Friday 22 June 2007

トヨダヒトシ・スライド上映会

ニューヨーク在住の写真家トヨダヒトシさんのスライド上映会を開催いたします。

7月3日(火)10時30分〜12時
明治大学生田キャンパス中央校舎6階メディアホールにて

明治大学理工学部の倉石信乃さん(美術史/写真史)のゼミの時間を使っての上映会です。

生田キャンパスは小田急線生田駅下車徒歩10分。あるいは向ケ丘遊園前駅下車タクシーで10分。

スライド上映会という性質上、時間厳守でお願いいたします。途中入場はできません。

トヨダさんは作品の発表をスライドという形式に限っており、写真集などはいっさい出していません。白い壁に光の紋様が映り、終われば消えてゆく。その場かぎりのはかなさの共有の限りない美しさを、ぜひ体験してください。

当日はカフカの誕生日。孤独と孤高の意味を考え直す、いい機会になるでしょう。

Wednesday 20 June 2007

視覚の専制を許すな

このところ1、2年生むけの「作文ゼミ」を教えているのだが、この数年とみに増えた「妙な書き間違い」に非常に気持ちの悪い思いをしていた。原稿は手書きで提出するというルールを作った。ところが簡単な漢字に代えて、「うそ字」を書く。ワープロの変換まちがいみたいな誤字誤用を平気でする。ユーモアをめざしているとも思えない場面で、ひらがなばかりになってゆく。

問題はワープロに慣れ切った作文態度にあるんだろうなとは思っていたが、まさにそのとおり。身体技法としての「文字を書く能力」が、著しく低下している。

それがじつは「視覚の専制」でもあることに気づかされて、はっとした。ワープロでは文字選択を目で確認し、イエスかノーかを伝えれば、それで話はおしまい。ひとつひとつの文字を書き上げるときの緊張、抵抗感、手の運動、どれも関わってこない。文字の細部も見ていない。問題は、こうしたことをつづけていると、人間が確実にバカになってゆくということだ。総合的な技術としての筆記が、視覚の判断に還元される。すると文にも、「身が入らない」。

そんなことを改めて思ったきっかけは、ひとりの建築家の作品集にあることばだった。千葉学の『Rule of the Site』。建築の設計における「身体」から「視覚」への転換を論じて、千葉はこう書く。

「僕たちが行なっているのは、じっと座って指先をかすかに動かすことだけだ。視覚に頼る比重が増えている。(中略)これはちょうど、ワープロで文章を書くようになって、漢字は読めるけど、実際に書くことがでいないという状況が生まれてきていることと似ている。手が覚えていることが筆跡ではなくて、マウスをクリックすることになっているということだ。/この視覚に頼った身体を受け入れつつも、そこにもう一度動き回る身体を重ね合わせてみる。身体が、視覚に頼り切ってしまっているからこそ、視覚も、そして動き回る感覚も顕在化してくるのではないか」

なるほど、と思った。視覚の比重が強くなり、それにしたがってわれわれの意識や判断力が変化するのは仕方ない。でもそこにまた、動き回る感覚をもういちど入れたい。それにより視覚の専制にチェックをかけたい。そうしなければ、われわれは十分生きているとはいえない。そういう考えに、ぼくも賛成だ。

ヴァーチャル空間での判断が現実の生活空間に影響を与えるようになればなるだけ、有機物としての自分の体の「うろつき」に判断を委ねよう、それに決定権を返そう、とする動きも出てくる。映像は世界についてめちゃくちゃに多くを教えてくれるが、それは「現実」とは一種の皮膜で隔てられている。そしてこの現実の、信じがたいほどの情報量には、視覚だけではとても対処できない。この身体を、また動かせ。建築というジャンルは、そんなメッセージを発しているようだ。

Monday 18 June 2007

Grizzly Man

見逃していた『グリズリー・マン』(2005年)を見た。ドイツの映画監督ヴェルナー・ヘルツォークのドキュメンタリー。ところがドキュメンタリーといっても、これ以上ありえない題材を得た、ヘルツォークのこれまでの作品との驚くべき一貫性をもつ傑作に仕上がっている。

アラスカでグリズリー保護の運動にひとりたずさわり、最後にはグリズリーに食われて死んだ男が残した膨大なビデオ映像を編集しつつ、ごく平均的な(なりそこないの俳優、でも一方で善意にあふれた)アメリカ男の挫折と夢、狂気に傾いてゆく執着、ゆがんだ、けれども一笑に付すことのできない世界観、そして息を呑むほど美しい光景を提示してゆく。

死んだティモシーが残したアラスカの自然の映像は、どんなにすごいシネマトグラファー(撮影監督)でも撮れないようなすさまじい美しさ。そして監督自身の訛った英語の淡々としたナレーションともに、できあがった作品はヘルツォーク自身の「世界」に対する関わり方をこの上なくよくしめすものになっている。

おなじく熊に食われたといっても、あの理知的だった動物写真家の星野道夫さんとはまるでちがうタイプの、愚かな狂気。ばかげた、もろい思い込み。でもその愚かさが、じわりと、深くから、こちらの生き方を揺さぶる。

こうして見ると、ヘルツォークと小説家ブルース・チャトウィンの想像力の親和性(「極端なやつら」にとりつかれていた)も改めて浮かび上がってくる。先日の「ワールドシネマ研究会」でとりあげた『コブラ・ヴェルデ』の原作者のこと。

それにしてもきょうもいい天気だった。ここまでの空梅雨とは、怖くなる。水量が少ないと鮭が遡上しない。食料が足りず、熊が荒れる、小熊が食われる。ティモシーが泣き叫ぶ。お天気はただちに狂気にむすびつき、狂気はただちに生存の問題にむすびつくことを、思わずにはいられない。

来年度の大学院授業「映像文化論」は作家(監督)研究になると思うが、その有力候補のひとりが、このヘルツォーク。ひとりの監督の作品をくりかえし見ることで学べることが、いずれにせよ焦点になるだろう。

メディア教育(新聞編)

きょうの朝日新聞で紹介されていたのが、長崎大学の「ガラパゴス諸島画像データベース」(http://gallery.lb.nagasaki-u.ac.jp/galapagos)。長崎大学付属図書館が作成したもので、植物生態学者の伊藤秀三名誉教授が1964年以降に撮影した1360枚の画像を収録したのだという。

動植物の名、撮影年代、地点から写真を見て、各地の生態系の明らかな変化を見ることができる。ディジタル・アーカイヴの試みとして、まとまった成果だと思う。さて、あとは、こうしたデータがどんな風に生かされていくかだ。今後さまざまなアーカイヴは急速に拡大してゆくと思うが、それによって共有されることになる知識が、たとえば「すでに絶滅した動植物」「すでに失われた風景や習俗」ばかりになっては、あまりにむなしい。

どうしようか。アーカイヴを作るということがもう一歩先の責任にむすびついてゆくことを、これからはだれも避けることができない。それがどんなに遠い土地の、どんなにささやかな問題に関することであっても。

Sunday 17 June 2007

メディア教育(テレビ編)

いつかも書いたとおり、ぼくはほとんどテレビを観ない。テレビ番組の大部分は、情報の集約度が低くてまどろっこしいし、美しくないからだ。だがきょうは疲れていて、夜しばらくテレビに見入ってしまった。

まず『世界ウルルン滞在記』。きょうはタヒチ。『ウルルン』は看板だった相田翔子が消えて(別に彼女ひとりの番組でもなかったのに)すっかりおもしろくなくなったが、あまりのセッティングの美しさに、最後まで見てしまう。タヒチの中でも離れ島に、初老の夫婦だけが暮らしている。そこに18歳の女の子が泊まりにいった。

考えられない生活だ。ぼくがタヒチを訪れたのは15年前、昨年は『フランス領ポリネシア』(白水社)という翻訳も出した。ずっと興味をもっている。でも白いオオアジサシの羽が、快晴の日、青く染まって見えることまでは知らなかった! 海の青は空の青の反映だ。それがさらに鳥の翼に映り、青く染める。信じがたい美しさ。現実に見たい。

ついで11時、見るつもりもないままに『宇宙船地球号』。きょうは沖縄本島北部、ヤンバルの固有種の生存をおびやかすマングースの駆除に導入された犬の話。ジャーマンシェパードを、琉球大学の女子学生が訓練している。モデルはニュージーランドのプレデター・ドッグたち。特定種を探し当てるように訓練され、それを罠で狙い撃ちする。

マングースは明治末期にハブの駆除のためにインドから導入された種。それをいま捕獲するとはヒトの勝手な都合でしかないが、ヤンバルクイナをはじめ格好の餌食になる種がこれだけ絶滅の危機にさらされては、いかんともしがたい。

ついで11時半、『世界遺産』。きょうはイギリスの奴隷貿易港だったリヴァプールだ。今年はおりしもイギリスの奴隷貿易廃止二百周年だったそうだが、その二百年はあまりに短かった。19世紀、20世紀のヨーロッパ諸国の圧倒的なゆたかさの背景は奴隷貿易であり、その後はアフリカの富(特に地下資源)のほしいままの略奪だった。現在のアフリカが、なぜあそこまで破綻した社会になり、あれだけの人々が飢えているのか。その咎はすべてイギリス、フランスをはじめとするヨーロッパ諸国にある。これは歴然たる事実。

結局、過去五百年の世界は、ヨーロッパが他の地域の富を奪い、固有の文化を破壊するかたちで進行してきた。それをいかに相対化し、生き方を変えてゆくかを考えない限り、文化研究にはなんの意味もない。「経済」原理やそれに奉仕する調停の一形式としての「政治」を、根本から批判できる視点は「文化」が教える。

ところで、学生たちと話していて、かれらはスイスやベルギーの高級チョコレートが、原材料からそれぞれスイスやベルギーでできると思いこんでいるのに愕然としたことがある。チョコレートひとつとっても、アメリカスとアフリカとヨーロッパががんじがらめに結びつく植民地主義の問題であることは、ことあるごとにくりかえさなくてはならないのだろう。

Saturday 16 June 2007

きょうはブルームズデイ

6月16日はブルームズデイ。アイルランドの作家ジェイムズ・ジョイスを敬愛するすべての人々が世界中で祝杯をあげる特別な一日だ。

ブルームとはジョイスの代表作『ユリシーズ』の登場人物、裏の主人公、中年のユダヤ人。この作品は1904年6月16日の一日に起きたできごとを、ダブリンの街を舞台に記している。故郷を離れたジョイスが記憶をたよりに再現してゆくダブリンが、いつしか神話のギリシャ多島海に変わり、主人公スティーヴンとブルームの小さな遍歴が多重的な意味をおびはじめる。

2003年のこの日、沖縄市で、文化人類学者の今福龍太さんが主催した「多言語で読むユリシーズ」のイベントに、ぼくも参加した。すでにいろいろな言語に訳されているこの20世紀文学の傑作を、できるだけ多くの言語で朗読し、その音の響きを楽しむという趣向。そのときはぼくはフランス語訳の朗読を担当。ラップ調のリズムによって、2ページあまりのパフォーマンスを行なった。

傑作だったのは、映画監督・金昇龍による大阪弁訳、翻訳家の浅野卓夫によるコロニア語(ブラジル日系コミュニティ語)訳、そして詩人・高良勉による沖縄語訳。ドイツ語訳、ロシア語訳、スペイン語訳などと並んで、ジョイスが体現する多言語空間を反響させる、楽しい一夜だった。

今年は札幌で、ブルームズデイのイベントが企画されている。

http://diary.camenosima.com/

古書店・書肆吉成が発行する「アフンルパル通信」に寄稿したぼくの詩が朗読される予定。参加できないのは残念だけど、こうして声をその場に「寄せる」ことができるのは、ほんとうにうれしいことだ。

すべてはジョイスの撒いた種子だと思うと、この流浪のアイルランド作家の偉大さが、改めてしのばれる。

「東京の夏」音楽祭

今年も「東京の夏」の季節。毎年かならずいくつか、すばらしい経験を準備してくれる音楽祭だ。今年も東京にいながらにしてシチリア、アイスランド、ザンジバル、キューバ、小笠原などの音楽をたっぷり堪能できるが、7月は期末試験の季節、さらにいくつかの仕事が重なるため、いくつかは断念しなくてはならないのが辛い。

でも絶対に欠かせないのは、ハイチ、ヴォドゥ教の儀礼音楽。以前にブラジルのカンドンブレ(やはり西アフリカ系の民俗信仰)の舞踊をみたおなじ舞台(草月ホール)で。これはほんとに楽しみだ。

4800円のチケットは、ひどく安いと思う。だってハイチに行くことを考えるなら! まちがいなく空前絶後の機会(だれかが東京でヴォドゥの祭祀場をはじめないかぎりは)。<アフリカ>に関わるものにちょっとでも興味のある人には、心からお勧めします。ヒップホップやレゲエの好きなみんなも、ぜひこの際、見てくれ。

Thursday 14 June 2007

第3回ディジタルコンテンツ学研究会のお知らせ

第1回に赤間啓之さん(思想史/資料体分析、東工大)、第2回に前田圭蔵さん(パフォーミングアーツ・プロデューサー、カンバセーション取締役)をお迎えして開催したDC研、第3回を梅雨空の下、以下のように開催いたします。ご興味のある方はぜひ、お誘い合わせの上ご参加ください!

日時 6月30日(土)午前10時から正午まで
場所 秋葉原ダイビル6F 明治大学サテライトキャンパス
ゲスト 徳井直生さん(国際メディア研究財団研究員)

1976 年、石川県生まれ。2004 年に「生成的ヒューマン=コンピュータインタラクションに関する研究」で東京大学工学系研究科で博士号を取得。対話型音楽システム「Sonasphere 」を開発し、DJとしてもパフォーマンスや作品を発表。

2004-2005 年にかけてはSonyコンピュータサイエンス研究所パリ客員研究員として、ネットワークを用いた音楽システムの研究開発を行なう。パリ国際大学都市レジデントアーティストを経て、現在は国際メディア研究財団研究員、および東京藝術大学/東京工芸大学/長岡造形大学非常勤講師をつとめておられます。

異言語間の偶然的音声連鎖で世界を探索するシステムPhonethica、および"An Artifact formerly known as Music"なる新しい音楽の享受システムを開発中。

Wednesday 13 June 2007

移動しました

先月開設したばかりの The Digital Tarokaja から、ブログをこちらに移動することにしました。日本の伝統芸能の世界はいまでも強く続いているわけですから、そんな中「タロカジャ」の名を借用することをちょっと考え直して。

(旧ブログは http://thedigitaltarokaja.blogspot.com/ )

ではともあれ、これからはここで! きょうはいいお天気でした。明日は雨でしょうか。