Sunday 24 August 2008

「その時その場が異様に明るく」

テレビを日ごろまったく見ないので、大抵の名場面は見逃している。稲妻ボルトの9・69も女子ソフトボール日本チームの優勝も見なかった。

オリンピックみたいな機会にかぎったわけではなくて、あの長寿番組「笑っていいとも」も、たぶん3回くらいしか見たことがない。それでももちろん、タモリの顔も話し方も知っているのだから、世界のメディア化は根深い。

そのタモリさんの、赤塚不二夫先生に対する弔辞をYouTubeで見た。電撃的だった。

赤塚先生の考えによって「その時その場が異様に明るくなる」こと、

たこ八郎の葬儀に際してげらげら笑いながら大粒の涙をぽろぽろこぼしていたという思い出、

タモリにとって赤塚不二夫とは父であり兄でありはるか年下の弟であったということ、

「あなたにとって死もひとつのギャグなのかもしれない」、

そして「私もあなたの数多くの作品のひとつです」という決めのひとこと。

まちがいなく歴史に残る名弔辞。しかも、噂では、タモリさんが読んでいた(ふりをしていた)紙は白紙だったという。すごい。

ぼくは冠婚葬祭が嫌いなので、友人たちがこれから死んでも葬儀には出ないだろうし、ましてや弔辞なんて。自分が死んでも葬儀は省略してもらい、飼い犬が最後に頬をぺろりと舐めてくれれば、それで死後ずっと満足。

それはそれとして、このタモリの芸の絶頂には、感動した。言葉の芸人の極みだ。