Wednesday 31 October 2007

サンドラールへの追補

ぼくがサンドラールを好きなわけ、3つばかり。

(1)どこかで彼は書いていた、「サティはトナカイの肉が好きだった」と。人が人を語るにはいろんなやり方があるけれど、ひとことで人(他人)を表すとき、その人(自分)の傾向が現れる。ぼくにとっては、これでサティが身近になった。それはブレーズの磁力のせい。

(2)サンドラールが自分の犬(ハウンド+スパニエル系の雑種?)を残された左手で撫でている写真が、何枚かある。あのいかつい老人には、あまり似合わない可憐な犬。でも彼はその犬に「ヴァゴン=リ」という名前をつけていた。意味は「寝台車」。彼以外、どこのだれがそんな名前を犬につけるだろう!

(3)サンドラールはいつも左手で手紙を書き、最後にこう書き添えた。De ma main amie(私の、友情の手による)。小説はたぶんレミントンのタイプライターで打ち出した。それから手紙やはがきを手で書いた。このことはヘンリー・ミラーが書き残している。ヘンリーはブレーズを心から尊敬していて、彼が長いパリ生活ではじめて会ったフランスの作家がサンドラール、最後に(パリを離れる日に)偶然会ったのも彼だった、という。

土曜日、今福さんの話の途中でぼくがいちど口をはさんだのは、サンドラールとタルシーラ・ド・アマラルの誕生日がおなじだということ。確認したら、やっぱりそうだった。二人とも9月1日、タルシーラがひとつ年上。ふたりは大西洋をはさんだ姉弟だった。

Monday 29 October 2007

ブレーズ台風

27日(土)、季節外れの台風20号がかすめてゆき、東京は大荒れの天気。この台風は、一部のわれわれには、ブレーズ台風の名で記憶されてゆくだろう。恵比寿にある日仏会館でのスイス大使館主催のイベント「スイス=ブラジル1924、詩と友情」は悪天候にもかかわらず、いや最高のお天気に恵まれて、120準備した椅子がすべて埋まってさらに折りたたみ椅子を出すほどの盛況。ちょっとありえないかたちの、詩人ブレーズ・サンドラールとその世界的友情をめぐる追憶と想像力の旅となった。

定刻。暗転し、大使館のネルソンさんとぼくがTu es plus belle que le ciel et la mer(きみは空よりも海よりも美しい)をバイリンガル朗読。本番10分前の依頼に応えてくれたネルソンさん、ありがとうございました。それからドワノー撮影のサンドラールの味のある肖像などを含む、短時間のスライドショー。つづいてフィヴァ大使のご挨拶だが、これが通りいっぺんの挨拶ではなく、みずからサンドラールの熱心な読者である大使のこの詩人への思いを熱く述べる、とてもいいスピーチだった。

次は清岡智比古さん(そう、あの『フラ語』シリーズで知られるわれらがカリスマ・フランス語教師です)による要をつくしたサンドラールの生涯の概観。清岡さんは20世紀両大戦間のフランス詩人たちの研究が専門で、サンドラールについても論文を書いている。これで準備が整った。

そこで始まったのが、われらが偉大なる知のトリックスター、日本語の想像力を激しく拡大させてくれた文化人類学者、山口昌男先生の思い出話。アフリカで出会ったスイス人の話、サンドラールへの関心、ブラジルやカリブ海で何度も出会い直したアフリカ、放浪するアフリカ、そのようにしかありえない散在する世界との遭遇を自分自身の生涯をかけてしめした先達ブレーズ。ときおり長く沈黙し、とつとつと語る先生に、聴衆の耳は釘付け。笑いがそのまわりを囲み、渦巻き、聞き手の今福さんがしめしてくれる道すじから、突然、人々の目のまえに広大な視界が開ける。ここまでで1時間半強。

休憩時間は、集まってくれた友人たちへの挨拶でまたたくまに過ぎた。後半は、お昼を食べながらの打ち合わせだけで、即興的に作ってゆくショー。今福さんが選び抜いてきたサンドラール関係の図版をスライド形式で見せながら、相変わらず冴えた話で場を作り、そこにぼくの訳詩読み(「朗読」というような朗々としたものではなく「ぼそぼそ読み」、聞こえるのはマイクのおかげです)と、高橋悠治さんの天使的なピアノ演奏がはさみこまれてゆく。ダリウス・ミヨー、ヘイトール・ヴィラ=ロボス。最後のしめくくりの聴衆へのプレゼントとして、アントニオ・カルロス・ジョビンの2曲を悠治さん自身がアレンジ。ひたすら、すばらしかった。

やっている身としては、やや延長して80分ほどの後半はまたたくま。しめくくりの言葉で、山口先生が、こんな場に立ち会えるとは思わなかった、ありがとう、とおっしゃって、こっちもジンと来た。そしてブレーズ! きみは、きみだって、思ってもみなかっただろうなあ。きみが生まれて120年、きみも名前は知っていたはずの「トーキョー」の片隅で、こんな風にきみのことを思い出す人がいるなんて。きみのことを、タルシーラやオズヴァルドのことを、海のこと空のことを。

何といっても強烈なインパクトを人々に与えたのは、手作り本制作のグループBEKAによる小冊子。関連テクストをまとめ、かつてドローネーとサンドラールが作ったもののような折りたたみ詩集を別冊として紐でむすんだこの120部限定の小冊子は、誰も見たことがない、世界の他にどこにもあるはずがない、記念すべきふしぎなモノだった! 1冊1000円で販売したが、大使もおおよろこびで3冊求めてくださったらしい。対訳詩集部分の、フランス語はレミントンのタイプライターで打ち直し、日本語訳は手書き。タルシーラ・ド・アマラルによる黒人女の肖像の複製やキューバの本棚を飾った舞台装置とともに、今回のイベントはBEKAの高らかな勝利であり、出帆だった。

集まってくれた既知の未知のすべての友人たち、ありがとう。撤収に気をとられていてあまり話もできなくて、ごめん。朝から晩までつきあってくれた大原くん、河内くん、ありがとう。そして最後まで面倒を見ていただいた大使館の大平さん、ありがとうございました。

ブレーズ台風はこうして過ぎ、翌日は完璧な秋晴れ、青空。

「現代詩手帖」11月号 pp.192-193

「現代詩手帖」11月号に、越川ロベルト芳明さんの新著『ギターを抱いた渡り鳥――チカーノ詩礼賛』の書評を書きました。越川さんは明治大学文学部教授。日本の代表的アメリカ文学者の一人である彼が、十年の月日をかけてアメリカ/メキシコ国境地帯を旅し、両国のあいだにひろがる地理的=政治経済的=社会文化的ボーダーランズの詩人たちの声を書き留めてきた、その記録です。

一つの焦点となる合衆国南西部は、ぼくにとっては、かつて5年間暮らした地域。読んでいるとまた訪ねたい場所や人の顔が、いくつもよみがえってきます。そして初めて訪ねてみたい場所も、たくさん。来年はひさびさにアメリカに行こうかと思いました。

もう口にしないせりふ

さっき、たまたまテレビをつけたら、環境運動家・文化人類学者の辻信一さんが、最近、みんな挨拶というと「お忙しいところすみません」と「お疲れさま」ばかり言ってるから、これは使わないようにしている、といっていた。

なるほど! そんな言葉が蔓延しているから、どんどん「忙しく」なったり「疲れ」たりして、それがあたりまえの社会になっていくのか。

「心を亡くさず」「皮を病ませず」、たんたんと毎日を過ごすために、もう使いたくない二言だ。

Thursday 25 October 2007

12月2日(日)はアカデミーホールに行こう!

12月2日に開催する新領域創造開設記念シンポジウムの全容が明らかになった。

まず、シンポジウム自体は、午前の「安全学系」と午後の(われわれの)「ディジタルコンテンツ系」に分かれる。

DC系は宮下芳明をディレクターとし、以下の人々の参加を得る。

13:30開演。最初の30分は、メディアアーティストの岩井俊雄氏によるライブ。今年欧米で発売した新楽器TENORI-ONによるコンサート。

ついで「ディジタルコンテンツの未来」と題したパネルディスカッション(2時間)。参加パネリストは以下の通り。司会は宮下芳明。

・岩井俊雄(メディアーティスト 「エレクトロプランクトン」「TENORI-ON」)
・佐々木渉(クリプトン・フューチャー・メディア 「初音ミク」)
・武田双雲 (書道家 テレビ朝日「けものみち」「タイヨウのうた」題字など)
・平野友康 (デジタルステージ代表 「motion dive」「BiND」)
・水口哲也(ゲームクリエイター 「Rez」「ルミネス」)

終了予定時刻は16時ごろ。どうです! そうそうたるメンバーでしょ? 果たしてどんな議論が出てくるかはわからないが、みんなの脳が思い切り撹拌される経験になることは、まちがいない。

それで今日、会場となる明治大学アカデミーホール(お茶の水駅から徒歩3分)の下見に行ってきた。ここには初めて入った(2階の会議室はカリフォルニアの詩人アルフレッド・アルテアーガが来日したとき使ったことがある)。すごい会場だ。1200名が入れる。舞台が深い。音響がいい。設備も申し分ない。

なんだかんだで楽しみになってきた。ぜひ12月2日の午後は、ここアカデミーホールでの知的音楽的律動的電脳的シンポジウムに立ち会ってください。

Wednesday 24 October 2007

「エスクァイア」12月号 p.123

「Esquire」12月号の「作家が選ぶ旅の本155」に寄稿しました。ぼくが選んだのは155分の7。「女たちと、島へ」と題した本の群れ。

この号の特集は「文学は、世界を旅する。」池澤夏樹さんのきわめて根源的な問いにふれた短文や、青山南さんのケルアックをめぐる旅、茂木健一郎さんのロシア文学論、石川直樹さんのチャトウィン論など、非常に充実した内容です。ぜひ手にとってごらんください。

Monday 22 October 2007

写真、川、農業

20日(土曜日)、第6回DC研を生田キャンパス中央校舎6階のスタジオ教室で行った。以前、授業にも使ったことがあるが、本格的な防音設備のある、すばらしい部屋だ。ここで美術家=写真家の吉原悠博さんのいくつかの映像作品を見せていただいた。

吉原さんは新潟県新発田市の吉原写真館の6代目。東京芸大油絵科卒のアーティストで、ニューヨークでオペラ作品の美術を担当するなど、国際的に活躍してきた人だ。その彼が、ふとしたきっかけで故郷の写真館を継ぐ決意をし、同時に新発田市でのさまざまな地域活性化の活動に手を染めることになった。

今年、雑誌「風の旅人」が「吉原家の130年」という特集を組んだ。新発田の大火を辛くも逃れた吉原写真館の乾板から、画像がよみがえり、歴史が回帰する。「ナルミ」という女性(吉原さんのおおおばさまにあたる)の生涯をまとめたものをはじめ、1世紀以上におよぶ写真を構成した作品を、いくつか見せていただいた。言葉にならない衝撃。音楽は坂本龍一さん。

さらに吉原さんの最近作の一つとして見せていただいた、新川を題材にした作品にも大きな興味を覚えた。

http://www.ed.niigata-u.ac.jp/~ni-art07/

まさに「潟」でありしばしば洪水に悩まされてきた新潟にとって、治水は最大の課題。そのために作られた人工の川を上流から海まで旅するこの短い作品に、土地の特性ととことんつきあって生きてゆかなくてはならない人間の暮らしへの、新たなまなざしを学んだと思う。

吉原さんが長い放浪ののちに新たに根付こうとしている新発田との協同を、これからわれわれも探っていきたい。日本は地方都市がおもしろい。だが、孤立した試みでは、おもしろくない。本当におもしろくなるのは、遠い土地の無根拠な連結に成功したときなのだ。

ついで21日(日曜日)、学生部主催のM-Naviプログラムの「農業体験」で、生田キャンパスの隠れた姿を知った。キャンパス南端に位置する農学部の農場からは、新宿副都心の高層ビルがよく見える。ここにこれだけの本格的な実験農場があるとは、誰が思っただろうか。ぼくも明治勤務8年目にして、初めて訪れた場所だ。

最初はらっきょう畑での雑草取り。らっきょうの前に作付けしていたジャガイモが、5ミリくらいの白い粒をつけている。ジャガイモが茎の一部だと、知っていましたか? これに対し、サツマイモは根の一部だそうだ。農学部の先生たちからいろいろ教わりつつ、作業にいそしむ。雲一つない快晴。

それから里芋を堀り、サツマイモを掘り、レタスを収穫。ちょっとだけ遅めの昼食はたっぷりのラム肉と新鮮な野菜のジンギスカン鍋。明治の全学部からの30数名の参加者で、すばらしい日曜日を過ごすことができた。他学部の学生諸君とのふれあいは、ぼくにとっても貴重な機会だった。

残念なことに、理工学部の参加者は1名のみ。これはもったいない。来年は、この農業実習で、ぜひ汗を流してほしいと思う。おみやげもすごいよ。5キロにも及ぶ、おいもと野菜だ。

Tuesday 9 October 2007

Blaise Cendrars

10月27日に恵比寿の日仏会館で行われる、ブレーズ・サンドラール生誕120周年記念シンポジウム+コンサートのちらしができました。

http://www.cafecreole.net/cendrars.html

ぜひお誘い合わせの上、お出かけください。無料です。

Sunday 7 October 2007

元・学生たち

金曜日に暗いことを書いたら、土曜日の夜、明治の卒業生たち3名が「せんせ〜、メシ食ってますか」と電話をかけてきて、集まってくれた。教え子、といいたいところだが、授業に出ていたのはうち一人、それも在学中に教室で見かけた記憶はあまりない。話をしたのは、むしろ学食。何も教えなかった教師のもとに、こうして集まってくれるんだから、ほんとにありがたいことだ。

みんな就職して3年目、仕事はきつそうだが、それぞれたくましくやっている。後輩だっている。心配なのは、折角就職しても、1年も経たずに辞めてゆき、いまは何をしているのかわからない数名。産業構造とか、雇用形態とか、じつは歴史の中では安定期がはるかに短く、綱渡りの日々が大部分だったにちがいない。でもそれも一面的な見方。そもそもこの島国でも、お金の回り方を中心にすべてが判断され、時間や労力や生き方や信条まで切り売りされるようになったのは、つい最近のできごとだろう。

働かないこと、というのはそれだけで革命的だが、それでは日々の食事が満足に食べられなくなるから困る。普通に暮らしているだけで、身も心も仕事も遊びも、全面的にお金と商品につらぬかれているのだから辛い。

逃れるには? 山の話になる。日本、わずかな平野部にひしめきあって人が暮らしているが、山はすごい。きれい、広い、はてしない。しかし山は本当に怖い。人にはどうにもできない巨大な自然力の渦が、ごうごうと音を立てている。獣もいる。天気は激しく変わる。

それでも山に生活の本拠地を置き、平日だけ里に下りてきて稼ぐというスタイルにできないものかと、のんきな夢想。

ともあれ、3人が気前よくおごってくれて、かたじけなかった! もつべきものは非・教え子的教え子たち。学生時代にぎょうざを一皿おごれば、それが10倍になって返ってくる。そういうときに、教師稼業の単純明快なよろこびがある。これからも一粒万倍の精神で、恩返し(もとの「恩」はないが)を続けてほしいものだ。

みんな、これからもよろしく。いまの在学生のみんなも、近未来において、よろしく。明るくでっかく生きるのが「明大生」。はじめは冗談でいってたその言葉が、だんだん真実のように思えてきた。

Friday 5 October 2007

ある金曜日のこれから

大学教師はヒマだと思われることが多い。高校や大学時代の友人は、まちがいなく全員がそう思っている。別にどう思われてもいいが、こっちはこっちで結構やることが多くて、ある一続きの予定をこなすと夕方ぐったりすることがよくある。たとえば今日なんか、これからの予定を書くと。

05:30   目が覚めてしまい、そのまま起きる。メール返信。
06:00   犬の散歩(短時間コース)。
06:30   家を出る。職場にむかい、授業準備。
08:50   以後、正午まで英語の授業2コマ。
12:00   大学院DC系打ち合わせ。
12:30   「フラ語クラブ」。
13:00   来客。むりやりつきあってもらい学食でお昼。
13:30   総合文化教室の会議。15:00ごろまで。
15:30   教授会。学生部の報告。17:30ごろまで。
17:30   科研費をどうするか、同僚と相談。
18:30   郵便物などいろいろ片付けて、職場を出る。

夜、フランスのラッパーのステージを観に(聴きに)行きたいが、しめきりをすぎた原稿が2本あるので無理だろう。

で、夜になってやっと読んだり書いたりの時間。大学教師といっても、授業、学部業務、研究の3つを絶えずこなさなくてはならない。それがいわゆる「忙しい」感じのときは、このうち「研究」の時間がどんどん失われていく。読み書きはこまぎれでも少しずつは進むが、理系の研究者の同僚たちは大変だろうなあと思う。つまり、一つながりで確保しておかなくてはならない時間が必要ならば。しかも、一般に評価されるのは「研究」だけ。

いい大人が電車の中で居眠りするのは本当にみっともないけれど、本を開いて読んでいるうちに、ばくすい。このへん、どうにかしたいものだ。この週末、ぜひ山形国際ドキュメンタリー映画祭に行きたいと思っていたが、そして富山の発電所美術館ではじまる内藤礼さんの新作展に行きたいと思っていたが、どちらもかなわぬ夢に終わりました。

Tuesday 2 October 2007

第6回ディジタルコンテンツ学研究会のお知らせ

以下のように第6回ディジタルコンテンツ学研究会を開催いたしますので、ぜひご参加ください。なお、今回にかぎり開催場所が異なりますので、ご注意ください。

日時 10月20日(土)午前10時から正午まで
場所 明治大学生田キャンパス中央校舎6F スタジオ教室
ゲスト 吉原悠博さん(写真家、美術家、吉原写真館6代目当主)

吉原さんは 1960年生まれ。東京芸術大学油絵科卒業後、ニューヨークを拠点とするアーティストたちとの交遊を深め、国際的な美術家として活躍してきました。写真・映像によるインスタレーション作品を数多く発表し、近年、パブリックアートとしてホテル、公共施設での作品設置、アートディレクションを担当しています。

新潟県新発田市の吉原写真館の第6代目当主であり、今年、同写真館に残された写真をみごとによみがえらせた「吉原家の130年」がしずかな感動を呼びました。詳細は以下を参照。

http://www.emoninc.com/test/past/2007/spiral.html

なお当日は映像作品のプレゼンテーションという性質上、開始後の入室はご遠慮ください。

明治大学生田キャンパスは小田急線生田駅から徒歩10分。中央校舎はキャンパス中央に位置する6階建ての白い建物です。向ヶ丘遊園前駅からのタクシーご利用が便利かもしれません。数分で着きます。