Tuesday 24 July 2007

「石川直樹」という生き方

21日、土曜日。ディジタルコンテンツ学研究会第4回は、冒険家の石川直樹さんを講師にお招きした。

いやあ、強烈だった! 言葉を失った。彼のこれまでの足跡をたんたんと語ってもらっただけなのだが、そのスケールがあまりに度はずれている。

最初は2001年のチョモランマ登頂時のビデオから。カジュアルなビデオ映像の標高がどんどん高くなり、いつのまにか世界の頂点! 8848メートルの高みでも、たしかに平常時からの連続性が感じられて、そこにかえってすさまじい体験の強烈さを感じる。

おなじことが、2004年の、残念ながら失敗した熱気球による太平洋横断についてもいえる。通常の8倍の大きさの熱気球に神田道夫さんと二人、食料はカロリーメイトだけ。これでマイナス50度、60時間の飛行に挑んだ。

いわれてはっとしたのだが、時速220キロに達する冬のジェット気流に乗って太平洋をわたろうというこの計画、その気流に乗ってしまえば、自己推進力をもたない気球には、揺れもなく、風もないのだそうだ。

果てしない青の中にぽつんと浮かぶ、無音の青の永遠。

つづいて最近のプロジェクトである北極圏の写真集Polar や、現在準備中の、世界の洞窟絵画やネガティヴハンド(手の痕跡を記す)を追ったNew Dimension 関連の画像を見せてもらったが、北海道、オーストラリア、ノルウェイ、インド、バハ・カリフォルニア、ハワイ、アルジェリアと撮影を重ねていく石川さんの、まるで人類史を凝縮するかのようなスピードに、呆然。

だがそんな彼に、自分が「冒険」をしているという意識はない。冒険は植村直己さんで終わり、自分がやっているのはただの旅。そして日常と旅に区別はないのだと。

石川さんに関して真に感嘆するのは、その「フツーさ」だ。威圧的なところ、人目に立つところが、まったくない。ごく普通の若者が(彼は今年まだやっと30歳)、普通の格好で、惑星のどこにでも、人力を中心的手段として、出かけてゆく。

その普通さの恐るべき強度が、旅をするすべてのわれわれにつきつけられていた。