saturday 18 April 2009

『私自身の見えない徴』

そういえばエイミー・ベンダー原作『私自身の見えない徴』の映画化の話はどうなっているのかな、とひさびさにインターネット・ムーヴィー・データベースを見てみると、どうやらちゃんと進行しているらしく、ジェシカ・アルバの撮影現場での姿がスライドショーになっている。

http://www.imdb.com/title/tt1212454/

ぼくがもともと抱いていたモナ(主人公)のイメージとはずいぶんちがうが、これはこれで。驚いたことに、彼女の母親役を演じるのはソニア・ブラーガ! なんというゴージャスなおかあさん。

もともとの予定では1月には完成しているはずだった。今年中に公開されるのだろうか。日本では? 日本でも公開されるといいなあ。原作のイメージには、たしかにジェシカ・アルバのほうがまだ近いのかもしれないが、ぼくの頭の中では当初予定されてたアメリカ・フェレーラによるヴァージョンが捨てがたいものとしてある。

映画ではムリかもしれないが、1時間もののテレビドラマなんかでは、ふたりの主演俳優による別々のヴァージョンを作ってみるのもおもしろいかも(リメイクではなくて、同時に公開するという意味)。

マリンバと着物

金曜日、藤部明子展のためのプレスリリースを発送。それから宇野澤くんと10年前のモンゴル映画『ステイト・オヴ・ドッグス』を見る。公開時にパンフレットに文章を書かせてもらった、思い出の作品(そのときの短いエッセーは『コヨーテ読書』に収録)。

それ以来、はじめて見たが、驚くべき傑作だ。しかし現実のウランバートルも、その後ずいぶん変わっているのかも。

夜。田口ランディさんの朗読会に。マリンバの通崎睦美さんとのジョイント。ランディさんの朗読は非常に上手。朗々とした声で、ご自分のドラマティックなテクストを、いっそうドラマティックに盛り上げる。

そしてマリンバが、非常にそれに合う。マリンバという楽器は前から好きだったが、至近距離でその響きに体ごとさらされると、ここまですごいものかと思った。ぼくの脳の固有振動数(そんなものがあるとして)がその音に共鳴するような、異様な感覚。特に低音部はすごい。いちど使われた、コントラバスの弓で鍵盤をこするという奏法にも驚く。ジミー・ページがエレクトリック・ギターをチェロの弓でこすっていたのより、ずっと衝撃的。

超絶技巧に驚いていると、その後のトークで通崎さんがアンティーク着物のコレクターでもあると知り、びっくり。ランディさんもしばしば着物姿だが、おふたりはやや小柄。一昔まえの日本人はいまよりちょっと背が低かった。そのサイズを直しなしで着られるそうだ。おもしろいのは通崎さんが、「ランディさんは大正、私は昭和初期」とそのサイズを表現したこと。

通崎さんが港大尋くんの曲を演奏したCDは以前からもっていたので、今回は『1935』というCDと、彼女の著書『ソデカガミ』を買って帰り、この「銘仙着物コレクション」の本を電車でずっと見ていた。おもしろい! なんという柄。アロハシャツの世界だ。もともとアロハシャツは着物が生んだものだったのだから、当然だけど。

マリンバと着物。驚きの組み合わせ。京女はあなどれない。

内藤礼「color beginning」

木曜日、アキバにむかう前に銀座にゆきギャラリー・コヤナギで内藤礼さんの新作展。

色の現われ。白いキャンヴァス上に、淡いピンクを塗り重ねてゆく。「あわい」、つまり存在の境界、はざまを主題としてきた彼女が、絵画にむかうとこうなるのか。電熱器が生む上昇気流にゆれる細い糸が、1本。染められた布も、2点。他はすべて大小の絵。

彼女がたとえば夜明け、物事の輪郭が現われ色彩が現われるころに強く興味をもっていることは、まえからわかっていた。だが夜明けに最初に現われる色は、青。ここではピンクが選ばれている。系統としては、赤の側。つまり酸化の色、燃焼の色、生命の色、生命の反映の色。

慌ただしさの中を30分ばかり、たったひとりで、彼女の絵にむきあうことができた。内藤さんの作品にはこれまでテクストの英訳というかたちで何度かかかわってきたが、直島にはまだ行っていないのが残念。いちどは瀬戸内海に行かなくちゃ。瀬戸内海! その驚くべき地形も名前もしょっちゅう思い浮かべながら、現実の瀬戸内海に、いったいいつから触れていないことか。

Wednesday 15 April 2009

ヤノマミつづき

ヤノマミのドキュメンタリーで、もうひとつ興味深かったのが、動物の胎児の扱い。

大猟のイノシシの腹から取り出された胎児を、子供たちがうれしそうにさわり、見ている。理科の実物教育みたい。体長2メートルを超すバクからも胎児が見つかった。獣の肉をよろこんで食べるかれらだが、胎児はけっして食べないという。

これがヒトの新生児に対する態度と、どこかつながっているような気がする。新生児は、その段階では、精霊。獣の胎児も、それは「精霊段階」であって、「肉」というカテゴリーには入らないのではないか?

不思議だ。

しかし、そんなかれらも今後数年のうちに、Tシャツを着たりサンダルを履いたりするようになるのかもしれない。そうなってほしくない。あのままでいてほしい。あの暮らしを続けてほしい。そして、思う。あの番組を見たからといって、絶対に、絶対に、あそこに行こうなんて思ってはいけない。テレビの取材も、二度と行ってはいけない。

限られた環境で、孤立して生きる人間集団の究極の選択の姿。そこから得られる教訓を、われわれはどう生かすのか。ところがそんなかれらの広大な土地にも、金を探す者たち、牧畜のために土地を奪う者たちがどんどん流入しているらしい。そしてよそものが伝える伝染病。コロンブス以来の民族破壊が、いまも続いているわけだ。

人生? ヤノマミ生!

同僚の倉石さんが「あれはすごかった」といっていたのが日曜に放送されたNHKスペシャル。ブラジル/ベネズエラ国境地帯のアマゾン上流地方に住むヤノマミの人々に対する、初めての長期取材が生んだドキュメンタリーだ。

それは見たい、と思っていたら、火曜の深夜、再放送があった。見た。すごい。息を飲んだ。

21世紀にあって、まだここまでの孤絶した生活と世界観が維持されているとは。生まれた子を、母親(といっても14歳の少女)がみずからの決断で、「人間として育てるか/精霊のまま天に返すか」決めなくてはならない。それを見守る人々。「精霊のまま」とすることが決められると、新生児はそのままバナナかなんかの葉っぱにくるまれ、シロアリの巣に置かれ、シロアリたちに食いつくされる。それに火を放ち、灰となったところで、儀式が完了する。

何をどういってもはじまらない。それがかれらのやり方なのだ。他にも猿の頭を子どもたちが齧っていたり(気持ち悪いというが魚の頭を齧り目玉をすするわれわれを気持ち悪いといわれても困るだろう)、川の魚に対して「毒もみ」をしたり。満天の星のあいまを人工衛星が流れてゆく場面とか、映像は非常に興味深い。

これがヤノマミの暮らし。強烈だ。ヤノマミとは「人間」という意味で、かれらから見たらわれわれは人間ですらなかった。

Tuesday 14 April 2009

メビウス+浦沢直樹?

思わず、目をこすった。明治のような巨大な大学では、困ったことに他の学部で何が起きているのかは、ほとんどわからない。たまたま国際日本学部のページを見ると、なんという驚き、こんどメビウスの講演会を開催するらしい。お相手は浦沢直樹と夏目房之介。

http://www.meiji.ac.jp/koho/hus/html/dtl_0004084.html

なんと、小池桂一にも匹敵するふたりの巨匠がアカデミーホールへ!これは見逃すわけにはいかない、と思ったら、なんだ5月9日じゃないか。おなじ駿河台地区にいながら行けないのか。ほんとうに行けないのか。

ヴィレッジ・ヴァンガードで

友人が下北沢のヴィレッジ・ヴァンガードで、ちょっとうれしいものを見つけたと教えてくれた。

エイミー・ベンダー『燃えるスカートの少女』文庫版が、表紙を見せてずらりと並んでいる! 店員さんのポップに書かれた言葉は

「哀しさと淋しさが、キラキラと氷の粒のようにつめたく輝く。
異形不思議小説、ホントにオススメです!」

ほんとにうれしいこと。店員さん、どうもありがとう。こんどお店に行ったら、無言でお礼をいわせてください。

そして思ったのは、「本のポップ制作」を大学院の授業でも1回くらいやってみるか、ということ。好きな本を選んで、コトバを書いてみる。いや、1回では何にも身につかないな。毎週の宿題にするか、これを。

こうして、一見追いつめられた本の世界が、少しずつ元気を取り戻すのがうれしく楽しい。

Monday 13 April 2009

『日曜日の随想2008』

日本経済新聞に日曜ごとに掲載されている看板エッセーを集めた一冊が、今年も刊行されました。ぼくも参加しています。

執筆者を見ると、さすがにすごい顔ぶれ。うれしいことに、沼野充義さん、野崎歓さん、堀江敏幸さん、宮内勝典さんと、つい最近もお世話になったみなさんが何人か。

お風呂につかりながらのんびり読むのにいい本です。みんなそれぞれ、ぜんぜん世界がちがって。今週はこれで楽しめそう。

『チョコラ!』

すばらしいドキュメンタリーを見た。

ケニア、ナイロビ近郊の小都市ティカに暮らす路上生活の少年たちを追ったドキュメンタリー作品。Chokora とはスワヒリ語で「拾う」を意味し、かれらはビニールや鉄くずを拾い集めては、それを売り、それで生計を立てている。シンナーを吸い、タバコを吸い、物乞いをし、みんなで焚き火で料理をし。

と聞いただけで、出来合いのイメージで判断する習癖のあるヒトという動物は、暗く悲惨な生活を思い浮かべるだろう。もちろんそれは辛く、苛酷で、日々が生命の危険にさらされているような暮らしだ。

だが、それだけではない。絶対に、見なければわからない、この感じ。あふれる色彩、笑顔、踊り。想像を絶するかれらの生活が、その光が、自由自在なキャメラにより捉えられてゆく。

小林茂監督は故・佐藤真監督の盟友。病を押しての長期取材でこのフィルムを完成させた。控えめな音楽(サカキマンゴー)もすごくいい。5月9日から、渋谷ユーロスペースで公開。みんな、ぜひ見よう!

Saturday 11 April 2009

ミルキィ・イソベさん

藤部さんの写真展関連イベントで、特筆すべきは5月20日午後6時からの、ミルキィ・イソベさんとのギャラリー対談! 

ミルキィさんは、出版界ではもちろん誰ひとりとして知らぬ者のない最先端のブックデザイナーのひとりですが、学生のみんなも(名前を意識しないまでも)確実に彼女の作品に親しんできたはずです。そう、あのポケモンカードのデザインによって! 

当日はギャラリーが超満員になることが予想されます。デザインに関心のある生田の学生諸君、ともかく集まれ。ギャラリーの空間は限られているが、集まれば集まったでなんとかなる、と思う。よろしく!

藤部明子「at zero」

すでにお伝えした藤部明子写真展、以下のように開催します。ぜひみんなで見よう!


明治大学生田図書館 Gallery ZERO 写真展

contemporary photography #1
藤部明子「at zero」

2冊の写真集「The Hotel Upstairs」「Memoraphilia」で鮮烈な印象を与えた写真家、藤部明子の個展を開催します。
日常生活の中に潜むかたちと色彩に対する鋭敏な感覚をお楽しみください。
写真集の制作過程がわかる校正紙も合わせて展示します。

主催 明治大学大学院理工学研究科新領域創造専攻ディジタルコンテンツ系

協力 ステュディオ・パラボリカ
   ZEIT-FOTO SALON
   写真の町 東川町 東川町文化ギャラリー
   明治大学国際日本学部 旦敬介研究室

会場 明治大学生田図書館 Gallery ZERO
   一般の方は図書館入口ゲート前の呼び出しボタンにて係の者をお呼びください。

会期 2009年5月12日(火)〜6月21日(日)

開場時間 平日8:30~19:00、土8:30~18:30、日10:00~16:30
     ただし5月29日(金)は13:00~22:00

ギャラリー対談「写真集とデザイン」藤部明子+ミルキィ・イソベ(グラフィックデザイナー)
         5月20日(水)18:00より

雪氷物理学

生田キャンパスの、ぼくの部屋から斜め向かいのところにあるのが長島和茂さんの「雪氷物理学」研究室。彼は大検で明治に入学し、ついで北大で博士号を取得し、明治に戻ってきた人。南側の日当りの良さに、正確に反した分野。でもいかにもソウルを感じる。

その分野名の響きの美しさに関心をもってきたが、このたび長島研究室のホームページが「日本WEB大賞特別賞」を受賞したそうだ。

http://www.isc.meiji.ac.jp/~icephys/

すごい! 

ぼくの研究室も、そろそろちゃんとしたホームページを作ってみるか。でも自分では、どうにも時間がなくて。学生のみんなに頼んでみるか。やがてそれができるとき、ホームページの名前は、もちろんFringe Frenzy です。

Thursday 9 April 2009

リバティ・アカデミー

明治大学における一般向け講座として老若男女を問わず人気を集めているのが、リバティ・アカデミー。お茶の水駅から歩いて2分の地の利もあって、通いやすさは抜群です(と広告的で失礼)。

ここで、中村和恵さんを中心に「世界文化の旅」というシリーズをはじめたのが2007年。「アフリカ編」「島めぐり編」につづいて、今年は「先住民編」。

講師は以下の顔ぶれです。

中村和恵(明治大学、英語圏文学)
阿部珠理(立教大学、アメリカ先住民研究)
ムンシ・ロジェ(南山大学、宗教人類学)
くぼたのぞみ(翻訳家、詩人)
管啓次郎(明治大学、DC系)
浜口稔(明治大学、メディア図書館論、沖縄研究)

ここでしかありえないこの顔ぶれこの組み合わせ。ぜ/っ/た/い/におもしろいので、ぜひ来てください。ちょっと受講料はかかりますが。

https://academy.meiji.jp/shop/main/ctc/20/a/back

よろしくお願いします!

一昨年の「アフリカ編」をもとにしたアフリカン・ディアスポラ本も完成間近(岩波書店、5月刊行)。そちらもよろしく。

文学、思想、文化研究というのは現代の世界においてものすごくマイナーな分野ですから、「ひとり」のちがいがめちゃくちゃに大きく響きます。われわれは「あなた」を待っています。他の誰でもなくて。

では、春から夏にむかう最高の季節の土曜日の午後、お茶の水でお会いしましょう。

Wednesday 8 April 2009

明治大学猿楽町校舎完成!

お茶の水駅そば、明治大学アカデミーコモンの角からアテネフランセ方向に歩いてゆき、出版社の弘文堂(ぼくの最初の本『コロンブスの犬』の版元)を通り過ぎて左手を見れば、そこに、「明治大学猿楽町校舎」の看板が立っている。立てられた! ここがDC系の、主要ステージのひとつとなる。

元・明治大学付属明治中高。同校の移転後、一年間空いていたここを、この春からわれわれ新領域創造専攻が使いはじめる。きょうは引っ越し作業。大学院生用のコンピュータ部屋(実験実習室)、ゼミ用の教室をはじめ、音響スタジオ、映像スタジオ、メディア工作室を備えている。

なんという環境! これで結果を出せなかったら、学生たちの資質が深刻に問われることになるだろう。

ミュージシャンは音楽活動を、映像作家は作品制作を、ゲーマーは独創を、批評家は着想を、とことんめざそうじゃないか。多くの人が知っているわけではない、でも、知る人ぞ知る、それでいい。これからは生田、駿河台、秋葉原、そして猿楽町をわたりながら、思考と創造の実験を続けていこう。

こんな大学院は、他にはない。4キャンパス体制を考えただけでも。そしてぼくのゼミの今年のテーマは「歩行」。生田はともかく、残る3地区はどんどん歩いて移動してゆきたい。

5月9日(土)にオープニング・イベントをやります。一般公開します。詳細は、またここで。あるいは明治大学ホームページで。

気軽に遊びにきてください!

Tuesday 7 April 2009

授業開始

明治に先立って、非常勤の早稲田の授業がはじまった。文化構想学部/文学部の合併「カリブ海文化論」。去年はわずか4名の受講者で、おかげでみんな仲良くなったけれど、今年は(少なくとも初回は)15名。なかなか元気で楽しそうな顔ぶれだった。

なかに友人のフランス文学者Hの娘さんを発見。黒人音楽好きな彼女、意見を堂々といえて、たのもしい。夕方になって生田から早稲田まででかけてゆくのは疲れて辛いときもあるんだけど(歳だね)、これから夏にかけて楽しくやりたいと思う。

カメラ・オプスクラ

藤部さんからカメラ・オプスクラへの興味を聞いてムラムラと意欲がわいた宇野澤くんが、午後、段ボール箱を使って、たちまち試作品を作ってくれた。ぼんやりした倒立像が映って、なんともいえない風情。

藤部写真展に合わせて、デザイナーのミルキィ・イソベさんのギャラリー・トークと、藤部さんのレクチャーも開催する。写真、デザイン、いずれにも興味のある人は、この機会に生田キャンパスを訪ねてきてくださいね。

藤部明子写真展を開催

ギャラリー・ゼロを舞台として、DC系では今年からContemporary Photography のシリーズ展示をはじめる。

その第1回にあたる藤部明子さんの個展の打ち合わせを、きょう行なった。参加は藤部、倉石、宇野澤、大塚、高梨、畠中、とぼく。会期は5月12日から6月21日まで。タイトルは「at zero」と決めた。

「The Hotel Upstairs」「Memoraphilia」という2冊の写真集(いずれもステュディオ・パラボリカ刊)で高い評価を得ている藤部さん、絵画から写真に入っただけあって(?)、その造形・色彩の感覚は抜群に鋭い。

今回もDC系(の写真系)の総力を結集してあたる。絶対、見応えがあります。ぜひ見にきてください!

外部ゼミ

「外部ゼミ」の呼びかけに答えて、放送大学を卒業したばかりの大洞くんが早速36冊のリストを送ってくれた。どうもありがとう。

じつに興味深い。彼の分野は「教育」。リストの中身はこれからも入れ代わっていく可能性があるだろうが、では学期末のオープン・ゼミにはぜひ参加してください!

本の世界はほんとうに広大なので、思いがけない本が野うさぎのように飛び出してくる。みんなのリストがどんな紋様を描いてゆくか、楽しみ。いずれ、すべて、ここで発表したいと思います。

別人のノート

子供のころから「科目別のノート」を作ったことがなくて、ぜんぶテキトーに1冊のノートに書いては、ある期間が過ぎると捨てていた。中1の1学期のノート、とか、そういう感じで。

大学時代のノートも何も残っていないが、それでも成人後の古いノートが3冊ばかりはあって、見るといまや何を意図していたのかすらわからない断片的な言葉があちこち。

何かを計算したあとで「この数字で円はありえない」とか。

「No se permite tomar fotos」とか。

「The Irish
かれらは町を恐れていた
恐れるのみならず嫌っていた
時代ごとの問題は世代ごとに解決するしかない」とか。

「スペイン語ではバカというと牝牛
        アホというと大蒜
        ロバというと牝狼
        ミレというと見れ
        ミレンも見れ」とか。

「This notebook is no longer used as a diary. This in itself is a series of facts encountered at many different places. It should tell not about the worlds but about my own failures in encountering them.」とか。

「Spike Leeを見ること」とか。

「ホテル朝食つきにして大失敗」とか。(この失敗、その後もくりかえしている。)

「Jack Londonのすばらしさ。
あるいはStephen Craneの。
かれらは教養や都市文化などまったく気にかけない。
生のもっとも深い部分を直接つこうとする。
それはMelvilleがしめした道でもあった。
他の言語には、他のナショナルな文学には
こんな作品はない、ほとんど」
などは、はあ、そんな風に思っていたのか、と別人みたいな気がする。

「本は祭壇に飾らない、道具として手になじませる」なんかは、いまも自戒したい言葉。過去の自分からのメッセージか。

といくつか書き写して、このノートはもう捨てる。


        

Sunday 5 April 2009

いよいよ新学期

4日、土曜日、大学院ガイダンス。DC系という、理工・人文・芸術の融合コースにふさわしい、まったくバラバラの新入生が集まって、さあ、これからの一年が楽しみ。

今年はとにかく、みんなに熱が出るくらい考えてもらうこと、脳内のいろんな情報のピースが化学反応を起こしたみたいに発熱しやがて沸騰するまでよくかきまぜること、がテーマか。

ビジネス・ミーティングのあと、2年生と1年生の顔合わせ。運営は2年生におまかせ。ぼくのゼミの新入生では、于さんがしっかりしたダンナさんを紹介してくれて、うれしかった。黄さんには日本各地への旅の話と中国各地のことを聞く。佐藤くんには「明治理工だからオタク」という論理を聞いて、はあ、なるほど。原くんはテレキャスターを買ったばかりとのことで、こんどスタジオでジャムセッションなど。ケン・ローは、あいかわらず無口だった。

帰り道、駅で会った数名と、喜多見の蕎麦屋に寄る。蕎麦もおいしいが、茄子とか、ねぎサラダとか、卵焼きとか、そういったものが旨い。さあ、来週から(大学院は再来週から)授業だ。

ゼミについては、個別のリーディング・リスト作成作業を中心にしようと決意。たとえば36冊として

(1)自分の考え方、感じ方、判断力の核をなす本を12冊。
(2)自分が専門と呼びたい分野(「デザイン」でも「写真」でも「ファッション」でも)の本を12冊。
(3)分野を問わず「現代性」を主題とする本を12冊。

これで1冊あたり200字くらいの短いコメント(長くてはいけない)をつければ、だいたい20枚の長さのペーパー代わりになる。

後期には、この36冊をいわば「雲」として捉え、その形状と色彩を描写することを課す。数冊は別の本と入れ替えてもいい。

それに加えて、キットラーを読もうかとも思うが、これはみんなと相談してのこと。

またこの36冊のリストを提出することに関して、「外部ゼミ生」制度を作ろうかとも、電車の中で思いつく。つまり、別に学生でなくてもなんでもいいから、希望する人は今学期、学生たちと並行して、リスト作成を進めてもらう。その上で、7月にでも一日がかりのオープン・ゼミを開催し、それには参加してもらう。おもしろいかも。できれば高校生の参加もうながしたいところだ。

こないだから都立高校で教える友人と話しているのだが、「大学生」のレベルを飛ばして、高校生と大学院生のあいだで協同の回路を作ると、なかなか双方にとって生産的なんじゃないだろうか。

Thursday 2 April 2009

『知恵の樹』、『独学の精神』

マトゥラーナとバレーラ『知恵の樹』(ちくま学芸文庫)の増刷が決まった。これで6刷、累計1万1000部。

朝日出版社からのもとの大判の訳本が1987年(装幀は鈴木成一さん)、文庫に入ったのが1997年。ぼくの20代の仕事が、長いあいだ、少しずつ読みつがれているのがうれしい。

今年は学部1、2年生むけの総合文化ゼミナールでも、ひさびさにとりあげる。DC系の大学院生のみんなにとっては、この本とグレゴリー・ベイトソン『精神と自然』(佐藤良明訳)は必読。というか、もう何年も前から、大学院生、学部生、それぞれにとっての推薦図書リストをそれぞれ100冊くらいで作ろうと思っているのだが、なかなか果たせなくてごめん。

もっともすべての独学者は自分が読む本、読まない本を自分で決めるだろうし、独学以外の学び方はない。きょう勧めたいのは前田英樹さんの新著『独学の精神』(ちくま新書)。「皆でせいぜい米を食べようではないか」という呼びかけにいたる道に、深い衝撃を受ける。米を食べることと独学の関係? それがわかるためには、この本を自分で読むしかない。早わかりを求めてもダメ。

カタリココ

大竹昭子さんから、新しいカタリココのお知らせが届いた。

カタリココとは、本について語り合い、朗読をする場。ごく少人数で、小さな空間で、著者と読者がふれあい言葉を交わすことのできる、非常におもしろい試みだ。

冬にはぼくもダーシェンカに行ったけど、またおりを見て、ぜひ行きたい。

(以下、ペースト)


■カフェ・カタリココ
日時:2009年4月26日(日)15:00〜16:00(開場14:00)
場所:四谷三丁目チェコバー・だあしゑんか
料金:500円+オーダー
電話:03-5269-6151
http://bardasenka.blog34.fc2.com/blog-category-12.html

DMに12日と書きましたが、
都合により4月26日に変更いたしました。
すみませんが、お間違えないようによろしくお願いいたします。
内容は、その日の少し前に発売になる
拙書『随時見学可』(みすず書房)を朗読いたします。
随時見学可、みすず書房とくると、一体どんな種類の本なのか!?
と首を傾げられる方も多いと思いますが、都市を舞台にした短編集で、
現実世界が少しずつ虚構に傾いていく構成になっています。


*26日以前に他にふたつイベントがあります。
それについてもついでにご案内させてください。


■福岡伸一×大竹昭子トークショー
日時:2009年4月10日(金)19:00〜20:30 
場所:青山ブックセンター本店 
料金:800円
電話:03-5485-5511
http://www.aoyamabc.co.jp/10/10_200904/20090410fuku.html

福岡さんの新刊『動的平衡』(木楽舎)
の刊行を記念してのイベントですが、
モンガイカンとしてお伺いしたいことがたくさんあり、
とても楽しみにしています。


■第31回西荻ブックマーク「すごい写真」を語る
日時:2009年4月19日(日)17:00〜19:00
場所:西荻窪スタジオマーレ
料金:1500円
電話:03-5382-1587(音羽館)
http://s1.shard.jp/nishiogi/nbm2.htm

こちらは、『この写真がすごい』(朝日出版)で取り上げた写真と、
来年度版の候補作をスライド上映しながら、
写真のおもしろさ、不思議さ、奇妙さなどを探るソロのトークショーです。
写真に興味はあるけれど、いまひとつとっかりがない、
と思っている方はぜひどうぞ!

1839とは?

学生時代からの友人、港千尋の個展が、この週末、台北ではじまる。新しくできた写真中心のギャラリー、みたい。そのオープニングに行きたかったのだが、あいにく4日は大学院ガイダンスで、それもかなわず。

展出主題:第三自然 - 痕跡.記憶.無意識 (The Third Nature from Trace to Memory)
藝術家:港千尋 (Chihiro Minato) 攝影及活版文字 個展

展覽期間:2009/4/3 (五) ~ 5/7 (四)
開幕茶會:2009/4/3 (五) 19:30
簽書會:2009/4/4 (六) 14:00~14:30
座談會:2009/4/4 (六) 14:30~16:30

1839當代藝廊:
(10696) 台北市大安區延吉街120號地下樓 (請由126巷進入)

藍線捷運:
國父紀念館站2號出口 (右邊第2條巷口直行至延吉街)
忠孝敦化站3號出口 (往明耀百貨直行至西雅圖右轉延吉街)
公車站名:阿波羅大廈 (忠孝東路4段)


1月はあまりに時間がなかったので、台北市内も一瞥にとどまった。それでも2泊3日程度でもずいぶんいろんなことはできるもので、台湾はこれからも何度でも行きたい。政治大学との交流も、さらに進めたいし。

そこで問題。ギャラリーの名前になっている「1839」とは? あ、これは期末試験の問題にしようか。

Wednesday 1 April 2009

Genau!

よく知っているつもりの本でも、いい本は手に取るたび何らかの発見がある。

というか、そのつど自分が行き当たっている問題と同期しないかぎり、本当はどれだけ何を読んでも何にもわからないまま過ぎているのだろう。

このところ、旅行記の書き方についてかなり深刻に考えざるをえなかったので、ミシェル・レリスの短い文章のこんな一節に再会し、ほんとにそうだと思った。

以下、引用。

或る地方の本質的特徴をあらわすためには、詩と、行き当たりばったりのような語り口と、自然主義的な意図のない、全く自由なデッサンのほうが、旅行記の専門家たちの大方に共通する描写的な方法より明らかに有効だ。旅行記はたしかに魅力的な分野にはちがいないが、その外からの見方という性格(人々のえてして陥りやすい話の歪曲は論外として)ゆえに、多くの場合、人をあざむくものとなるのである。(岡谷公二編訳『デュシャン ミロ マッソン ラム』)

その流れで、『植草甚一日記』を読んでいると、その手書きの文字のあまりの見事さに、70年代半ばの高校生のころとおなじく感動。植草さんの行き当たりばったりなニューヨーク日記ほど、驚くべき喚起力をもった記述は少ない。

その流れで、ポール・ストランドの写真集を見ていると、これがまたじつにいい。彼の撮ったイタリア人やメキシコ人は、すべてこの世のものとは思えない存在たちだ(まあ、写っている人々は確実にすべて全員死者となっているだろうが、そういうことじゃなくて)。そして人物だけでなく、植物の魅力もまた見る目に刺さってくる。

と、こんな風に充実した時を過ごしているかぎり、たったいま書くべき原稿がまったくできあがらないのはどういうことだろう。

4月1日は、われわれのお正月。あけましておめでとう。今年度こそ、想像もつかないほどすごい年にしたいものだ。そのためには、まず、修士2年になった宇野澤くんとパコに、画期的な修士論文を仕上げてもらわなくては。そして修士1年に入ってきた、于さん、黄さん、佐藤くん、原くんには、これまでの自分とは手を切って、大変貌をはたす一年にしてもらいたい。

彼女の絵を見ればわかること

そう、たしかに絵を見ただけでわかることなのだが、ジョージア・オキーフも、どうやら歩くことにとりつかれた人だったようだ。改めて、思った。

ローリー・ライルの伝記『ジョージア・オキーフ』の訳者あとがきで、道下匡子さんが書いているオキーフ会見記の中のジョージアの発言から。

「ヴァージニアで寮に入っていた時、女生徒は独りで長い散歩をすることは禁止されていました。でも私は毎朝、四時に起き、日が昇る前に、十二マイルも歩いたものです。」

マーシャ・ベラヴァンス=ジョンソンの小冊子 Georgia O'Keeffe in New Mexico は、ジョージアの西テキサスでの教師時代のことを記している。

Considered an eccentric, she frequently dressed in black and loved walking on the seemingly endless prairie stright into the morning or nighttime sky.

12マイルといえば20キロ弱。せめて毎日、これくらいの距離を歩くことを中心に、生活を組み立てたい。アイリッシュ・ウルフハウンドかスコッティッシュ・ディアハウンドを連れて! ヒースの荒野が無理なら、それがたとえアスファルトの砂漠とコンクリートの密林であっても。

日本でいちばんやる気のある大学

若き友人、大洞くんのブログで、彼が迎えた放送大学の卒業式の模様が報告されている。

http://hobo.no-blog.jp/train/

これにはクラッときた。特に、グランドスラム! といってもタイガー・ウッズのことじゃないよ。以下、引用。

「そのなかで今年は5名のかたがたが6度目の卒業式を迎え、グランドスラムを達成した。グランドスラムとは放送大学教養学部に用意されている6つの専攻、「生活と福祉」「発達と教育」「社会と経済」「産業と技術」「人間の探究」「自然の理解」(来年度からは再編成される)をすべて修了することで、最短でも14年の歳月を要する。今回この離れ業をなしとげた方のうち、最高齢はなんと81歳! まさに「満身これ学究」であられる。」

いわば、学士入学をくりかえし、文理のほぼ全分野を掌中にした人たち。恐るべし、このやる気。

放送大学は、まちがいなく日本でもっともやる気のある大学だ。そこには「やる気のない学生」がいない。いやいや勉強させられ、いやいや大学に進学し、いやいや授業に出て、いやいや就職し、いやいや会社に通いながら日々をむだにする、といったコースとは、まったく無縁。学びたい、学びたい! 何の役に立とうが立つまいが、知りたい、考えたい! そうでない大学生がゾロゾロいるようでは、社会が狂ってくるのもあたりまえ。(もちろん、大学生の多くは、自分の興味にしたがってやる気を発揮し、知りたいと思うことには真剣で、けっして打算づくではない。まともな判断力をもっている。でも、そうではない学生も、実際とても看過できない数がいる。)

毎年3月、週刊誌がこぞって「東大合格者ランキング」とかの特集号を出す。ぼくらが受験生だった30数年前にも、それはあった。正気の沙汰とは思えないが、いまだにそれが続いている。21世紀は、あのころ未来だった。未来はどこに行った、といいたい。良識ある編集者に、くだらないことはやめろ、と促したい。

なかには普通のランキングではつまらないとでも思ったのか、わざわざ「女子」限定の合格者ランキングを売り物にする大手新聞社系週刊誌も。作り手の志の低さが、しみじみと思われる。どうでもいいだろう、そんなこと。

そんな狂ったマスコミの表面に出てこないところで、真剣に学ぼうとする人たちは、もちろん今日も「冷静な熱狂」をもって自分の道をゆく。まともな人は、もちろん多いんだ。それをわざわざ見えなくするやつらは、いったい誰だ?