Saturday 29 December 2007

これからは手書き

やっぱり手書きだなあ、と思う。年賀状の話じゃないよ(それもあるけど)。学生のレポートの話でもない(それもあるが)。自分の原稿を、これからは手書きにしたい。そこにかかる時間のため、注意力のため。

何事も「早く仕上げればいい」「たくさんやればいい」という風潮は、もうこのへんでおしまい。ゆっくり仕事をすることにしたいと思う、これからは。で、手書きにするし、ぐずぐず書き直すことにする。何度でも。それでなければ達成できない境地がある。そのほうがずっと大切。(じつは自分の仕事の遅さの言い訳?)

ポール・ヴァレリーの手紙(ジャン=ダニエル・モブラン宛、1926年8月26日)から。

「たとえばピエール・ルイスは、少しでも失敗したと思ったら、もうそのおなじ紙に書き続けることができませんでした。文章を直したときにはそこで立ち止まり、新しい紙をとりだして、あの美しい筆跡で、しかるべき修正をほどこした一節をきれいに書き写す。こうしたやり直しが、しばしばありました。というのも彼ほどに細心綿密な作家にとっては、これではだめだと感じられることが絶えずあったからです。文学における綿密さをめぐって、本格的な研究がなされていいでしょう。」

そして手書きの文字の姿は、端的にそんな綿密さを反映するのではないかと思う。

自戒だけど。

2008年度のフランス語2年の教材について

フランスの大統領の名前は、別に覚えなくてもいい。「お猿の小次郎」からの連想でオーケー。

その大統領の「新しい恋人」として大々的に報道されたのがイタリア系の大金持ちの娘、元ファッションモデルで歌手のカルラ・ブルーニ。別にそれだけでは興味もないのだが、どんな歌をうたっているのかとYouTubeでチェックしてみたら、これが意外にも、すごくいい。使える。

フランス語の授業の歌というと、フランス・ギャル、フランソワーズ・アルディ、シルヴィー・ヴァルタン、セルジュ・ゲンズブール、ミシェル・ポルナレフと、オールド・スクールもいいところの定番ソングを、ずっと使ってきた。変わったところでは、ハイチ系アメリカ合衆国人のテリー・モイーズくらい。

でも来年は、たぶんカルラで決まり。何より声がいい。歌詞も、まずまず。現職のフランス大統領は大嫌いだが、私生活はこの際、問わない。

そしてまた、dotsubのこんなアニメーション・フィルム。

http://www.dotsub.com/films/lhommequi/index.php?autostart=true&language_setting=fr_2141

フランス語の字幕で見れば、読解力もどんどんついてくる。

というわけで来年のフランス語の授業の内容は、どんどんかたまってきた。X組のみんな、お楽しみはこれからだよ!

Blogs in Plain English

つくづく思うのだが、「語学」の勉強のために留学するという時代は、もう完全に終わったみたいだ。その気になれば、大概のメジャー言語は、どこにいても勉強できる。FEN(アメリカ軍のラジオ放送)が聴ける地域すらうらやましかった時代(ぼくの高校時代、70年代)とは、どれだけ変わったことだろう!

インターネットでのテレビ、ラジオ、利用できるものはいくらでもあるが、ぼくも知ったばかりのDotsubというサイト、すごい。アップされたいろいろな映像コンテンツに、いろんな人がいろんな言語でサブタイトルをつけてゆくというコンセプト。当然、まちがったものもいろいろありうるが、ウィキペディアとおなじく、他の人が直してゆける。やがて、共同作業による「正解」に達するというわけ。

これを利用すると、英語だのフランス語だのは、ほんとにいくらでも学べる。たとえば

http://www.dotsub.com/films/blogsinplainenglish/index.php?autostart=true&language_setting=en_2076

これなんか、大学1年の英語の教材としてもってこいだ!

これからは語学の授業はインターネットをベースにして進めていくことになるだろうなあ。教科書会社の人たちには申し訳ないけれど。音声、画像、アクチュアリティ、三拍子そろった素材がいくらでもただで手に入るのだから。

そしてもちろん、問題はその先、このジャングルからどんな宝を見つけてくるかにかかっている。それが「コンテンツ批評」の領域で、来春からはいよいよ新しいプログラムが始動する。

おもしろくなりそうだ!

Friday 28 December 2007

第8回ディジタルコンテンツ学研究会のお知らせ

日時  1月12日(土)午前10時から正午まで
場所  秋葉原ダイビル6F 明治大学サテライトキャンパス
ゲスト ドミニク・チェンさん
ホスト 宮下芳明(DC系専任講師)


「情報プロクロニズムとコモンズの臨界点」

情報共有技術の浸透は、多様な情報の相互伝達を人間の認知限界を超える規模で可能にしています。現在、そこで交わされているのは完成形の情報ですが、状況は生成プロセスを含む情報の共有をも包括しようとしています。

存在と表現の境界はどこまで融合しうるのか? 人間の作為から生まれた情報に自律性は宿るのか? こうした問題を抱えながら展開しているプロジェクトを 紹介したいです。

ドミニク・チェン
1981年、東京生まれ。フランス国籍。フランス理系バカロレア取得後、カリフォルニア大学ロサンゼルス校[UCLA]Design/Media Arts学科卒業(2003.06)。東京大学大学院学際情報学府修士課程修了 (2006.03)。 NTT InterCommunication Center [ICC] 研究員(2003.11~)、国際大学GLOCOMリサーチ・アソシエート(2005.02~)を経て現在、東京大学博士課程在籍[日本学術振興会特別研究員] (2006.04~)、NPO法人 Creative Commons Japan理事 (2006.03~)。

2007年+2008年の Ars Electronica Digital Community部門 International Advisory Boardを務める(2007年度、www.dotsub.comを推薦,Award of Distinction受賞).。2007年5月NPO法人Art Initiative Tokyo(AIT)の Making Art Differentコースの集中特別講義『New Media and Digital Politics』を開催(2008年5月も講義予定)。2007年12月、東京都写真美術館にて『文学の触覚』展に舞城王太郎との新しいデジタル文学のかたちを提案する作品を出品。

2001年より《InterCommunication》《美術手帖》《ユリイカ》《10+1》《ARTiT》《Tokyo Art Beat Review》など様々な媒体で可塑性のメディア論を執筆するかたわら、ICCのオープン映像アーカイヴ「HIVE」を設計・構築し、クリエイティブ・コモンズの運動にもC−shirtプロジェクト等、前線で参加してきた。現在はアーティスト・遠藤拓己と共にdividualの構築をおこなうと同時に、情報プロクロニズムと創造性概念の再構築に関する研究に従事。



当日は併せて、参加者とのあいだで活発な質疑応答を期待したいと考えています。関連分野に関心のある方は、どなたでもぜひお気軽にご参加ください。

ダイビルは秋葉原駅電気街口前の高層ビル。すぐわかります。直接エレベーターで6階にお越し下さい。

http://www.meiji.ac.jp/akiba_sc/outline/map.html

二人一役?

深夜のコンビニで『手塚治虫名作ホラー』(集英社、本体価格524円、418ページ)を買った。この最後の作品「二人のショーグン」は異様な魅力をもっている。では、どこが?

ショーグンは県会議員の息子、落第生。勉強嫌いを嘆いていると、彼が飼っている40匹の猫のうちの1匹、ピンクレディーが、彼の身代わりとなって学校に行くことを申し出る。

身代わりものというとすぐに水木しげる先生の永遠の名作『河童の三平』を思い浮かべるが、このショーグンの場合、両親はショーグンが二人になったことに気づいているのに、それを平然と受け入れるところがなんとも奇妙。背の高さも、性格も、勉強の出来具合もちがう二人を、周囲は同一視する。二人いることを知っていて、それを一人として受け入れるのだ。

これはちょっと、相当変わっているように思う。ぼくはSFをまるで知らないのだが、こうした「二人一役」の例は、文学ではあるのだろうか。

しかし、仮に文学(文字作品)でそれを描いたとしても、二人の見かけの差異を瞬時に表現することはできない。ここにマンガの強さを感じる。ただ「気づいているけど受け入れている」(ちがうことに気づいているけれどおなじものとして受け入れている)という新たな約束事を導入するだけで、じつにふしぎな世界になる。

というわけで、「二人一役」のテーマ、今後の課題です。

Tuesday 25 December 2007

冬休みに入って

大学は冬休みに入った。といっても、いつものように研究室に来ている。

今学期もあとは年明けにまとめのセッションをして、それから最後に期末テスト。特に語学については、はたしてじゅうぶんな効果が上がったのかな、テクストがむずかしすぎたかな、あるいは逆に甘すぎたかな、などと迷うのは避けられない。

それでも今年、特筆すべきはフランス語検定の結果。学年最初から「仏検」を目標として掲げたせいもあって、1年生秋の段階で4級に29名が合格。そしてなんと3級合格者が2名もいた! 2クラスの4割近くがいずれかに合格したわけだ。

3級は通常、フランス語2年を終えた程度の力とされる。ここまでやれば「大学のときフランス語をやりました」と胸を張っていってくれていいと思う。よくがんばってくれたね。これなら辞書を使って簡単な本が読めるはずだし、旅行でも必要な情報は自分で得ることができるだろう。そして、いっそうおもしろくなるのは、ここから。

残念ながら失敗したみんなも、ぜひ来年、またフランス語に挑んでほしい。語学は楽しい。おもしろい。役に立つとか立たないとかは、どうでもいい。楽しいから、やるといい。やればむくわれる。その楽しさの部分を、なんとかもっとわかってもらえるようにしたいと、こっちも思ってる。

来年のフランス語は、2年を1クラスのみ担当。どっちとはいわないが、今年の1年のクラスの1つだよ。少なくとも『シェルブールの雨傘』の詳細な分析を試みることにしたい。また、アニェス・ヴァルダの『落ち穂拾い』とその続編『二年後』をめぐるディスカッションもやるだろう。そして金曜日お昼休みのフランス語クラブは来年も続ける予定。今年、途中で脱落した人たちも、またいつでも復帰してくれ。

ではBonne et heureuse année!

Monday 24 December 2007

VARIGのクリスマス、つづき

ヴァリギ・ブラジル航空のクリスマス・ソング、むかしはぜんぜんちがうメロディーだったことを知って驚き。アニメーションつきの古い歌(歌詞はおなじ)も見られるし、80年代にブラジルの子供たちに絶大な人気のあったモデルのシュシャ(「こどもクラブ」という番組のホステスをしていた)が歌っているヴァージョンもYouTubeで見られます。

http://www.youtube.com/watch?v=Epjwb4ukk3I&feature=related

で、歌詞だけがおなじ。ぼくはいまのメロディーのほうが好き。

Estrela brasileira no céu azul
Iluminando de Norte a Sul
Mensagem de amor e paz
Nasceu Jesus, chegou o Natal
Papai Noel voando a jato pelo céu
Trazendo um Natal de felicidade
E um ano novo cheio de prosperidade

ブラジルの星が青空にあって
北から南へと照らしてる
愛と平和のメッセージ
イエスが生まれ、降誕祭がやってきた
ファーザー・クリスマスがジェットで空を飛び
しあわせな降誕祭を運んでくる
そして繁栄にみちた新年を

ということで、これがこの季節のごあいさつ。

イタリア・ヴィデオアートの現在@早稲田

三宅美千代さん(早稲田大学)からのお知らせです。すごくおもしろそう!以下、ちらしの引用です。

日時 1月11日(金)16:30~
場所 早稲田大学文学部戸山キャンパス
   33-2号館2階第2会議室
入場無料

IDENTITIES IN TOUCH: VIDEO ART FROM ITALIAN TERRITORY
イタリア・ヴィデオアートの現在

 ヴィデオアートというジャンル、それも若い世代の作品となると、イタリア国内でもこれまで十分に分析、議論されてきたとは言えない。60年代から80年代にかけてのイタリアにおけるコンテンポラリー・ヴィジュアルアートは、アルテ・ポヴェラ、フルクサス、コンセプチュアル・アート、環境芸術(environmental art)、ランド・アートの影響を強く受けたが、この時期にヴィデオが作品に用いられることはあまりなかった。イタリアでアーティストが視覚表現の探究のためにヴィデオの使用を本格的に模索しはじめたのは、90年代に入ってからのことである。

 現在では、ヴィデオは多くのアーティストにとって特権的なメディアのひとつとなっているが、その意図や表現方法はじつに様々である。それゆえ、今日のヴィデオアートをめぐる状況を正確に理解把握するのは難しいが(私たちは必ずしもそうする必要はないと考えている)、そうしたなかで、ドグマにとらわれない自由なやり方でヴィデオに取り組むアーティストらの手により、インパクトある作品が次々とつくり出されていることは驚くべきことである。若い世代の作家は、ヴィデオというメディアをすっかり自分のものとして使いこなし、きわめてパーソナルな切り口から現象に深く入り込んだり、リアリティーを追究したり、身近な環境との関わりをもったりしている。

 この展覧会は、イタリアを拠点に活動する若手ヴィデオアート作家8名の作品を取り上げる。Francesca Banchelli, T-Young Chung, Stefania Galegati, Chiara Guarducci, Yuki Ichihashi, Nicola Martini, Olga Pavlenko, Robert Pettenaは、2004年以降活発に作品を発表し、これからの活躍が期待されている1970年代から1980年代生まれの若いアーティストである。この8名には、イタリアで生まれ、教育を受けた人たちのほかに、海外からやってきてイタリア周辺に住んでいる人たちも含まれるが、みなイタリアのギャラリーと仕事をしたり、イタリアのアート・アカデミーで学んだり、イタリアと縁が深い。とはいえ、彼らの作品は特定の文化的、政治的立場を共有するものではない。アーティストたちは、文化的ルーツや背景を模索することよりもむしろ、現実とのかかわりのなかで生じるパーソナルな経験に注目し、思い思いのやり方で作品化することのほうに関心を寄せているようだ。

 したがって、作品を特定のアイデンティティーや概念と結びつけて抽象的、還元的に語ることは避けなければならないと知った上で、もしイタリアで活動するアーティストたちの作品になんらかの共通の特徴を見出すことができるとしたら、それはパーソナルな題材を作品化する際の美学、つまり視覚性、ポエジー、形式面への関心において見出されることになるだろう。ヴィデオは、作家の形式的、言語的、美学的探究に応じて、じつに多様な方法で用いられており、イメージの構造や表象可能性に関する私たちの理解を深めてくれる。

 このイベントが、多様な表現のあいだに生じる対話やダイナミックな関係性を体験する場、ヴィデオアート表現の新たな可能性を発見するための契機となることを願っている。アーティストたちにとって、ヴィデオは自己発見の道具であるのみならず、自分と世界を結びつけるための手段、モノや時間/空間とのかかわりを構築するための手段になっている。静かに物質をまなざしつづけるカメラは、アーティストたちの延長された器官となり、それを通じて彼らは世界を知覚する。その意味で、これらのヴィデオ作品は、「触れること」の探究なのだ。物質性こそが彼らの表現の核にあり、観るものの心に問いを残す。

非所属=コスモポリタニズム?

昨日、22日の英文学会関西支部での発表から、冒頭のみ記します。まだまだ練り上げが必要ですが、ともあれ、端緒の段階の、報告まで。

 一般的な話からはじめたいと思います。恐らく多くの人がそうではないかと思うのですが、ぼくもはたしてどう定義すればいいのかわからないままに、「コスモポリタニズム」という名称をごくおおざっぱな了解のまま使ってきました。そのとき、自分がイメージしているコスモポリタニズムの内容は何なのか。コスモポリタニズムという考え方と態度と行動を現代において成立させる原則は何なのか。その点をいくつか、改めて考えてみました。ここではまず、こうした一般的な話をした上で、20世紀後半以後に活躍した作家たちの中から、地球規模の移動を生き方と創作の基礎におく二人(ともに1940年生まれの、イギリスのブルース・チャトウィンとフランスのジャン=マリ=ギュスターヴ・ル・クレジオ)を選び、簡単なコメントを加えることにします。
 まず、5つの原則をあげてみます。これでコスモポリタニズムというひとつの「主義」の根底にあるすべてを網羅しているとは思いませんが、目立った点はいちおう押さえられるのではないかと思います。お手元にあるハンドアウトに記したのがそれです。

 1 ナショナルな所属を優先させない
 2 ノマディズムの積極的な実践
 3 多言語使用、トランスリングァリズム
 4 ヨーロッパ嫌悪、あるいはヨーロッパが主導し築き上げてきたモダニティに対する批判
 5 寛容という自己契約、それを支える非暴力主義

 これを順次見てゆきましょう。
 第1の「ナショナルな所属を優先させない」というのは、コスモポリタニズムの根源的な約束ごとです。ナショナルな所属が自分に強いる行動に、人間一般についての自分の倫理観に抵触する部分がある場合には、ためらいなくこの「人間」という一般性を優先させる。アンドレ・ブルトンの若いころの友人でブルトンによってシュルレアリスムの創始者とまで呼ばれたジャック・ヴァシェが、結局死ぬことになる戦場から送った手紙の中に、こんな有名な言葉があります。”Rien ne vous tue un homme comme d’être obligé de représenter un pays.” (ひとつの国を代表させられるほどうんざりさせられることはない。)シュルレアリスムという国際的芸術運動をコスモポリタニズムのひとつの発現とみるとき、その背後にあったのが第一次大戦の恐るべき破壊と無意味に対する激しい怒りと拒絶であり、ナショナルな強制力が個人を使い捨て押しつぶすことに対する強い反発だったことは疑えないと思います。あるいはファシズムとそのさまざまなヴァリエーションの場合。ごく一部の集団に対する所属が自分の生死を左右するのみならず、たとえば自分が他人を殺すことを強いるとき、その事態を避けるためにまずしなくてはならないのは「所属」の対象ないしは範囲を決め直すことです。たとえその所属が、いずれにせよ想像的な契約にすぎないものであったとしても、ネーションという想像の共同体よりは、全地球的なヒトの共同体、さらにはゲイリー・スナイダーのような詩人がいう「惑星的・生態学的なコスモポリタニズム」に加担することを選ぶ。そしてこれは別にどちらを選んでもいいという趣味の問題ではなく、まさに自分自身の生存が賭けられた論点として、ナショナルなものからの離脱を積極的に選ぶ。それはあらゆるかたちのコスモポリタニズムのはじまりにあるものでしょう。

 第2の「ノマディズムの積極的な実践」とは、これも直接に生き方の問題です。ナショナルな管理や移動の制限がじつは国民国家の発明だということは、いまではよく意識されるようになったことだと思います。人類史の全体を見わたすなら、むしろ人は動くのがあたりまえだった。定住し、既得権や財産を維持することを第一とする姿勢に入ったのは、ごく例外的なできごとだと考えたほうがいい。ナショナルなものからの離脱を大きな目的とする人がいるとしたら、その人にとっては移動が大きな鍵を握る。もっとも現状ではどこにゆこうといずれかのナショナルな支配圏を逃れることはできず、対外的にはナショナルな身分証明を容易に捨てることができないのですから、要は「外国人」としての生活を探るしかない。「選ぶのか」「強いられているのか」、経済的理由なのか政治的理由なのかを問わず、そのような生き方をしている人の数はいまも激増しています。

 第3の「多言語使用」は「ノマディズム」に深く関わっています。世界のどんな小さな区画をとっても、じつは単一言語の支配圏であるところのほうが少ないのかもしれない。仮に見かけ上、一言語が支配を確立しているように見える地域でさえ、その言語だけでは浮上してこない情報がたくさん水面下に潜んでいるのかもしれない。そして誰にとっても、外国語を介してしか関係を打ち立てられない相手のほうが、この地球上では比べものにならないほど多い。あたりまえのことですが、外国語使用者たちとの生活圏が重なってくればくるほど、どれほど不十分ではあっても外国語の中で関係を作ってゆくことは、単なる実用性を超えて倫理的要請となります。

 第4の「ヨーロッパ嫌悪」とは、つまりは大航海時代以後の過去500年にわたってヨーロッパが作り上げてきた単一の世界システム、世界市場の経済、近代世界資本主義の体制、そのシステムを担うローカルな主体としての国民国家、そこで共有化されるライフスタイルやその背後にある抑圧などに対する批判の気持ちです。「コスモポリタニズム」というとき、両大戦間的なイメージで語るときには、世界システムの肯定の上に立って、自由に使える資産に守られて外国で暮らす、華麗で安逸なひとつのライフスタイルをさすことが普通だったのかもしれません。けれどもその影で、われわれが問題にしているコスモポリタニズムはそれとはちがいます。世界システムとローカルな支配という二重構造の、いずれからも外に出ていきたい、現実にはたせるかどうかはわからないけれども、その閉ざされた限界からの脱出をはたしたいという欲望を、いかに実現してゆくか。それを課題としてきた人たちについて、われわれは語ろうとしているのではないでしょうか。

 そして第5に「寛容と非暴力」を上げました。「全体主義は全体の独占をその本質とする」という三島由紀夫の警句がありますが、さまざまなナショナリズムは人がナショナルなものへの忠誠を全面的に、第一義的に誓うことを求めます。そしてそれは、人々が集団として行使しうる暴力の総体をひとつに束ねておくことを要求する。これに対してコスモポリタニズムは、非対称的な関係にあるのかもしれません。コスモポリタニズムは、いわば弱い立場で自分を定義する。それはひとりの人が「全面的に、つねに」コスモポリタンであることを求めるのではない。逃れがたい所属と所属のあいだで、ときどきふと何かの外側に出てしまう、そんな状態。ひとつの主義として主張するというよりは、ある主義を拒絶するときに浮上する非参加の状態。所属によって強制される暴力の行使を拒否するときの、戦わないという立場。要するに、戦闘的・攻撃的コスモポリタニズムというものは存在しないのではないか、ということです。

Sunday 23 December 2007

ヴァリギ風のクリスマス・ソング

もうしばらく乗ってないけど、かつては「いちばん好きな航空会社は?」と聞かれると、ためらうことなく「ヴァリギ!」と答えていた。そう、ブラジルの代表的航空会社です。

とにかくサービスがいい、乗務員が楽しい、料理がおいしい。雰囲気が全面的にブラジル。といっても、長いあいだ忘れていたそれを思い出させてくれるのがヴァリギのクリスマス・ソング!

http://br.youtube.com/watch?v=avz03lipBxg

いいでしょ?

教えてくれたのはベルリンの友人ベアント。水族館や熊の本を書いているフリーの作家で、かつてシアトルで一緒に勉強した仲間。なぜかその後ポルトガル/ブラジルびいきになっている。

どうせ会社をやるなら、あるいは勤めるなら、あるいは利用するなら、楽しいところがいい。来年あたり、ひさびさにブラジルに行きたいもんだなあ、と夢想するクリスマス。

コスモポリタニズム

日本英文学会には昨年から「関西支部」が設立されたらしく、その第2回大会のシンポジウムのために土曜日、大阪大学まで行ってきた。大阪は雨。モノレールからの風景が外国に来たみたい。

シンポジウムはぼくが尊敬する翻訳家の若島正さん(京都大学)が組織したもの。タイトルは「コスモポリタニズムと英米文学」。まさにいま語られるべき、本質的に重要な問いをいくつも含みうる、主題の設定だ。

まず木村茂雄さん(大阪大学)がコスモポリタニズムをめぐる最近の議論をいくつか紹介した上で、サルマン・ラシュディの『道化師シャリマル』を論じた。まだ読むチャンスがないが、すごくおもしろい作品だということがよくわかる。こういう話はうれしい。ついでぼくが、自分なりの「コスモポリタニズムの5つの原則」を話し、さらにおなじ1940年生まれのブルース・チャトウィンとジャン=マリ=ギュスターヴ・ルクレジオの「世界」への志向性について話した。かれらのコスモポリタニズムは幼児期の戦争の影に対する反応だという立場。

ついで芦津かおりさん(大谷大学)がシェイクスピアのローカル化の例として、蜷川幸雄の演出とその受容を論じた。仏壇の中で戦国時代の武将が争う『マクベス』という発想がすごい。最後に若島正さんが、専門のナボコフと対比するかたちで、現代の若いユダヤ系ロシア系作家ふたりの作品を論じた。ドイツで暮らしドイツ語で書くウラジミール・カミネールとアメリカで暮らし英語で書くゲイリー・シュタインガート。若島さんの話術にひきこまれ、ふたりともむちゃくちゃにおもしろそうに思えてくる。いつか読んでみたい。最後はカリフォルニアの「バラライカ・ロックンロール」のバンド「赤いエルビス」の曲「宇宙飛行士ペトロフ」を聴かせてもらっておしまい。

ぼくが上げたコスモポリタニズムの5つの原則とは、次のようなもの。網羅的ではないが、少なくとも議論の出発点にはなるだけのものがあると思う。

(1)ナショナルな所属を(少なくとも)優先させないこと
(2)ノマディズム(移住、移動)の積極的実践
(3)多言語使用、トランスリングァリズム
(4)ヨーロッパ嫌悪、ないしは「ヨーロッパ主導の近現代」批判
(5)寛容の自己契約、非暴力主義

それからさらに、課題図書としてあげた3冊の本をひとりずつ担当して紹介した。クワメ・アッピアの『コスモポリタニズム』(ぼく)、ピコ・アイヤーの『グローバルな魂』(若島さん)、シェルドン・ポロック他の『コスモポリタニズム』序文(木村さん)。

ここまででディスカッションの材料は豊富に出ているはずなのだが、いざとなると、会場からの質問はゼロ。沈黙。これには正直なところ、愕然とした。こうなると、話しっぱなしのシンポジウムという形式など、まったく無意味だなあと思う。「学会」という場では、どんな話題でもたいがいその話題について話し手よりよく知っている人が何人かはいるものだし、逆に「そこのところぜんぜんわからなかったからもっと説明してください」という意見だって大歓迎。何より、「やりとりがある」ということが、こうした催しの最大の意味だろう。

それとも、話し手に求めるのはあくまでもエンターテインメントであり、その芸があまりに稚拙なので挨拶に困った、というあたりか。それならまあ、わからなくはない。わからなくはないが、学会に娯楽を求めてどうするんですか、とは思う。

確実にいえるのは、こうしたナショナルなくくり(「英文学」だの「仏文学」だの)での文学研究の時代は完全に、そして正当に、終わりを告げているということ。対象である文学テクスト群の有機的な関連を考えただけでそれは明らかだし、作業を実践する側の、現代世界における文学研究の意味と位置と使命を考えれば、いっそう明らかだろう。

ところで、この現在にあって、なお「コスモポリタニズム」という言葉を、まるでファッション雑誌みたいなイメージで捉えている人もたくさんいるみたいだ。別にそういう名称を使う必要はないが、その名にこめられようとしている期待や意志まで否定することはない。文学が作り出すコスモポリタニズムは絶対に必要だし、それはエリート主義とも商業主義とも、ぜんぜんちがう話。

両大戦間の芸術的コスモポリタニズムも、1960年代の対抗文化やヒッピー・カルチャー的コスモポリタニズムも、90年代以降の難民・亡命者・経済移民たちの中から芽生えてきたコスモポリタニズムも、根本にあるのは戦争や社会崩壊に対する怯えであり、それぞれの場所で生存を計るための策略なのだ。

若島さんのお話では、現代ベルリンのロシア系の青年たちが使う「ピジン・ドイツ語」が印象に残った。そんなロシア語まじりのドイツ語をそのまま理解できるだろう日本人というと、まず多和田葉子さんのことを思い出す。ぜひ多和田さんに、いつかそんな話を聞いてみたい。

Friday 21 December 2007

科学者の生涯(2)

メンデルの強さは数学の勝利
12980個の標本から「法則」を引き出した
ワットは子供のころやかんを爆発させ(危険!)
のちには「機関」の大小を分別した
パスツールの実験は「白鳥の首」
ウイルスを知らないままワクチンを作った
ライト兄弟の発明は空飛ぶ自転車
何を思ったか「先翼」という余計なものをつけちゃった
メンデレーエフはシベリア育ちで
政治犯たちから最新科学を惜しみなく教わった
ガリレイってピサの斜塔にほんとに上ったの?
自然を数学で記述したのはたしかに彼が最初
ガウスは9歳のときから気味悪いほどの神童で
60歳になるとロシア語の勉強を始めた
ゲーデルは変人、悲しい「なぜなぜくん」
毒殺を恐れるあまりついに飢え死
ボルツマンにとって時間はどっち向きでもいい
彼の世界はにぎやかな躁鬱病の異邦
北里の功績は「抗体」の発見だが
いったいコカインをどれだけやったのか?

(同書を参照)

Thursday 20 December 2007

科学者の生涯(1)

ニュートンは毎日家計簿をつけて
あらゆる出費を記録していた
アインシュタイン少年はベルンシュタインの
『市民の自然科学』全5巻で理論を学んだ
湯川秀樹は漢学者の家に生まれ
赤ちゃんのとき本の間で迷子になった
学生マリーはピエールの家に遊びにゆき
いつのまにかキュリー夫人になっていた
ファラデーは小学校も出てなくて
数学ができないためイメージで勝負した
エジソンは典型的な「注意欠陥多動障害」
彼の社員は彼が寝るのを見たことがなかった
ラボアジェは天才、でも徴税請負人
人でなしと呼ばれギロチンにかけられた
ダーウィンの母親はウェッジウッドの娘
ダーウィンは生涯、原因不明の病に悩んだ
野口英世はガラガラヘビを素手でつかみ
採取した毒の研究で名を挙げた
ジュールは地ビール屋の次男坊
長さ1メートルの温度計をいつも持っていた

(山田大隆『心にしみる天才の逸話20』講談社ブルーバックスによる)

『ダーウィンの悪夢』(フーベルト・ザウパー)

英語リーディング1年のクラスで、先週ときょうの2週に分けて、ドキュメンタリー映画『ダーウィンの悪夢』(2004年)を見た。

http://www.darwin-movie.jp/

アフリカ最大の湖、ヴィクトリア湖にかつて誰かが放った一匹の魚、ナイル・パーチが発端。外来種がときとしてそうなるように、肉食のこの魚は激増し、他の魚たちを食べつくし、生態系を崩壊させた。

大きく育つこの魚の白身をヨーロッパや日本に輸出するために、工場が作られ、人々が工場労働者になるために集まる。町ができる。現金収入へのドライヴがかかると、伝統経済は崩壊する。工場で働けるものは、まだいい。女性たちのある者は、売春で現金収入を求めるようになる。親たちから捨てられ路上で暮らす子供たちは、暴力を唯一の原理として、生存競争の毎日だ。かれらは犬をいじめる。

魚はロシアの飛行機(パイロットはウクライナ人)がヨーロッパに運ぶ。ロシア機は、いわば長距離トラック。他の国の便よりも安く仕事を請け負うのだ。そしてヨーロッパからのフライトは、人にはいえない物を積んでくる。武器。内戦の支援。アフリカのゆたかな地下資源を狙うヨーロッパ各国は、現地の部族抗争などを巧みに利用し、武器の援助をし、資金を与え、内戦を作り出してきた。

こうなると、人々の中にも戦争を望むものが出てくる。なぜならそれはビジネス・チャンスだから! ヨーロッパ諸国がお金をつぎこむ。援助物資も送られてくる。いまは夜警の仕事をしている元兵士は、戦争になれば人を殺すのはあたりまえ、ためらいはない、と言い切る。

この救いのない話が、さらに近未来においてどうなるかを考えると、戦慄が走る。あのパーチがとりつくされ、絶滅したら? 身の部分は輸出され、残った頭の腐りかかったものを油で揚げて食べている現地の人々は、さらに失職し、現金収入を失ったらどうするのか? 

クラスのディスカッションにもいろいろな意見が出た。誰もどうすればいいかがわかっているわけではない。けれどもこの丸ごとの状況をつきつけられると、もやもやした気持ちがこみあげてくる。

アメリカの軍事予算の3分の1を遣うだけで、世界のどうしようもない貧困(明日まで生きられるかどうかわからないレベルの貧しさ)のかなりの部分が救えるという。ヨーロッパ、アメリカ、カナダ、日本の人々が、1日あたり45セント出せば、相当いい線まで行く。ところがこれは、現在すでにノルウェイの人々が支払っている金額の3分の1よりちょっと多い額にすぎない。そして別にノルウェイ国民は、他の先進国の人々の3倍ゆたかなわけではない。といったことを、ガーナ人の父親とイギリス人の母親をもつアメリカ在住の哲学者クワメ・アッピアが書いている。

どうにも重い話だが、たとえばこうした話題を「語学」の授業でとりあげないかぎり、理工系の学生のほとんどは、意識することすらなく大学を卒業してゆくわけだ。そう考えると、語学は必要だ。それは語学のためだけではない。「世界」に対する「われわれ」の想像を変えるためには、英語もその他の外国語も総動員して、1年生のクラスでも、2年生のクラスでも、粘り強くことに当たるべきなのだ。資格試験のためのドリルなんかに大切な時間を遣っているときじゃない。

ということを再確認しつつ、この授業では、今年最後のクラスとなった。みんな、よいお年を。あとは木曜日の「フランス語1年」×2、そして金曜日の「英語コミュニケーション1年」と「英語リーディング1年」。

Wednesday 19 December 2007

速報! 3月5日のイベント

2008年3月5日、秋葉原のダイビルでは「アキバテクノクラブ レヴュー&プロモーション2008」というイベントが行われます。メイン会場は2Fのコンベンションホール。

われわれ「新領域創造専攻」も、これと連動するかたちで6Fの明治大学サテライトキャンパスを会場として、終日いくつかの企画を用意しようと思います。詳細は年明け早々に発表の見込み。

ダイビルには東大、筑波大、はこだて未来大学をはじめ、いくつもの大学や研究機関が入っています。そうしたあちこちの細胞との連結を作り出すことも大きな目的です。

ご期待ください!

Monday 17 December 2007

「美術手帖」2008年1月号

ついに「2008」という数字を記すときが来た。こわいなあ。でもその恐怖の中、きょう発売の「美術手帖」2008年1月号の表3に、われわれ「新領域創造専攻ディジタルコンテンツ系」の広告が出ました!

今回も宮下芳明さんのデザイン、すっきりしている。「アート、映像、デザイン、ゲーム、音楽といったコンテンツの制作・編集・批評」を志すみんな、ぜひ来春は明治大学秋葉原サテライトキャンパスで会いましょう!

Sunday 16 December 2007

オリシャのリズム

明治大学リバティーアカデミーのオープン講座『偉大なるアフリカ=ブラジルの精神文化、オリシャ信仰と音楽』を見に、聴きにゆく。

地理学者の江波戸昭先生がずっとコーディネートしている「世界の民族音楽を聴く」シリーズの枠。今回はパーカッショニストの翁長巳酉さんと彼女のグループ。翁長さんとひさびさに再会し、大変に楽しいひとときとなった。

彼女は80年代、伝説のグループ「じゃがたら」にも参加していたミュージシャン。リズム道を追ううちに、ブラジルの宗教儀礼音楽をめぐる旅がはじまり、カンドンブレ(アフリカ系の信仰)やウンバンダ(こちらは完全にブラジル起源)のテヘイロ(祈りの場)をめぐり、歌とリズムを学んできた。リオにはじまり、バイーアへ、さらにペルナンブコやマラニャンゥへ。田舎へ行けば行くほどアフリカが強烈に残存し、無限に新しい発見がつづく。

なんだかんだで10数年ブラジルに滞在し、いまもしょっちゅう出かけては音と律動と人々の祈りを体験している、すごいつわもの。文化人類学者だって、ここまで徹底的な調査を持続的にしている人は、絶対にいない。

たとえばマラニャンゥ州では、「コドー」の村に住んだ。もともとの奴隷村。といってもブラジルの奴隷たちは、ここに住み、ここから出勤し、帰宅すればそれなりの自由があったというのだから、奴隷といってもカリブ海なんかとはかなりニュアンスが違うのかもしれない。そのコドーはいまも残り、それぞれに独自の伝統を維持している。

おもしろい映像、お話、そして実際の演奏、踊り。友人たちと堪能することができた。

巳酉さんの意見で印象に残ったのは、次のこと。かれらは踊っているうちにトランスに入るけど、どれだけ入っても「自分が神にならない」。これがいろんな現代カルトとまったくちがうところで、自分が全権を握ることが最大のポイントとなるような教団とは、まったく正反対のベクトルをもつ。目指しているのは敬虔さであり、コミュニティ運営の知恵なのだ。

巳酉さんは、ぜひまたいつか明治に別のかたちでお呼びしたいと思う。彼女の活動についての告知は、これからここにも随時掲載します。(さしあたっては明日12月16日20時から西荻のアパレシーダ(03−3335−5455)でウンバンダとカンドンブレの儀式の記録ビデオの上映会があるそうです。)

終了後、たまたま来ていた友人たちとランチョンにゆき、談笑。24歳(カワチくん)から49歳(ぼく)まで、8人で死ぬほど笑った。迫るいくつものしめきりを、このときばかりは忘れて。それもこれもブラジルの、アフリカの力の一部なのだ。

Thursday 13 December 2007

『燃えるスカートの少女』文庫版完成!

カリフォルニアのユダヤ系女性作家エイミー・ベンダーの最初の短編集『燃えるスカートの少女』(日本語訳、2003年)が角川文庫に入りました! 本日、見本が完成。22日発売です。

http://www.kadokawa.co.jp/bunko/bk_detail.php?pcd=200608000276

オビはよしもとばななさん、解説は堀江敏幸さんという、考えられない豪華な顔ぶれ。お二人には、ただただ感謝あるのみです。

文庫化に当たって、訳文を全面的に見直しました。たぶん、すでに読んでいただいた方にも、まったく新しい作品として読めるのではないかと思います。

ぜひ、生まれ変わった『燃えスカ』をよろしく!

Wednesday 12 December 2007

昭和30年代の東京、あるいはそれ以前

友人の音楽評論家・小沼純一さんがこのあいだベトナムにゆき、ハノイの街が「まるで昭和30年代の東京みたいだった」といっていた。ぼくはそのころの東京を知らないが、名古屋は知っている。名古屋はそのころ東西に市電が貫いて走っていて、うちからは東山動物園まで市街地横断旅行を楽しめた。たぶんずいぶん時間がかかったんだと思うが、そして料金もまったく覚えていないが、「市電」ほどのんびり楽しく優美な乗り物はないといまでも思う。都心からは自動車をしめだし、ただで乗り放題の市電を主要交通機関としてほしいものだ。

昨夜は『GHQカメラマンが撮った戦後ニッポン』(アーカイブス出版)という本を見ていた。昭和20年代、敗戦後の日本のカラー写真は全般的に妙に明るい。銀座4丁目や、宮益坂/明治通りの交差点は、たしかにひどく変わっているものの、面影がある。大きなちがいはアメリカ兵とMP(軍警察)の存在か。

それでもこの風景からさほど隔たっていない時に、ぼくらは生まれたわけだ。都市が姿を変えるのはあたりまえだが、土地の所有権をもつ者が変わらないかぎり、変わらない部分が点在する(この写真集でいえば新宿。中村屋はいまのままの位置、ただし隣の古書店「大東京書房」はいまはあとかたもない)。

これから半世紀経った、2057年の東京はどうなっているのだろう? 願わくばその多くの部分が森に還り、現在の数倍の種類の鳥たちが住む都市となってほしい。鳥の種類の多さが、土地の森林の濃さや多様性の端的な指標なので。そのために「土地をあきらめる」人たちが、これから少しずつでも出てこないものかと思う。

Tuesday 11 December 2007

「打ち上げ」とは?

何か、一仕事片付いたとき、それを祝って集まることを「打ち上げ」といいながら、その元来の意味を知らない。もともとどんな業界の、どんな場合に使われてきた呼び名なのか。

思ったのは、英語のlaunchingのこと。たとえばbook launching といえば本の出版記念イベント、ふつう朗読会やサイン会が一緒になっている。launching 自体はロケットの「打ち上げ」のことでもあり、この「送り出す」儀式という意味はどうも日本語の「打ち上げ」の意味に近いような気がする。

手がかりを求めてネットを検索したら、ぜんぜん関係ないこんな画像にぶつかった。

http://www.seihin.com/s/2007/02/26_2327.php

なるほど、たしかにこれも「打ち上げ」。発明者はデヴィッド・レターマンのショーにまで出ている。

こうして連想の糸が、またひとつ人類の愚行を教えてくれたのだった! どうも最近はこうして無意味の森をさまようことが多くなってきた。そのせいで生きる時間をむだにしないようにしなくちゃ、と自戒。

Sunday 9 December 2007

アフリカのポップカルチャー(一橋大学)

ひさびさに国立へ。一橋大学でのアフリカ文化研究会を見物に行く。

第1部は大学院博士課程の3人の発表。

まず岩崎明子さんが、三重県のマコンデ美術館にある来館者の感想ノートの分析。これがアフリカだ、本物だ、とさしだされるモノに対して日本人が見せる反応の奇怪さが興味深い。スゴイものをまのあたりにして胸の高まりに耐えきれなくなると、つい意味不明なイラストを描いてしまったり。そもそも、なんで三重県にマコンデ彫刻の専門美術館ができたんだろう? これはいちど行ってみなくちゃ。

つづいて小川さやかさんがタンザニアのスワヒリ語ラップ(+いろんなジャンルの融合)である「ボンゴ・フレーバ」を概説。ボンゴとは「脳みそ」のことらしい。ということは「脳みそ風味」か。ストリート音楽だが、路上商人(マチンガ)たちの意識のキーワードである「ウジャンジャ」がおもしろい。スワヒリ語で「かしこさ、ずるがしこさ、狡猾さ」を意味するのだそうだ。生活感覚、問題解決、いろんな場面でのとっさの判断のバランスのよさ。わからないことをわからないままにしたり、都合をつけあったり、許しあったり。じつは相当な普遍性のある知恵なのではないかと思った。

最後に古川優貴さんの大変におもしろい発表。ケニアの聾学校に住みこんで調査を続けてきた彼女がYouTubeその他から拾ってきた映像を編集した12分の作品をまず見て、それからその背景の解説。歩くこと、人々の動きのシンクロの秘訣としての呼吸、手話とその反転。結論にはむすびつかないが、なんとも興味深い。思考がでこぼこしている感じ。

休憩を挟んで後半は、最高の顔ぶれ。まず、アフリカのストリート音楽の研究で知られる鈴木裕之さんがワールドミュージックの展開をまとめて話してくれて、90年代前半、じつは東京にはすごくいろいろなアフリカのミュージシャンが来ていたことを知る。重要な働きをした組織のひとつがカンバセーション(まえにディジタルコンテンツ学研究会のゲストとして来ていただいた前田圭蔵さんの会社)。ぼくはそのころずっと日本にいなかったので、何の動きも記憶にないのは当然だった。

ついでわれらがレゲエ博士、鈴木慎一郎さんの登場。聞かせてくれた焼津のレゲエ歌手パパユージがおもしろかった。今年、「焼津魚市BASH2007」というイベントがあったそうだ。

http://www.uoichibash.com/

焼津旧港のかまぼこ型の建物の保存を訴えていたのだが、その願いもむなしく、建物はすでに解体されたという。レゲエと「郷土愛」というテーマの存在を教えられた。

それから岡崎彰さん。最近は土日はずっとYouTubeでfield trip(調査旅行)をしているそうで、アフリカ音楽だけでもものすごい数の映像=音がアップされては消えてゆくらしい。そしてひとりのミュージシャンのスタイルの変遷まで、場合によっては追えるそうだ。ディジタル人類学はもはや夢想ではなく実用・実践の段階に入っていて、ふつうなら見られない聞けないものが、ごろごろと畑のじゃがいものように埋もれて転がっていることを再確認。

もちろん、十分じゃない。もちろん、ただのイメージと音でしかない。でもそれが見せてくれるものの意外さとゆたかさは、相当いろんなことを教えてくれる。

とっぷり暮れて、岡崎さんのお話が終わらないうちに失礼したら、外は雨。遠いアフリカ(どこの?)を思いつつ、濡れて帰ったら風邪を引いた。

Saturday 8 December 2007

「読んで生き、書いて死ぬ。」(高山宏)

これは「学魔」高山宏さんが紀伊國屋書店のサイトで連載しているウェブ書評のタイトル。現代日本の孤高最大の英文学者が発するこのひとことに、戦慄せずにいられる人はしあわせだ。「読んで生き、書いて死ぬ。」彼の覚悟に比べたら、われわれは誰も何も読んでいない。

そのコーナーで高山さんが『秘密の動物誌』(ちくま学芸文庫)について、鋭利かつゆったりとしたひろがりのある書評エッセーを書いてくださったのを、友人が教えてくれた。これはほんとうにうれしい!もちろん、それは二人のカタロニア人原著者の栄光なのだが、翻訳者という名の代書人だったぼくとしても、それなりに非常にうれしい。これで、「豆本」的体裁の文庫本として生まれ変わった本書が救われた。

高山さんは原著者二人の「制作ノート」のためだけにでも、この本は買う価値があるとおっしゃっている。かといって、みんな、そこだけ立ち読みですまさないでくれよ。ひとつひとつの写真のバチバチと火花が散るほどのおもしろさは、それでは味わえない。ぜひ机の上に一冊、並行世界への扉として、この際そろえておこう。

『秘密の動物誌』につづいて、高山さんの書評はすでに田中純さんの出たばかりの『都市の詩学』(東京大学出版会)も取り上げていた。これは畏怖すべき書物で、ぼくにとってはクリスマスの宿題、熟読しなくちゃ。ぼくもせめて「少しだけ読んで生き、少しだけ書いて死ぬ」気持ちを持ち続けようと思う。

紀伊國屋書店のこの「書評空間」、充実している。旅と文章の達人・大竹昭子さんも書いている。在野の哲学者として充実した仕事を重ねてきた中山元氏も書いている。印刷媒体とちがって長さの制限にしばられないのがいい。ぼくも十年前、「カフェ・クレオール」でやっていた「コヨーテ歩き読み」のようなウェブ書評を、そろそろ復活させようか。

Thursday 6 December 2007

冬の音楽祭(洗足学園音楽大学)

作曲家の宮木朝子さんから、以下のお知らせをいただきました。音楽と映像のむすびつきに関心のあるみんな、土曜日にはぜひ出かけてみてください。洗足学園は生田からも遠くないし。きっといろんな着想が得られると思います。

(以下、引用)

現在、川崎・溝ノ口の洗足学園音楽大学にて、冬の音楽祭という恒例のイヴェントが開かれております。今週末、8日(土)の午後から夜にかけて、所属の音楽・音響デザインコースで担当しております「音楽音響空間創作ゼミ」のイヴェントが学内スペースでひらかれます。

武蔵野美術大学映像学科のクリストフ・シャルル、三浦均両氏をお迎えし、ご担当の映像学科ゼミ生の映像と8スピーカーのリアルタイムコントロール音響空間で音と映像のコラボレーションイヴェントを行います。

音大、美大の学生の交流の目的もあり、学生主導のプロデュース、作品となります。

ご多忙のところ間際のご案内で恐縮ですが、ご都合よろしければぜひご来場いただき、ご高評いただければ幸いです。入場は無料となっております。(期間中、学内数カ所にて様々なコンサートもひらかれております。)

下記のページに情報がございます。

http://ssc.o-oku.jp/1208.html

Wednesday 5 December 2007

FIGARO Japon(12/20)

本日発売の「フィガロ・ジャポン」12月20日号は「目覚めよ、私! フィガロの読書案内」と題した恒例の読書特集。ぼくはアメリカの小説家エイミー・ベンダーへのインタビュー(pp.44-45)と「フィガロ読書倶楽部」に推薦本3冊の紹介文(p.53)を寄稿しました。

推薦本はガイジンのニッポン滞在記で、以下のとおり。

イザベラ・バード『日本奥地紀行』(平凡社)
ポール・クローデル『天皇国見聞記』(新人物往来社)
ニコラ・ブーヴィエ『ブーヴィエの世界』(みすず書房)

ぼくが訳したエイミー・ベンダーの短編集『燃えるスカートの少女』は今月22日に角川文庫版が発売されます。また第2短編集『わがままなやつら』も来年早々、やはり角川書店から刊行です。

今年のクリスマスには『燃えスカ』を読もう、贈ろう! 

Tuesday 4 December 2007

シンポジウムは成功!

2日の日曜日はまずまずおだやかな一日で、朝からお茶の水へ。「新領域創造専攻」のシンポジウムが午前と午後の2部構成で行われた。

午前の「安全学系」は、現代社会生活におけるいろいろな安全への配慮をめぐって、多岐にわたる興味深い議論がていねいになされた。ついで午後がわれわれの「ディジタルコンテンツ系」で、この分野の未来、「次の一手」を占う、という大きな目標を掲げた。ぼくは午前、午後とも、あいまにアナウンス役で舞台の裾に立ったのみ。DC系の構想は、みずからアーティストでもある宮下芳明さんのヴィジョンに、すべておまかせ。

まず、メディアアーティスト岩井俊雄さんの新楽器TENORI-ON。パンチカードのようなものを入れる手回しオルゴールを逆回転させることから思いついたという、開発にいたる長い歴史がテンポよく語られ、ぐんぐん引きつけられる。たとえばシンセサイザーができたとき、インターフェースとして採用されたのはむかしながらの「鍵盤」だった。20世紀のさまざまな新たな楽器で、インターフェースの問題を根本的に問い直したのはテルミンしかない。そしてこのテノリオン。そう解説されると、なるほど! と大きくうなずく。先行発売されたロンドンではすでにいろんなミュージシャンが使いはじめ、ビョークは5台も購入したらしい。まちがいなく来年はテノリオンの年だ。

岩井さんと、共同で開発にあたったヤマハの西堀さんによる、テノリオン2台の演奏に息を飲んだ。これ、欲しい。日本での発売が待ち遠しくてならない。(http://www.yamaha.co.jp/design/tenori-on/)

休憩後、シンポジウム。「初音ミク」の企画者、今回のゲストでいちばん若い佐々木渉さんの話に、「初音ミク」がお目当てで来た学生たちは大満足。ついで書道家の武田双雲さんは、でっかくて元気で、そこにいるだけでポジティヴなエネルギーを発散している。デジタルステージの平野友康さんは、ディジタル技術の時代ならではの新たな企業文化や人間関係をこの上なく真剣に模索しているし、ゲーム・プロデューサーの水口哲也さんの宇宙論的な発想と魅力的な話しぶりには、みんな大きな感銘を受けていた。

終了後、しばらく談笑。会場の時間切れで話し足りなかった分を、またいつかパート2としてやろうとのこと。ぜひ企画してみたい。みんな若い、熱い、真剣だ、そして心の気前がいい。発想をどんどん話し、互いにそれを受け取り、またそれぞれの場所に帰ってゆく。新しいかたちの意識の共有、そして共同作業の可能性に、ディジタル技術は大きな地平を開いてくれる。少なくともそのことだけは、強く確信させてくれる一日だった。

アカデミーホールに集まってくれたみなさん、ありがとうございました! 

Saturday 1 December 2007

未踏領域=明治

けさ(11月30日)の朝日新聞を見た人は、社会面下の方に紙面を横断する帯のように入った広告に驚いたと思う。「シルヴィー・バルタン」や「フジコ・ヘミング」のコンサート広告、そして造幣局の「ニュージーランド銀貨幣」の広告などと並んで、明治のシンポジウム、つまりわれわれ「新領域創造専攻」のシンポジウム広告が掲載されている。

コピーは「未踏領域に切り込むのは、明治だ。」

これはわが若き同僚、宮下芳明さんの作。コピーからデザインまで、彼の率直で力強いセンスがはっきり表れている。

いよいよ明後日の日曜日だ。ゲストのみなさんも、万全の準備をもって臨んでくださることは確実。思いがけない、誰も見たことのなかった映像を見られるかもしれない、誰も聞いたことのなかった音を聞けるかもしれない。

ぜひお茶の水で途中下車してでも、明治大学アカデミーホールを覗いてみてください。

Tuesday 27 November 2007

YouTube

いまさらといわれそうだが、YouTubeは本当に楽しい。特に楽しいのが、むかしのヒット曲を映像つきで見られること。ぼくにとっては小学校から中学にかけての1970年前後のいくつかの歌のすばらしさを、何度でも楽しめる。

たとえばウェールズ出身のMary Hopkin (1950-)の大ヒット曲Those Were the Days とか、Melanie Safka (1947-) の「ローラースケートの歌」として知られるBrand New Keyとか。大好きだった歌を改めて聴くと、その声のよさ、歌のうまさにほれぼれする。メラニー(当時の)の声、好きだなあ。絶品です。もっとも年をとってからの歌い直しは、ぜんぜんよくない。

ポップ歌手の声というと大好きなのがフランス・ギャルなんだけど、発見したPoupee de Cire, Poupee de son のたぶんテレビ番組の映像は、ちょっとがっかり。歌がはずれ。メラニー(当時の)みたいなスリリングなバランスがなくて。でもその表情を見ていると、並のアイドル100人分くらいの、すごいカリスマがある。歌詞のきれめでちょっと唇をかむみたいにするところや、歌が終わってからの晴れやかな笑顔など。しかしこれも、後の「口パク」になると、ぜんぜんよくない。音程がはずれていても、やはりライヴの魅力か。

他にもぼくがたぶんアメリカ先住民歌手の存在を最初に意識したBuffy Sainte-Marie がPete Seegerと一緒に歌っている映像とか。不思議な楽器を演奏している姿も見られる。こうした白黒時代のテレビ映像がとりわけおもしろい。

こうした文化資源のアーカイヴにどんどん手が届くようになったんだから、すごい。もう現代を忘れ、こうして過去に遊んで暮らすのもいいかな、という気になる。すると一年や二年、すぐ過ぎるだろう。

Monday 26 November 2007

DC系ホームページ開設!

2008年4月からはじまるわれわれの「ディジタルコンテンツ系」のホームページが開設されました。

http://www.dc-meiji.jp

これからどんどん内容を充実させてゆく予定。ときどきチェックしてみてください!

12月8日とアフリカ

岡崎彰さんという最高におもしろい人類学者が一橋大学で主催するアフリカ・セミナーが、12月8日に行われる。アフリカ、ヒップホップ、ダンス、ジェンベ、レゲエ、ひとつでも好きなものがある人は、ぜひ、遊びに行こう。まちがいなく目から鱗が落ちまくる! 気楽に参加できる場になることは確実なので、学部生のみんなもどうぞ!


【第89回】 アフリカセミナー 特集 『アフリカのポピュラーカルチャー』<第三回>

12月8日(土)13:30から18:00まで(13:15開場)入場無料・事前申し込み不要@一橋大学東2号館AV2202号室
(http://www.hit-u.ac.jp/guide/campus/campus/index.html)

岩崎明子「アフリカ・ポップ・アートのグローバル化と西欧的主体の成型:マコンデ、ティンガティンガ、シェタニ画の場合」
小川さやか「ウジャンジャというポップ・アート」
古川優貴「HipHopに音は入らない:YouTube、手話、ケニアの聾学校」

「鼎談:ポスト・ワールド・ミュージック時代のアフリカのポップミュージックとその受容・変容・借用・流通」鈴木裕之、鈴木慎一郎、岡崎彰(質疑・補足は金子穂積と小川さやか、司会は近藤英俊)

18:15以降(till dawn?)、東本館社会人類学共同研究室にて懇親会(費用実費・参加自由)

問い合わせ先: 岡崎彰 (一橋大学) TEL: 042-580-8960  E-mail: akira.okazaki@srv.cc.hit-u.ac.jp

Sunday 25 November 2007

秋の青空、昼も夜も

いま、生明祭が進行中。明治大学生田キャンパス(理工学部・農学部)の学園祭だ。ぼくは学生部委員なので、関連の仕事はまず「お祓い」から! 木曜日、キャンパス内の生田神社に神主さんを呼んで、年に一度のお祓いをする。神社、ついで動物慰霊碑、ついで体育館(神棚のある柔道場)。神社は小さなものだが、すでに葉が色を変えはじめた木々の下で神主さんのコトバを聴きつつ空を見上げると、青い青い青空。

翌日、金曜日からが本番で、キャンパスの巡回業務。部活の発表でも模擬店でも、語学の教室では眠い顔をしているみんなが、やたら元気だ。巡回で楽しいのは農学部エリア。農場でとれた野菜類ばかりか、本格的なりんごやラ・フランスなんかも売られていて、近くの住民の人たちが殺到している。これほど確実な「地域貢献」もない! 最高の人気は花卉園芸部が作る花や観葉植物。去年、ベスト展示に選ばれたが、これはどこの花屋さんにも負けないくらいで、しかも安い。このときちょっと目をつけておいたサボテンの大きな鉢、あとで買いに行きました。研究室のテーブルに、猫のようにすわらせてみた。

土曜日は巡回からはずしてもらい、夕方から早稲田大学英語英文学会での講演。あいにく、尊敬する翻訳家・若島正さんの講演と完全にバッティングし、『ロリータ』の名訳に魅了された人たちはそちらに流れたようだ。ぼくだって、そっちに行きたかった! これでこちらの聴衆はかなり減ったが、かえってリラックスした、親密な雰囲気でできてよかった。来てくれたみんな、終わってから話もできなくてごめん。またゆっくり。

講演のタイトルは『翻訳=世界=文学』、サブタイトルが「ヘレン・ケラー、バベル、パンの名前」。感覚を遮断されたヘレン・ケラーにとっての言語の力、旧約聖書のバベル神話への疑問、そしてマサチューセッツのシリア系移民にとっての翻訳不可能なパンの名前をめぐる話。これまでにぼくが人前でした話の中では、たぶんいちばん重要なもの。それから「翻訳世界文学」の実例としてアティーク・ラヒーミー『灰と土』、チママンダ・アディーチェ『アメリカにいる、きみ』、シルヴィー・ジェルマン『マグヌス』の3冊の紹介。終わって外に出ると、大隈講堂の真上、快晴の夜の青空に満月。あまりに絵になる風景だった。並木道と講堂に、絶妙な角度をつけている。

これでひとつ、気持ちの上で大きな仕事が片付き、次は年末、大阪での英文学会、若島さんたちとの「コスモポリタニズム」をめぐるシンポジウムが待っている。あとは遅れている原稿いくつかと、大幅に遅れている翻訳。関係者のみなさん、すみません。今年はあまりに早く終わろうとしているからびっくりしているが、今日もこれから生田へ。巡回、それから顔を見せる卒業生のやつらと、これも農学部名物のジンギスカンでも食べながら乾杯しようか。

Friday 23 November 2007

アフンルパル通信

北の都会、札幌の古書店・書肆吉成が年3回出している小冊子が「アフンルパル通信」。アフンルパルって何? 調べてごらん。「通信」は題字が現代日本最大の詩人、吉増剛造さん。ぼくはここにAGENDARSと題する連作の詩を連載している。写真も、文章も、毎号このうえなく充実している、すばらしい小冊子だ。札幌に根ざし札幌の地平を超えてゆく、小さな冒険の足跡。ぜひ手に入れて、読んでみてください。そして本を整理しようと思ったときには、ぜひ吉成くんに連絡を!

http://diary.camenosima.com/

Thursday 22 November 2007

「世界文学」のほうへ

20日(火)、池澤夏樹個人編集という画期的な「世界文学全集」(河出書房新社)の発刊を記念するシンポジウムを聴きに東大文学部に行った。今学期、非常勤でフランス語系アフリカ文学を教えている東大駒場の学生のみんなと。本郷キャンパスは闇が濃くて、さすがに歴史を感じさせるが、構内にカフェができたりして東大もずいぶん変わったもんだ。それはともかく。

現代日本語の作家でたぶんもっともよく「世界文学」に自覚的な、つまりは「翻訳文学」をもっともよく読んできたひとりであるにちがいない池澤さんは、前日に現在住んでいるフランスから着いたばかり。進行はアメリカ文学の小さな巨人、柴田元幸さん。他のパネリストはロシア・ポーランド文学の沼野充義さん、そしてトロントのヨーク大学で教えるデンマーク出身の日本文学者テッド・グーセンさん。すばらしい顔ぶれで、世界文学をめぐる笑いの絶えない楽しい議論が続いた。

池澤さんのお話では、24冊を選ぶことの意味、が印象的だった。根拠なく24、しかしその限定が大切。限定されていて、なるべく普遍的なものをめざす。全体として、The world according to Literature、つまり「文学によると、世界は」という像を提示する。

このシンポジウムのタイトルは「世界解釈としての文学」だったが、これを柴田さんは「私にとってセカイってこういう感じです、という自由研究の発表みたいなもの」とさらりと表現していた。なるほど。この24冊のセレクションに日本文学は入っていないが、もし入れるとしたらどうするというグーセンさんの質問に対して上がった大江健三郎、中上健次、村上春樹という名前に、池澤さんがさらに石牟礼道子『苦海浄土』を加え、もし一冊となったらこれ、とおっしゃったのには感動した。

柴田さんとは数年前の立教のシンポジウムで、沼野さんとは昨年の名古屋市立大学でご一緒したが、お二人ともほんとうに話し上手。そして柴田さんのユーモアは、いつも見習いたいと思いつつ、はたせない。ユーモアと即興の才は「話」の決め手だが、文学という「文」の仕事もじつは「話」の裏打ちに支えられてゆたかになることを、改めて思った。

この世界文学全集の第1回配本は青山南さんによるジャック・ケルワックの『オン・ザ・ロード』。ぼくにとっても特別な作品だ。シリーズの刊行を追いつつ、ぼくも「世界文学」との関係を新しく考え直してみたい。この土曜日には早稲田で講演する。タイトルは「翻訳=世界=文学」。構想は固まってきたが、これから準備。興味がある人は、覗いてみてください。

Tuesday 20 November 2007

私の世界にいらっしゃい

土曜日、ディジタルコンテンツ学研究会も第7回。ゲストに映画・美術研究の平倉圭さんをお迎えし、現代における、分身やシミュラクルの問題を語っていただいた。中心となったのはスティーヴン・スピルバーグ監督の『マイノリティ・リポート』(2003年)とトニー・スコット監督の『デジャ・ヴュ』(2006年)の分析。現実がいかに映像に蚕食されてゆくかを語る2作品の不気味な魅力を思い知らされた。

特に気に入ったのが、ミシェル・ゴンドリー監督によるカイリー・ミノーグのビデオクリップ、Come into My World。ゴンドリーのEternal Sunshine of the Spotless Mind がぼくは大好きで、毎年、英語の授業で見せている。このクリップは知らなかったが、クレイジーな傑作! 早速買ってきて、毎日観ている。

ご自身もアーティストで映像を使ったインスタレーションを作っている平倉さんの今後に期待したい。平倉さんは、ぼくの若き友人でフランスの作家=詩人=アフリカ研究者ミシェル・レリスの研究者である大原宣久くんの友達でもある。この2人は1977年生まれ。冒険家・写真家の石川直樹さんもそうだ。あるいは明治理工での英語の同僚、謎のアメリカ作家ピンチョンの研究者である波戸岡景太さんも。

そしてわれらがディジタルコンテンツ系の同僚、宮下芳明さんが1976年生まれ。みんなぼくとは20歳近く違うが、最近はこの世代の人たちから受ける刺激がもっとも内実があるような気がする。

40歳を「不惑」とはよくいったもので、40歳を超えると新たな方向を探るよりは、それまでの方向の完成や洗練に目が行くのは避けられないだろう。それに比べて、30代は試みの歳月、実験の年齢。ぜひどんどん新たな地平を広げてください。

Sunday 11 November 2007

Tenori-on

12月2日のわれわれのシンポジウム(新領域創造専攻設立記念)の午後の部の幕開きである、岩井俊雄さんによるテノリオンのデモンストレーションが楽しみでならない。どんな楽器なのか、どんな風に演奏するのか、まだよく飲み込めないが、すでにYouTubeにはいくつもの動画が載っている。

もっともわかりやすいのは、これ。

http://www.youtube.com/watch?v=_SGwDhKTrwU

小学生に見せたら、興味津々。子供からプロの音楽家まで、誰でもその人なりに楽しめそうだ! とりあえず現物にふれてみたいが、発売とともに品切れになるかも。

書物復権2007

10日(土曜日)、新宿の紀伊國屋ホールでの「書物復権2007」第2回「大学の知、街の知」というパネルに参加。

http://www.kinokuniya.co.jp/01f/event/shinjukuseminar.htm

佐藤良明さん、坪内祐三さんと、1時間40分ほど、<現在>の<教養>について議論した。

ぼくの話は、教養一般なんてどうでもいい、教養とは個人的な追求にすぎない、そして人々の<空間的配置>を決めるような教養、<商品知識>に還元されるような教養にだけは断固反対しなくてはならない、というものだったが、そのあとでアメリカの大学の思い出を話しはじめたあたりで脱線。そのまま立ち直れず、聞いていた人にとっては「?」になってしまったかもしれない。ごめんなさい。

それでもいくつか、興味深い論点を出せたと思う。またアメリカ60年代の対抗文化がしめそうとしたものこそ、現在でももっとも根源的な問題なのだという三人の共通の了解も、なんとなく伝わったのではないかと思った。聴きにきてくれた友人たちには、ありがとう。

佐藤さんはぼくがもっとも敬愛するアメリカ文学者。稀代の読書家で同時代の歴史家である坪内さんは初対面だったが、同い年で、70年代中期の「宝島」の愛読者だった点をはじめ、共通する経験がたくさんある。ぼくらはたぶん70年代に芽生えたある種の別の文化への期待を核にしてその後ずっと生きてきた世代で、この期待のイメージ(消費社会と序列化・階層化の文化に対する抵抗の気持ち)だけは、死ぬまで持ち続けるだろう。

限られた時間で言葉にすることのできたことはごくわずかだったが、また機会があれば、佐藤さんや坪内さんとの対話を続けてゆきたい。お世話になったみすず書房や紀伊國屋書店をはじめとする「書物復権」8社のみなさま、ありがとうございました。「本」が担うものは不滅です。良い本との孤独な、沈黙の対話以外に、われわれの生に道をしめしてくれるものはありません。これからも書物の生産・流通・受容のそれぞれの現場で、がんばってやっていきましょう!

Thursday 8 November 2007

翻訳ことば

最近、ちょっと気になったこと。

お店なんかで、たとえば「〜はいかがですか?」と訊かれたときに「だいじょうぶです」と答える人が(若者が)増えている。つまり「結構です」の代わりの表現。気になったので英語の時間、みんなにどちらを使うかたずねてみた。ほとんど半数が、「だいじょうぶです」に手を上げた。

ふうむ。用が足りるんだからどっちの言い方でもいいようなものだが、問題はこれがアメリカ英語からの翻訳みたいに思えること。つまりもともとは"No, thank you"といってたところで"It's all right"という人は、たしかに(これもたぶん若者ことばとして)増えている気がするし、それがどうもそのまま直訳的に日本語にもちこまれているような気がするのだ。

別に良い悪いを論じるつもりはないが、ある言い方について「これはたぶん翻訳である」という意識は、誰にとっても持っていいものではないかと思う。そして良い悪いを論じるつもりはないが、ぼく自身は「だいじょうぶです」は「お怪我はありませんか」といった状況での返答に限るだろう、これからも。

追記。でも思えばそもそも「結構です」だって"That's fine"の翻訳だったのかも。言い方の起源て、はかりしれない。

Wednesday 7 November 2007

『秘密の動物誌』復活!

バルセロナの二人のアーティストによる奇想天外なプロジェクトがFauna Secreta。その内容をここで明かす訳にはいきません。

1991年にぼくの訳で出版され一大センセーションを巻き起こした快著=怪著が、装いも新たに「ちくま学芸文庫」から発売されます。不思議な豆本のような雰囲気になりました。監修者・荒俣宏さんの文章を含め、オリジナルはそのまま収録されていますが、それに加えて茂木健一郎さんが「文庫版解説」を寄せてくださいました。「甘美な後悔の中にこそ」と題された、すばらしいエッセーです。

ぜひ書店でごらんください!

ジョアン・フォンクベルタ+ペレ・フォルミゲーラ『秘密の動物誌』(ちくま学芸文庫、1500円)

新領域創造専攻 発足記念シンポジウム

以前にお知らせした12月2日のシンポジウム、以下のように開催されます。ぜひ! お誘い合わせの上、お出かけください。

われらがディジタルコンテンツ系は午後。すごい顔ぶれです。これは見逃せない! 音とイメージの未来が現前します。特にメディアアーティスト岩井敏雄さんの新楽器Tenori-onによるライヴは必見です。


 明治大学 大学院 理工学研究科
 新領域創造専攻 発足記念シンポジウム のご案内

 12月2日(日)明治大学アカデミーホール
 入場無料・事前予約不要

 明治大学理工学研究科に新たな専攻「新領域創造専攻」が誕生します。確立されている学問分野や産業分野に対して,どの領域にも属さない,しかもどの領域とも関連する,新しい,チャレンジングで横断的な領域の芽は,次の時代を築く新しい学問や産業が生まれ育ち,次の時代の主流になって行きます。

 (シンポジウム Webサイト)
 http://www.meiji.ac.jp/sst/sympo-web/index.html

 (合同リーフレット PDF形式 850KB)
 http://www.meiji.ac.jp/sst/sympo-web/1202goudou.pdf


【開催要領】
 期日 2007 年 12 月 2 日 (日)
 会場 明治大学 アカデミーホール (駿河台校舎 アカデミーコモン3階)
  http://www.meiji.ac.jp/sst/sympo-web/access.html
 
 入場無料・事前予約不要


【 第1部 安全学系 10:30- 】

■ 対談:日本の社会は十分に安全か
 向殿 政男(明治大学) × 草野 満代(フリーアナウンサー)

 私たちの生活、社会は十分に「安全」なのでしょうか? 電気製品は?食品は? エレベーターなどの設備は? 防犯の意味での安全性は? この対談では、生活者としての視点から「安全」をとらえ、何が必要なのかを考えていきます。

■ パネル討論:より安全な技術の創造にむけて

 日本社会における安全な技術は、どこまで保証されなければならないのでしょうか? 企業・行政・消費者、そして大学はどのような役割を担っていかなければならいのでしょうか? ここでは、各分野からパネリストを招き、より安全な技術の創造に向けて討論を行います。
 
 オーガナイザー:北野 大(明治大学)
  大桃 美代子(タレント)
  辰巳 菊子(消費生活アドバイザー)
  中林 美恵子(跡見学園女子大学)
  沼尻 禎二((財)家電製品協会)
  向殿 政男(明治大学)
  渡邊 宏(経済産業省)

安全学系リーフレット PDF形式 1.2MB
 http://www.meiji.ac.jp/sst/sympo-web/1202anzen.pdf


【 第2部 ディジタルコンテンツ系 14:00- 】

■ スペシャルトーク&ライブ
『メディアアーティスト岩井俊雄の到達点・21世紀の楽器 TENORI-ON』

メディアアート界の第一人者である岩井俊雄氏が、21世紀の楽器として提案する「TENORI-ON」。このスペシャルトーク&ライブでは、それまでの岩井氏の軌跡をたどり、いかにTENORI-ONに集約されたかを語ります。

■ パネル討論:ディジタルコンテンツの未来
 
 このパネル討論では、ディジタルコンテンツ業界の風雲児とよばれる方々を一同に集め、今後の未来を占います。「初音ミク」の企画を行った佐々木渉氏、大活躍の若手書道家である武田双雲氏、誰でも簡単に高品質なウェブサイトが作れるソフト「BiND for WebLiFE*」をリリースした平野友康氏、「Rez」「ルミネス」等のゲームだけでなく「元気ロケッツ」のプロデュースも行っている水口哲也氏を招きます。

 オーガナイザー:宮下 芳明(明治大学)
  岩井俊雄 (メディアアーティスト「TENORI-ON」)
  佐々木渉 (クリプトン・フューチャー・メディア「初音ミク」企画)
  武田双雲 (書道家)
  平野友康 (デジタルステージ 代表/開発プロデューサー )
  水口哲也 (「Rez」「元気ロケッツ」プロデューサー)


ディジタルコンテンツ系リーフレット PDF形式 2.7MB
 http://www.meiji.ac.jp/sst/sympo-web/1202dc.pdf



【主催】
 明治大学 大学院 理工学研究科
 http://www.meiji.ac.jp/sst/grad/
 
【お問い合わせ】
 明治大学 教務サービス部 理工学部グループ
 TEL: 044-934-7562
 mail:  sst@mics.meiji.ac.jp

Monday 5 November 2007

第7回ディジタルコンテンツ学研究会のお知らせ

日時 11月17日(土)午前9時30分〜11時30分
場所 秋葉原ダイビル6F 明治大学サテライトキャンパス
ゲスト 平倉圭さん(イメージ分析・知覚理論/美術作家、東京大学グローバルCOE「共生のための国際哲学教育研究センター」(UTCP)特任研究員)

平倉さんから当日のレクチャーについて、次のような刺激的なタイトルとメッセージをいただいています。

「分身と追跡」  平倉圭

2007年9月6日、APEC開催中のシドニーで、オサマ・ビンラディン容疑者に扮したコメディアンが逮捕された。翌7日、こんどはロイター通信がビンラディン容疑者の「新作」映像を入手し、米当局はその映像を「本物」と確認した。

2人のビンラディン「たち」は、映像をめぐる現在の状況をきわめて鋭く映し出している。本発表では、「分身」と「追跡」という言葉をキーワードとして、21世紀になって現れたいくつかの映像を例にあげながら、映像メディアの現在について考えてみたい。


平倉さんは1977年生まれ。現在の日本において美術と映画に関する最も先鋭的な研究者/批評家の一人であり、同時に美術作家としての活動でも注目されています。最近の主な著作に、「ベラスケスと顔の先触れ」 、「斬首、テーブル、反‐光学——ピカソ《アヴィニョンの娘たち》」(いずれも『美術史の7つの顔』(共著)所収、未来社、2005年)、「ゴダール、VJ」(『季刊インターコミュニケーション』、vol.62、2007年)などがあり、現在雑誌『10+1』で連載「インヴァリアンツ」が進行中です。

平倉さんのHPは以下の通りです。http://hirakurakei.com/

当日は併せて、参加者とのあいだで活発な質疑応答を期待したいと考えています。関連分野に関心のある方は、どなたでもぜひお気軽にご参加ください。

ダイビルは秋葉原駅電気街口前の高層ビル。すぐわかります。直接エレベーターで6階にお越し下さい。

http://www.meiji.ac.jp/akiba_sc/outline/map.html

開始はいつもより30分早く9時半です! よろしく。

Wednesday 31 October 2007

サンドラールへの追補

ぼくがサンドラールを好きなわけ、3つばかり。

(1)どこかで彼は書いていた、「サティはトナカイの肉が好きだった」と。人が人を語るにはいろんなやり方があるけれど、ひとことで人(他人)を表すとき、その人(自分)の傾向が現れる。ぼくにとっては、これでサティが身近になった。それはブレーズの磁力のせい。

(2)サンドラールが自分の犬(ハウンド+スパニエル系の雑種?)を残された左手で撫でている写真が、何枚かある。あのいかつい老人には、あまり似合わない可憐な犬。でも彼はその犬に「ヴァゴン=リ」という名前をつけていた。意味は「寝台車」。彼以外、どこのだれがそんな名前を犬につけるだろう!

(3)サンドラールはいつも左手で手紙を書き、最後にこう書き添えた。De ma main amie(私の、友情の手による)。小説はたぶんレミントンのタイプライターで打ち出した。それから手紙やはがきを手で書いた。このことはヘンリー・ミラーが書き残している。ヘンリーはブレーズを心から尊敬していて、彼が長いパリ生活ではじめて会ったフランスの作家がサンドラール、最後に(パリを離れる日に)偶然会ったのも彼だった、という。

土曜日、今福さんの話の途中でぼくがいちど口をはさんだのは、サンドラールとタルシーラ・ド・アマラルの誕生日がおなじだということ。確認したら、やっぱりそうだった。二人とも9月1日、タルシーラがひとつ年上。ふたりは大西洋をはさんだ姉弟だった。

Monday 29 October 2007

ブレーズ台風

27日(土)、季節外れの台風20号がかすめてゆき、東京は大荒れの天気。この台風は、一部のわれわれには、ブレーズ台風の名で記憶されてゆくだろう。恵比寿にある日仏会館でのスイス大使館主催のイベント「スイス=ブラジル1924、詩と友情」は悪天候にもかかわらず、いや最高のお天気に恵まれて、120準備した椅子がすべて埋まってさらに折りたたみ椅子を出すほどの盛況。ちょっとありえないかたちの、詩人ブレーズ・サンドラールとその世界的友情をめぐる追憶と想像力の旅となった。

定刻。暗転し、大使館のネルソンさんとぼくがTu es plus belle que le ciel et la mer(きみは空よりも海よりも美しい)をバイリンガル朗読。本番10分前の依頼に応えてくれたネルソンさん、ありがとうございました。それからドワノー撮影のサンドラールの味のある肖像などを含む、短時間のスライドショー。つづいてフィヴァ大使のご挨拶だが、これが通りいっぺんの挨拶ではなく、みずからサンドラールの熱心な読者である大使のこの詩人への思いを熱く述べる、とてもいいスピーチだった。

次は清岡智比古さん(そう、あの『フラ語』シリーズで知られるわれらがカリスマ・フランス語教師です)による要をつくしたサンドラールの生涯の概観。清岡さんは20世紀両大戦間のフランス詩人たちの研究が専門で、サンドラールについても論文を書いている。これで準備が整った。

そこで始まったのが、われらが偉大なる知のトリックスター、日本語の想像力を激しく拡大させてくれた文化人類学者、山口昌男先生の思い出話。アフリカで出会ったスイス人の話、サンドラールへの関心、ブラジルやカリブ海で何度も出会い直したアフリカ、放浪するアフリカ、そのようにしかありえない散在する世界との遭遇を自分自身の生涯をかけてしめした先達ブレーズ。ときおり長く沈黙し、とつとつと語る先生に、聴衆の耳は釘付け。笑いがそのまわりを囲み、渦巻き、聞き手の今福さんがしめしてくれる道すじから、突然、人々の目のまえに広大な視界が開ける。ここまでで1時間半強。

休憩時間は、集まってくれた友人たちへの挨拶でまたたくまに過ぎた。後半は、お昼を食べながらの打ち合わせだけで、即興的に作ってゆくショー。今福さんが選び抜いてきたサンドラール関係の図版をスライド形式で見せながら、相変わらず冴えた話で場を作り、そこにぼくの訳詩読み(「朗読」というような朗々としたものではなく「ぼそぼそ読み」、聞こえるのはマイクのおかげです)と、高橋悠治さんの天使的なピアノ演奏がはさみこまれてゆく。ダリウス・ミヨー、ヘイトール・ヴィラ=ロボス。最後のしめくくりの聴衆へのプレゼントとして、アントニオ・カルロス・ジョビンの2曲を悠治さん自身がアレンジ。ひたすら、すばらしかった。

やっている身としては、やや延長して80分ほどの後半はまたたくま。しめくくりの言葉で、山口先生が、こんな場に立ち会えるとは思わなかった、ありがとう、とおっしゃって、こっちもジンと来た。そしてブレーズ! きみは、きみだって、思ってもみなかっただろうなあ。きみが生まれて120年、きみも名前は知っていたはずの「トーキョー」の片隅で、こんな風にきみのことを思い出す人がいるなんて。きみのことを、タルシーラやオズヴァルドのことを、海のこと空のことを。

何といっても強烈なインパクトを人々に与えたのは、手作り本制作のグループBEKAによる小冊子。関連テクストをまとめ、かつてドローネーとサンドラールが作ったもののような折りたたみ詩集を別冊として紐でむすんだこの120部限定の小冊子は、誰も見たことがない、世界の他にどこにもあるはずがない、記念すべきふしぎなモノだった! 1冊1000円で販売したが、大使もおおよろこびで3冊求めてくださったらしい。対訳詩集部分の、フランス語はレミントンのタイプライターで打ち直し、日本語訳は手書き。タルシーラ・ド・アマラルによる黒人女の肖像の複製やキューバの本棚を飾った舞台装置とともに、今回のイベントはBEKAの高らかな勝利であり、出帆だった。

集まってくれた既知の未知のすべての友人たち、ありがとう。撤収に気をとられていてあまり話もできなくて、ごめん。朝から晩までつきあってくれた大原くん、河内くん、ありがとう。そして最後まで面倒を見ていただいた大使館の大平さん、ありがとうございました。

ブレーズ台風はこうして過ぎ、翌日は完璧な秋晴れ、青空。

「現代詩手帖」11月号 pp.192-193

「現代詩手帖」11月号に、越川ロベルト芳明さんの新著『ギターを抱いた渡り鳥――チカーノ詩礼賛』の書評を書きました。越川さんは明治大学文学部教授。日本の代表的アメリカ文学者の一人である彼が、十年の月日をかけてアメリカ/メキシコ国境地帯を旅し、両国のあいだにひろがる地理的=政治経済的=社会文化的ボーダーランズの詩人たちの声を書き留めてきた、その記録です。

一つの焦点となる合衆国南西部は、ぼくにとっては、かつて5年間暮らした地域。読んでいるとまた訪ねたい場所や人の顔が、いくつもよみがえってきます。そして初めて訪ねてみたい場所も、たくさん。来年はひさびさにアメリカに行こうかと思いました。

もう口にしないせりふ

さっき、たまたまテレビをつけたら、環境運動家・文化人類学者の辻信一さんが、最近、みんな挨拶というと「お忙しいところすみません」と「お疲れさま」ばかり言ってるから、これは使わないようにしている、といっていた。

なるほど! そんな言葉が蔓延しているから、どんどん「忙しく」なったり「疲れ」たりして、それがあたりまえの社会になっていくのか。

「心を亡くさず」「皮を病ませず」、たんたんと毎日を過ごすために、もう使いたくない二言だ。

Thursday 25 October 2007

12月2日(日)はアカデミーホールに行こう!

12月2日に開催する新領域創造開設記念シンポジウムの全容が明らかになった。

まず、シンポジウム自体は、午前の「安全学系」と午後の(われわれの)「ディジタルコンテンツ系」に分かれる。

DC系は宮下芳明をディレクターとし、以下の人々の参加を得る。

13:30開演。最初の30分は、メディアアーティストの岩井俊雄氏によるライブ。今年欧米で発売した新楽器TENORI-ONによるコンサート。

ついで「ディジタルコンテンツの未来」と題したパネルディスカッション(2時間)。参加パネリストは以下の通り。司会は宮下芳明。

・岩井俊雄(メディアーティスト 「エレクトロプランクトン」「TENORI-ON」)
・佐々木渉(クリプトン・フューチャー・メディア 「初音ミク」)
・武田双雲 (書道家 テレビ朝日「けものみち」「タイヨウのうた」題字など)
・平野友康 (デジタルステージ代表 「motion dive」「BiND」)
・水口哲也(ゲームクリエイター 「Rez」「ルミネス」)

終了予定時刻は16時ごろ。どうです! そうそうたるメンバーでしょ? 果たしてどんな議論が出てくるかはわからないが、みんなの脳が思い切り撹拌される経験になることは、まちがいない。

それで今日、会場となる明治大学アカデミーホール(お茶の水駅から徒歩3分)の下見に行ってきた。ここには初めて入った(2階の会議室はカリフォルニアの詩人アルフレッド・アルテアーガが来日したとき使ったことがある)。すごい会場だ。1200名が入れる。舞台が深い。音響がいい。設備も申し分ない。

なんだかんだで楽しみになってきた。ぜひ12月2日の午後は、ここアカデミーホールでの知的音楽的律動的電脳的シンポジウムに立ち会ってください。

Wednesday 24 October 2007

「エスクァイア」12月号 p.123

「Esquire」12月号の「作家が選ぶ旅の本155」に寄稿しました。ぼくが選んだのは155分の7。「女たちと、島へ」と題した本の群れ。

この号の特集は「文学は、世界を旅する。」池澤夏樹さんのきわめて根源的な問いにふれた短文や、青山南さんのケルアックをめぐる旅、茂木健一郎さんのロシア文学論、石川直樹さんのチャトウィン論など、非常に充実した内容です。ぜひ手にとってごらんください。

Monday 22 October 2007

写真、川、農業

20日(土曜日)、第6回DC研を生田キャンパス中央校舎6階のスタジオ教室で行った。以前、授業にも使ったことがあるが、本格的な防音設備のある、すばらしい部屋だ。ここで美術家=写真家の吉原悠博さんのいくつかの映像作品を見せていただいた。

吉原さんは新潟県新発田市の吉原写真館の6代目。東京芸大油絵科卒のアーティストで、ニューヨークでオペラ作品の美術を担当するなど、国際的に活躍してきた人だ。その彼が、ふとしたきっかけで故郷の写真館を継ぐ決意をし、同時に新発田市でのさまざまな地域活性化の活動に手を染めることになった。

今年、雑誌「風の旅人」が「吉原家の130年」という特集を組んだ。新発田の大火を辛くも逃れた吉原写真館の乾板から、画像がよみがえり、歴史が回帰する。「ナルミ」という女性(吉原さんのおおおばさまにあたる)の生涯をまとめたものをはじめ、1世紀以上におよぶ写真を構成した作品を、いくつか見せていただいた。言葉にならない衝撃。音楽は坂本龍一さん。

さらに吉原さんの最近作の一つとして見せていただいた、新川を題材にした作品にも大きな興味を覚えた。

http://www.ed.niigata-u.ac.jp/~ni-art07/

まさに「潟」でありしばしば洪水に悩まされてきた新潟にとって、治水は最大の課題。そのために作られた人工の川を上流から海まで旅するこの短い作品に、土地の特性ととことんつきあって生きてゆかなくてはならない人間の暮らしへの、新たなまなざしを学んだと思う。

吉原さんが長い放浪ののちに新たに根付こうとしている新発田との協同を、これからわれわれも探っていきたい。日本は地方都市がおもしろい。だが、孤立した試みでは、おもしろくない。本当におもしろくなるのは、遠い土地の無根拠な連結に成功したときなのだ。

ついで21日(日曜日)、学生部主催のM-Naviプログラムの「農業体験」で、生田キャンパスの隠れた姿を知った。キャンパス南端に位置する農学部の農場からは、新宿副都心の高層ビルがよく見える。ここにこれだけの本格的な実験農場があるとは、誰が思っただろうか。ぼくも明治勤務8年目にして、初めて訪れた場所だ。

最初はらっきょう畑での雑草取り。らっきょうの前に作付けしていたジャガイモが、5ミリくらいの白い粒をつけている。ジャガイモが茎の一部だと、知っていましたか? これに対し、サツマイモは根の一部だそうだ。農学部の先生たちからいろいろ教わりつつ、作業にいそしむ。雲一つない快晴。

それから里芋を堀り、サツマイモを掘り、レタスを収穫。ちょっとだけ遅めの昼食はたっぷりのラム肉と新鮮な野菜のジンギスカン鍋。明治の全学部からの30数名の参加者で、すばらしい日曜日を過ごすことができた。他学部の学生諸君とのふれあいは、ぼくにとっても貴重な機会だった。

残念なことに、理工学部の参加者は1名のみ。これはもったいない。来年は、この農業実習で、ぜひ汗を流してほしいと思う。おみやげもすごいよ。5キロにも及ぶ、おいもと野菜だ。

Tuesday 9 October 2007

Blaise Cendrars

10月27日に恵比寿の日仏会館で行われる、ブレーズ・サンドラール生誕120周年記念シンポジウム+コンサートのちらしができました。

http://www.cafecreole.net/cendrars.html

ぜひお誘い合わせの上、お出かけください。無料です。

Sunday 7 October 2007

元・学生たち

金曜日に暗いことを書いたら、土曜日の夜、明治の卒業生たち3名が「せんせ〜、メシ食ってますか」と電話をかけてきて、集まってくれた。教え子、といいたいところだが、授業に出ていたのはうち一人、それも在学中に教室で見かけた記憶はあまりない。話をしたのは、むしろ学食。何も教えなかった教師のもとに、こうして集まってくれるんだから、ほんとにありがたいことだ。

みんな就職して3年目、仕事はきつそうだが、それぞれたくましくやっている。後輩だっている。心配なのは、折角就職しても、1年も経たずに辞めてゆき、いまは何をしているのかわからない数名。産業構造とか、雇用形態とか、じつは歴史の中では安定期がはるかに短く、綱渡りの日々が大部分だったにちがいない。でもそれも一面的な見方。そもそもこの島国でも、お金の回り方を中心にすべてが判断され、時間や労力や生き方や信条まで切り売りされるようになったのは、つい最近のできごとだろう。

働かないこと、というのはそれだけで革命的だが、それでは日々の食事が満足に食べられなくなるから困る。普通に暮らしているだけで、身も心も仕事も遊びも、全面的にお金と商品につらぬかれているのだから辛い。

逃れるには? 山の話になる。日本、わずかな平野部にひしめきあって人が暮らしているが、山はすごい。きれい、広い、はてしない。しかし山は本当に怖い。人にはどうにもできない巨大な自然力の渦が、ごうごうと音を立てている。獣もいる。天気は激しく変わる。

それでも山に生活の本拠地を置き、平日だけ里に下りてきて稼ぐというスタイルにできないものかと、のんきな夢想。

ともあれ、3人が気前よくおごってくれて、かたじけなかった! もつべきものは非・教え子的教え子たち。学生時代にぎょうざを一皿おごれば、それが10倍になって返ってくる。そういうときに、教師稼業の単純明快なよろこびがある。これからも一粒万倍の精神で、恩返し(もとの「恩」はないが)を続けてほしいものだ。

みんな、これからもよろしく。いまの在学生のみんなも、近未来において、よろしく。明るくでっかく生きるのが「明大生」。はじめは冗談でいってたその言葉が、だんだん真実のように思えてきた。

Friday 5 October 2007

ある金曜日のこれから

大学教師はヒマだと思われることが多い。高校や大学時代の友人は、まちがいなく全員がそう思っている。別にどう思われてもいいが、こっちはこっちで結構やることが多くて、ある一続きの予定をこなすと夕方ぐったりすることがよくある。たとえば今日なんか、これからの予定を書くと。

05:30   目が覚めてしまい、そのまま起きる。メール返信。
06:00   犬の散歩(短時間コース)。
06:30   家を出る。職場にむかい、授業準備。
08:50   以後、正午まで英語の授業2コマ。
12:00   大学院DC系打ち合わせ。
12:30   「フラ語クラブ」。
13:00   来客。むりやりつきあってもらい学食でお昼。
13:30   総合文化教室の会議。15:00ごろまで。
15:30   教授会。学生部の報告。17:30ごろまで。
17:30   科研費をどうするか、同僚と相談。
18:30   郵便物などいろいろ片付けて、職場を出る。

夜、フランスのラッパーのステージを観に(聴きに)行きたいが、しめきりをすぎた原稿が2本あるので無理だろう。

で、夜になってやっと読んだり書いたりの時間。大学教師といっても、授業、学部業務、研究の3つを絶えずこなさなくてはならない。それがいわゆる「忙しい」感じのときは、このうち「研究」の時間がどんどん失われていく。読み書きはこまぎれでも少しずつは進むが、理系の研究者の同僚たちは大変だろうなあと思う。つまり、一つながりで確保しておかなくてはならない時間が必要ならば。しかも、一般に評価されるのは「研究」だけ。

いい大人が電車の中で居眠りするのは本当にみっともないけれど、本を開いて読んでいるうちに、ばくすい。このへん、どうにかしたいものだ。この週末、ぜひ山形国際ドキュメンタリー映画祭に行きたいと思っていたが、そして富山の発電所美術館ではじまる内藤礼さんの新作展に行きたいと思っていたが、どちらもかなわぬ夢に終わりました。

Tuesday 2 October 2007

第6回ディジタルコンテンツ学研究会のお知らせ

以下のように第6回ディジタルコンテンツ学研究会を開催いたしますので、ぜひご参加ください。なお、今回にかぎり開催場所が異なりますので、ご注意ください。

日時 10月20日(土)午前10時から正午まで
場所 明治大学生田キャンパス中央校舎6F スタジオ教室
ゲスト 吉原悠博さん(写真家、美術家、吉原写真館6代目当主)

吉原さんは 1960年生まれ。東京芸術大学油絵科卒業後、ニューヨークを拠点とするアーティストたちとの交遊を深め、国際的な美術家として活躍してきました。写真・映像によるインスタレーション作品を数多く発表し、近年、パブリックアートとしてホテル、公共施設での作品設置、アートディレクションを担当しています。

新潟県新発田市の吉原写真館の第6代目当主であり、今年、同写真館に残された写真をみごとによみがえらせた「吉原家の130年」がしずかな感動を呼びました。詳細は以下を参照。

http://www.emoninc.com/test/past/2007/spiral.html

なお当日は映像作品のプレゼンテーションという性質上、開始後の入室はご遠慮ください。

明治大学生田キャンパスは小田急線生田駅から徒歩10分。中央校舎はキャンパス中央に位置する6階建ての白い建物です。向ヶ丘遊園前駅からのタクシーご利用が便利かもしれません。数分で着きます。

Sunday 30 September 2007

農業体験(10月21日)

明治大学の学生諸君むけのお知らせです。

10月21日、生田の農学部の畑で、農業体験の会があります。午前10時集合、サツマイモを堀り、里芋を掘り、野菜を収穫し、夕方からはジンギスカン。ぼくは学生部委員としてずっとつきあいますから、みんなぜひ誘い合わせて参加してください! 参加費は300円、安い、安い。一部で、これに参加するとフランス語の単位がもらえるというまちがった情報が飛び交っているようですが、もちろんそんなことはありません。でも楽しいよ、たぶん。きっと。

明治の学生なら全学部全学年参加できます。希望者は学生支援室で申し込んでください。

ジダンの伝記

ジネディーヌ・ジダンの新しい伝記が出た。ブランシュとフレ=ビュルネ共著、翻訳は陣野俊史と相田淑子。白水社。マルセイユ出身のこのカリスマ選手の姿をいきいきと捉えて、じつに興味深い。

ジダンといえばマルセイユ。

「地中海に洗われ、陽光の溢れるマルセイユは、その特殊性をごく自然に育んできた。街はしばしばパリの権威を受け入れようとせず、中央に対して反抗的、つねに誇り高い街である。じっさい、マルセイユはフランスという国に背を向け、南へ、海へと視線を向けたがる。(...)結局マルセイユは、なによりも追放された多くの家族にとって、歓待の土地なのだ。コルシカ人、アルメニア人、スペイン人、イタリア人、最近ではアフリカ人が、少しばかりの自由と仕事を求めてやってきた。一番新しい移民の波の中で目立つのがアルジェリア人」

冒頭近くのこの一節だけで、ビーンと振動が高まる。このところ、やはりマルセイユ人である劇作家・詩人アントナン・アルトーの波動を浴びっぱなしなので、余計にそうだ。

音楽家でも詩人でもスポーツ選手でも画家でも、彼女や彼が育った土地と無縁であるはずがない。土地がかれらを決めるわけではない。でも土地はかれらをある流儀で育てるにちがいない。

訳者の一人、陣野さんには、来年度から「アート・コンテンツ特論1」(音楽文化論)を担当していただきます。きっと楽しめる、発見にみちた内容になるはずだ。

Thursday 27 September 2007

銀座への旅、手の旅

きょうは授業を終えてから銀座に。年に何度もこない街だが、ここはきらいじゃない。すいみんぶそくでふらふらだったため、まずエスプレッソを一杯。それから7丁目のニコンサロンで、こないだから話題にしている石川直樹さんの写真展『New Dimension』を見る。

先史時代の岩石絵画をモチーフにした展覧会。オーストラリアのノーザンテリトリー、パタゴニア、ノルウェイ、アルジェリア、北海道、人類史の驚くべき一致が、まざまざと明らかになる。狩猟。手の仕事。その痕跡。手の痕跡。圧巻だ。といってもぼくの悪い癖で、主題よりもいらない細部ばかりを見てしまう。それで、いちばん気に入ったのは、パタゴニアの犬。眉の上の傷が痛々しい! ともあれ満足して次の目的地に向かう。

1丁目のギャラリーQ。今年のヴェネツィア・ビエンナーレの日本パビリオンの展示、岡部昌生さんのフロッタージュ作品だ。コミッショナーは、写真家・批評家の港千尋さん。現場のビデオを見ながら彼の説明を聞き、しばし岡部さんの手仕事のすさまじいばかりの力の波を受けてたたずむ。

ヴェネツィアの街を、こすりまくる。肘から動かす大きなストロークで鉛筆をこすり、紙にローマ時代以後の歴史の痕跡を浮かび上がらせる。その着想もすごいが、そして30年続けてきた持続力もすごいが、できあがった作品のこのモノとしての力は、筆舌につくしがたい。以下、参考サイト。

http://www.tokyoartbeat.com/tablog/entries.ja/2007/09/is-there-a-future-for-our-past.html

そして思ったのだが、この手の動きは絶対に人の模倣を誘発する! 岡部さんはワークショップで、小学生からお年寄りまで、あらゆる人々をまきこんでヴェネツィアの街路をこすった。ここには先史時代以来の、ヒトの本性に直接ふれるものがある。パビリオンのビデオを見ると、その圧倒的な規模と存在感がよくわかった。

先史時代の「ネガティヴハンド」(岩石に残された手の痕)のことをはじめて聞いたのは、港さんからだった。もうずいぶんむかしのこと、前世紀の話。その痕跡めぐりは石川さんに継承されている。そしてネガティヴハンドに表れているような、太古の人々が「手」に対して持っていた魔術的関心が、岡部さんの作業ぶりを見ているとよみがえってくる。人が人である限り、われわれのだれも逃れようがない事実だ。

そこからニューヨークの画商である友人も加えて、天龍で鍋貼(焼き餃子)を食べる。でかい、しかも一皿に8個! この餃子の折りも手の仕事。手にとりつかれたような一日の、銀座への旅だった。

Tuesday 25 September 2007

無用の知識

後期の授業がはじまった。1,2年生むけの「作文」のために、新聞数紙を買い込む。毎週600字を書いてくるので、その長さの感触をつかむために、各紙のコラムをまずコピーして配る。毎日の「余禄」、東京の「筆洗」、読売の「編集手帳」。毎日がやや長くて700字程度。あとはだいたい600字ちょっとだ。

どれも起承転結がはっきりしていて、組み立てが見やすいので助かる。もちろん学生たちに出す課題は、新聞のコラムとはぜんぜんちがう。第1回の課題として出したのは「他人としての私」。三人称で自分を描写する試みだ。

それはともかく。きょうの新聞で、最高におもしろかった記事二つ。

まず、東京新聞の「シカから身を守る<とげ>」。奈良公園のイラクサが、シカに食べられないように毒をもつ棘を進化させてきたという話。奈良の有名なシカは1200年前、鹿島神宮から連れてこられたらしく、この1200年間にシカに食われないための防衛反応として、棘の数を通常の50倍に増やしたのだという。奈良女子大の佐藤宏明(昆虫生態学)グループの研究。1200年でそこまで変わるのか! じつに興味深い。

もうひとつは読売新聞から「SFみたい巨大ダンゴムシ」。新江ノ島水族館で展示されている深海生物大王具足虫は体長35センチ、成長すると45センチになるそうだ。アメリカ東海岸の水深800メートルの海底で採取された。おもしろかったのは45センチを「猫や子犬ほどの大きさになるという」と表現していること。するとこの海底のあさり屋をペットとして飼いたい気にもなるし、なんだか楽しい。

こうした知識は無用といえば無用。でもぼくにはいま、いちばんおもしろい。無用の知識なくして何の知識。自然史ばんざい!

Thursday 20 September 2007

New Dimensions

これは現在、銀座のニコンサロンで開催中の石川直樹さんの写真展のタイトル。詳しい紹介は

http://www.akaaka.com/html/newpage.html?code=15

明日、21日(金曜日)の午後7時から、ディジタルコンテンツ系専任スタッフ(美術史・写真史)の倉石信乃さんと石川さんの対談がおこなわれる。7月のディジタルコンテンツ学研究会を逃した人には、ぜひ勧めたい。

小島一郎の写真

南青山のラットホールというギャラリーで開催中の小島一郎の写真展を見てきた。1924年生まれ、64年没の青森の写真家。昨年の夏、青森県立美術館で、彼が自分の覚えとして焼いた名刺サイズのプリントに衝撃をうけたが、今回は、それよりもずっと大きなプリントで、小島の見た青森、津軽の光を堪能することができた。

ひとつひとつ、捉えられた情景に、すごく力がある。雪、人、地面、空、木々、動物、単純なものが単純に、無言で迫ってくる。津軽の底知れぬ美しさと「明るさ」を感じる。

雑誌「風の旅人」の編集長・佐伯さんのブログには啓発されることが多いが、今回の小島作品の展示も、それを見なければ知らずに過ぎてしまうところだった。

http://d.hatena.ne.jp/kazetabi/

いろいろな催しが次々と開かれては過ぎて忘れられてゆく東京では、佐伯さんのように自力でものを考えている人の、ごく個人的なフィルターを通過した情報が、ありがたい。

いよいよ明日から新学期の授業。英語のみんな、一つでも多くの表現を覚えよう。フランス語のみんな、例文はすべて覚えよう。作文ゼミのみんな、手書きの大切さを実感してほしい。そして大学院進学予定者のみんなは、すでに半年後の生活を見越して、たくさん「読む」習慣を身につけてほしい。

Monday 17 September 2007

『路上』はフランス語ではじめられた

この9月の(ぼくにとっての)最大のニュースはこれだ。ビート世代の聖書といわれ、「アメリカ」がみずからを再発見する大きな機縁となった小説が、ジャック・ケルアックの『路上』。1957年9月5日に発売されたこの作品は、今年で半世紀の記念日をむかえた。それに合わせるかのように、現在日本語でも、青山南さんによる新訳が準備されているらしい。

先日ケベックの新聞「Le Devoir」をオンラインで読んでいると、すごいニュースにぶつかった。ケルアックのこの代表作が、もともとフランス語で書きはじめられたというのだ! ケルアックの家庭はフランス語系カナダ人がマサチューセッツ州ローウェルに作ったコミュニティの一員。両親はフランス語で話し、子供時代のケルアックももっぱらフランス語で育ったのだから、それはむしろ当然の選択だったのかもしれない。

父親からは「ティ・ジャン」(ちびジャン)と呼ばれた彼にとって、文学的血縁関係はむしろバルザック、プルースト、セリーヌにあったのかもしれない。1951年1月19日、彼は『路上』の冒頭10枚ばかりをフランス語で書きはじめた。その後は、たぶん中断の後に、英語でやり直したのだろう。それは現実の言語的困難のせいだったのかもしれないし、仮想読者や、発表の場その他の実際的問題を考えてのことだったのかもしれない。

ケルアックという変わった名前は、ブルターニュ系。彼が現実にフランス語で書き残した短編小説には、マサチューセッツ州の内陸部からニューヘイヴンに引っ越した両親のエピソードが出てくるそうだ。引退し、海辺に引っ越して、父親のレオは息子に言う。「ティ・ジャン、おれは海に戻ってくることができたよ。」レオの目には涙。フランスの大西洋岸、海の土地であるブルターニュ系の男にとって、目の前に広がる大西洋はどれほどの感情的な意味をもっていたことか。

「おれはニューイングランド生まれのフランス系カナダ人。怒っているときにはフランス語で毒づくし、夢はしばしばフランス語で見る。泣きわめくときがあれば、それはいつもフランス語」とケルアックは言っていたそうだ。この角度から見ると、あのメランコリックな表情に別の次元が加わる。そして『路上』の数々の風景にも、また別の光がさすようになる。移民文学としての『路上』が見えてくる。

Sunday 16 September 2007

LOLその他

日本語で(笑)などと書くように、コンピュータが通信手段となった過去20年くらいのあいだに、英語にもへんな略語(?)がたくさん生まれた。

チャットルーム生まれの表現で、いちばん有名なのはLOLだろうか。Laugh out loud とかLots of laughの略だと言われる(あるいはメールのしめくくりとしてLots of loveの意味で使う人もいるみたいだ)。この夏、ミネソタの友人一家が遊びにきて、そこの中学生の娘にいろいろ教えてもらった。かれらは日本人の夫婦なのだが、大学院留学からそのまま就職し、アメリカに移住してしまったケース。二人の子供はずっとアメリカの田舎の公立学校育ちで、英語が第一言語。こうなると、英語教師などと言っても、この子たちから教わることのほうがずっと多い。

以下、いくつかの例を書き出しておこう。使わなくていいけど。知っていて損はない。

JK (Just kidding)
BFF (Best friends forever)
TTY (Talk to you later)
TISNF (This is so not fair)
HBU (How about you)
BRB (Be right back)
BBL (Be back later)
OMG (Oh my god)
G2G (Got to go)

Saturday 15 September 2007

これはいいかも!アナム&マキ

どんなジャンルであれアートの大部分がおとなしく複製され包装された商品として流通し、それを家に持ち帰って一人で楽しむのが経験の大部分を占めるとは、いかにもさびしい。でもぼくの現状は、そうだ。するといま行われつつある創造についての知識も、すべては商品情報となり、商品知識ばかりがぐるぐる世界をめぐって、それで現代の風景を作っている。いかにもつまらない。だが、その中でも突然襲ってくるおもしろさはあるし、思いがけない出会いもある。生身の人や声との出会いは、蹴っていた石ころが何かにぶつかって急に方向転換するみたいに、人生に別の角度をしめすことがある。

こないだコンピュータの修理のために渋谷のアップルショップに行くと、女の子二人のデュオが店内ライヴをやっていた。ぜんぜん知らなかったが、つい聴き入ってしまった。アクースティック・ギターはめりはりが効いているし、声にもパンチがある。コーラスはソウルフル。お、いいかも、と思った。急いでいたのですぐに店を出たが、数日後、CDを手に入れた。

アナム&マキ、タイトルはNaked Girls(2007)。これはおもしろかった! 日ごろ、現代日本のシンガーやソングライターをぜんぜん追っていないので、彼女たちの名前すら知らず。だが聴けば、ギターはうまいし、好きな声だし、全般的な感覚が、ぼくにはなじめる。そして歌詞のおもしろさには特筆すべきものがある。引用はやめておくが、もし紙に書き出すなら「え? これって歌えるの?」と言いたくなるような遊びの多い歌詞が、アグレッシヴなメロディーに濃密につめこまれている。

おもしろい、おもしろい。偶然の出会いが、秋の夜長の楽しみにつながった。それから彼女たちも参加している、『アコギでクラプトン』というオムニバス・アルバムも買ってしまった。エリック・クラプトンのなつかしい名曲を、いろんな人たちが独自のアクースティックなアレンジで歌っている。これもどれもおもしろいが、バンバンバザールの「レイラ」は、ちょっと衝撃。そしてアナム&マキはクリームの不滅の名曲「ホワイトルーム」を彼女らの流儀でこなし、これにはしびれた。

まあ、しびれた、というのも死語ですけど。アクースティックは、アコースティックよりはましな表記ですので、以後、みなさんこれを使ってください(特に「英語リーディング1、2」に出ているみんな!)。

新領域シンポジウム開催!

12月2日(日)、お茶の水の明治大学アカデミーホールで、新領域創造専攻開設記念シンポジウムを開催することが確定しました。意表をつくゲスト、多数登場! ディジタルな創造と思考の最前線を、ぜひ見て、体験してください。夜には楽しいコンサート付き。詳細は決まり次第、またここに掲載しますので乞うご期待。

Thursday 13 September 2007

写真家デビュー?

NPO法人「ウェアラブル環境情報ネット推進機構」が出している雑誌「ネイチャーインターフェイス」35号に、「風と肌」というエッセーを寄稿した。それだけなら別に何でもないが、今回は、自分が撮影した写真を文に合わせて掲載してもらって、大満足。フィジーで撮った海岸の植物の写真。大判の雑誌の見開きにまたがったレイアウトなので、かなりインパクトのある仕上がりになった! 愛用のリコーGR1s、コンパクトカメラなのに画質は非常にいい。

もちろんこれまでにも自分が撮った写真を使ったことは、自分の本でも雑誌でもあったが、まがりなりにも<作品>的な提示の仕方は、これが初めて。うれしい、うれしい。これからも旅の写真を、むかしながらのフィルムカメラで、撮りためてゆこうと誓う。

Sunday 9 September 2007

Festa brasileira

日曜日、代々木公園にお昼を食べに行った。今年で第2回をむかえるブラジル・フェスティバルのことを、翻訳家の旦敬介さんから教わったので、そのようすを観に。

代々木公園からNHKそばのイベント広場をめざして歩いてゆくと、どんどん人が増え、すごいもりあがり! あ、これはほんとにブラジルだ。

たくさんのお店が出ている。それもその場限りの模擬店ではなく、本格的レストランが出店しているのだ。

まずブラジル料理店バルバッコア(表参道)のシュラスコを頼む。
シュラスコ(岩塩味の焼き肉)に生ビールで1000円。
グアラナ(ソーダ)が200円。

ついで目先を変えてペルー料理。下妻のラ・フロンテーラという店。
ペルーのトウモロコシ(大粒!)が500円。
アンティクーチョ(牛の心臓の塩焼き)が2串で500円。
セビーチェ(魚介類のタマネギ、レモン和え)が800円。
ペルー産ビールが500円。

結局3500円で、大人二人と小学生には十分だった。

ステージでは鶏のように羽飾りをつけたグループの演奏がつづく。残暑、暑い。でもネイティヴ度の高い濃密な空間で、なかなか楽しめる。まるでサンパウロのリベルダージ(日系が多い地区)に来ている気分。

ずっといれば音楽もいろいろあったにちがいないが、ひとまずきょうはお昼だけ。来年はもっと真剣に、みんなを誘ってきてみよう。

Thursday 6 September 2007

第5回ディジタルコンテンツ学研究会のお知らせ

以下のように第5回ディジタルコンテンツ学研究会を開催いたします。

日時 9月22日(土)午前10時から正午まで
場所 秋葉原ダイビル6F 明治大学サテライトキャンパス
ゲスト 吉見俊哉さん(社会学者、東京大学大学院情報学環長)

吉見さんは1957年生まれ。現代日本の代表的社会学者の一人であり、メディア研究、文化研究の最先端をリードしてきました。近年の著書として『カルチュラル・ターン、文化の政治学へ』(人文書院、2003年)、『メディア文化論――メディアを学ぶ人のための15話』(有斐閣、2004年)、『万博幻想――戦後政治の呪縛』(ちくま新書、2005年)、『親米と反米――戦後日本の政治的無意識』(岩波新書、2007年)などがあります。

今回は特に東大情報学環での試みについてお話しいただくとともに、われわれの「ディジタルコンテンツ学」の方向性をめぐって、参加者とのあいだで活発な質疑応答を期待したいと考えています。関連分野に関心のある方は、どなたでもぜひお気軽にご参加ください。

ダイビルは秋葉原駅電気街口前の高層ビル。迷うことはありません。もし守衛さんに訊かれたら行き先を「明治大学サテライトキャンパス」と告げて、直接エレベーターで6階にどうぞ。

それでは、お目にかかるのを楽しみにしています!

Wednesday 5 September 2007

世界の民族音楽

9月。夏の宿題がぜんぜん終わらず、苦しみはつづく。もっとも、朝の涼しさが気持ちいい! 犬もよろこぶ季節になった。

8月の仕事としては、フランスの作家シルヴィー・ジェルマンへのインタビューとエッセーの翻訳が、今週発売の雑誌「すばる」10月号に掲載。かなり特異な角度からのインタビューなので、ぜひ見てください。

さて、前期に明治大学リバティ・アカデミーで「世界文化の旅・アフリカ編」という連続講座を担当したことは以前に記した。このアカデミーには「オープン講座」があり、明治の学生なら無料で受講できる(一般は1000円とか、そのつどちがうみたい)。

後期のオープン講座でお勧めなのは、明治の名物教授のひとりだった地理学者の江波戸昭さん(現在は名誉教授)の「民族音楽」講座。毎回、異なった地域の音楽を、ミュージシャンたちの生演奏付きでたっぷり楽しませてくれる。詳細は

https://academy.meiji.jp/ccs/top/o-punnkouza_top.htm

10月から12月にかけて3回開催されるが、特に注目すべきは12月15日(土)の「Axe Ile Oba 偉大なるアフリカ=ブラジルの精神文化、オリシャ信仰と音楽」! こうして記すだけでぞくぞくしてくる、あまりに楽しみな企画だ。

要予約なので、上記のサイトからどうぞ。ぼくはただの観客ですが、会場で会いましょう。

Saturday 25 August 2007

小笠原だより

ボニン・アイランズとアメリカから呼ばれた小笠原諸島。ボニンとは「無人」(ぶにん)に由来し、もとは捕鯨基地、アメリカの捕鯨船の乗組員たちが住み着いた島々だ。それと、日本列島からの入植者。いずれにせよ人間の居住の歴史は古くない。

むかしから興味があり行ってみたいと思いつつ、なかなか果たせない。そこに小林ユーキが行ってきた。小林は21世紀最初の明治の学生のひとり。2001年に1年生、そのまま2、3、4年と進み、おととしの春に卒業して、神奈川県の中学校の先生になった。格闘技(実戦)を趣味とする、あぶないやつだが、地球のあちこち元気に旅している。2003年にはユーキたちのグループ4名と、西表島に行った。翌年には、やつらはアラスカにオーロラを見に行き、感動の涙を凍らせて帰ってきた。

その彼から、この夏の小笠原への旅の報告が来た。了解を得て、ここに転載。いつかは行きたい、その島々!

「生還しました、小笠原から!
いや〜、マジ最高でしたよ。ホントわけわからん島々でした。
ざっと書くと…
父島:
・父島へ向かう小笠原丸は片道25時間半。しかも2等船室は難民船状態。オヤジが夜な夜なゲロを吐きまくる
・瀬堀さん(ナサニエル・セーボレーっておっさんの末裔)なる外人顔のおっさん多数
・イルカと一緒にスイミング
・ウミガメを食す
・ぼったくる気満々の宿のオヤジ
・太平洋戦争での沈船にスノーケリングついでに乗船

母島:
・島に信号がない
・テレビ(民放)は1996年に放送開始
・光るキノコ発見
・針にえさをつけて投げたら、10秒で一匹魚が釣れた
・流星群を母島で観測。信じられないほど綺麗な夜空
・島の盆踊りに参加。南洋踊りなる謎な踊りを堪能。英語?日本語?その他?よくわからん呪文のような歌を歌いながら踊る。
・ウミガメ上陸を目撃(半端無くでかい!!!)

などなど、すんげ〜ところでしたよ。
写真できるのが楽しみっす。」

Friday 24 August 2007

金沢で

ASLEという組織がある。文学・環境学会。アメリカにはじまり、世界各地にある。われわれが生きる環境をめぐる認識と、その言語表現の全体を相手にする、きわめて重要な視点でむすばれた学会だ。

この10年ほど、「文学の目的は?」という質問をうけるたびに、「生物多様性の維持に奉仕することです」と答えてきた。冗談でいっているのではない。生物の多様性の維持、それは地球環境の元来の多様性を少しでもよく守ることに立ってはじめて可能になることであり、そこでは現在のわれわれの社会、経済、生き方、集合的意志決定(政治)のすべてが問いなおされることになる。

実際、どんな分野でも、すべての生物種の生存とその条件を視野に入れない思考は、まるで無意味だと断言していい時期にきてしまったと思う。それくらい、「生命」は、この惑星で、追いつめられている。

さて、その文学・環境学会の、日韓合同大会が金沢で開かれた。韓国から20名近い参加者を得て、大変に充実した大会となった。ぼくは「ゲイリー・スナイダーとアジア」と題したパネルにディスカッサントとして参加。ぼくの生涯のヒーローともいうべき、この20世紀後半のアメリカの最大の詩人、エコソフィア(生態学的な知恵)を代表する野生の思想家と並んでパネルの席についただけで、ぼくにとってはあまりにも大きな経験だった!

スナイダー(1930年生まれ)は1950年代に日本に来て約10年をすごし、仏教や修験道の修行をつづけた。その経験にはじまる大乗仏教思想と生態学や人類学の知識を統合し、それを背景に活動し、書く。「ふたたび土地に住みこむこと」(リインハビテーション)を中心にすえたその生き方は、強烈で、示唆にとむ。彼のエッセー集『野生の実践』は、ぼくの人生にとってもっとも大きな意味をもつ本のひとつだ。そこには、共有されるべき何かが、はっきり語られている。

そして高銀(こ・うん)さんとの思いがけない出会いがあった。韓国でもっとも尊敬されている大詩人。つい先日、日本語訳詩集が出版されたばかりで興味を抱いていたものの、それはまだ本当の興味ではなかった。ところがご本人にいきなり出会って、その強烈さに圧倒された! 緩急自在、飄々として、突如、深淵がのぞく。軽み、明るさ、ユーモア、絶望、わだかまり、勇気。すべてが渾然一体となった、おそるべき巨大な精神、不屈の魂。そしてその温かみはかぎりなく、まわりのみんなを笑わせ、風のように去る。こんな人はいない。

22日夕方、曹洞宗の名刹・大乗寺で、お二人のポエトリー・リーディングがあった。すばらしいお寺で、最高のセッティングの中、ゲイリーの朗々としたゆたかで深い声と、高先生の飛ぶ鳥のさえずりのような声が、杉木立に響く。

なんという経験。これがまちがいなく今年のピーク。さあ、夏の残りをたまった仕事のために、もっぱら机の前ですごさなくてはならない。

Friday 10 August 2007

ブレーズ・サンドラールのために

きょう恵比寿の日仏文化会館に行って、秋のブレーズ・サンドラール生誕120周年記念イベントの打ち合わせをしてきた。サンドラールはスイス出身の片腕の世界放浪者、詩人、小説家、このうえない友人。その彼の1924年のブラジル滞在を中心として、モダニストの感受性がどんな風に北と南をむすびつけたかを探ろうとするもの。

いま決まっているかぎりの詳細は以下のとおり(作曲家・ピアニスト、高橋悠治さんのサイトを参照http://www.suigyu.com/yuji/ja-concert.html)。みんなぜひ10月27日はカレンダーにマルをつけておいてほしい。歴史的な夕方を約束する!



ブレーズ・サンドラール生誕120周年記念シンポジウム
スイス=ブラジル 1924 ブレーズ・サンドラール、詩と友情
10月27日(土)16.00ー18.00 恵比寿日仏会館ホール 無料

サンドラールの生涯 正田靖子(フランス語系スイス文学)
世界の創造者サンドラール 山口昌男(文化人類学)
サンドラールの詩(フランス語および日本語訳)朗読 管啓次郎(比較詩学)
サンドラールのブラジル(映像構成) 今福龍太(文化人類学)
ミヨー、サティー、ヴィラ=ロボスのピアノ曲演奏 高橋悠治

連絡先:駐日スイス大使館 03-5449-8400

Tuesday 7 August 2007

熊野大学

8月4日、和歌山県新宮市での熊野大学のシンポジウム「20世紀の芸術と文学」に参加。名古屋から「南紀1号」に乗り、三重県を延々と走るとこの県が南北にすごく長いのがわかる。南端近くの尾鷲までくると山が海に迫り荒々しい。そこからすごい水量の美しい熊野川をわたれば新宮。20世紀後半の日本のもっとも偉大な小説家・中上健次のふるさとだ。

中上さんがはじめた熊野大学は、92年に彼が46歳で亡くなってからも、友人たち、彼を慕う若者たちによりずっと続いている。希有のことだが、それだけ中上さんが与えたものの比類ない大きさが偲ばれる。スピーカーとして招いていただいたのは、本当に感謝の言葉も見つからないほどの幸運だった。

まず中上さんのお墓参りに連れていってもらい、それからただちに会場へ。パネルは非常に大きなテーマだったので、話は拡散し延々と続くことになった。一応ぼく、岡崎乾二郎さん、柄谷行人さんの順に話し、司会・進行役の高澤秀次さんが介入し整理したあとで、後半はどんどん錯綜する自然成長性の響宴。どんなテーマになろうと(ラファエル前派だろうがヒトの進化史だろうが)適切な図像が飛び出してくる岡崎さんのマッキントッシュが、魔法の箱みたいだった。

結局、ぼくに貢献できたのはカリブ海の大作家エドゥアール・グリッサンの代表作『第4世紀』の紹介のみ。だが、ぼくの訳でグリッサンの作品を中上さんに読んでもらえなかったのは、本当に残念でならない。美術家で批評家の岡崎さんはまぎれもない天才。あんなに発想力のある人には会ったことがない。

そして、なぜかこれまで一度もお目にかかる機会のなかった柄谷さんは、ぼくらの世代の者がもっとも深く影響を受けた文芸批評家にして思想家。かつて柄谷さんと中上さんの対談『小林秀雄を超えて』が出たとき、ぼくの卒論の指導教官だった阿部良雄先生が「そう簡単に超えられるもんじゃありません」とおっしゃっていたのも、なつかしく思い出す。だが批評家はいまも誰よりも鋭く誰よりも元気で、きびしく、また心遣いにあふれた発言で、場を作ってくださった。

話はつきず、4時間半におよんだシンポジウム、2時間あまりの宴会ののちも、中上さんをめぐり世界史をめぐって延々とつづき、結局午前3時まで。すさまじく濃密な一日となった!

途中、午前1時ごろ、中上の伝記作者でもある高澤さんが、ホテルから歩いてすぐの中上の生家付近へとぼくを案内してくださった。ここが切り通し、ここが尾根。ここからここまでが作品に登場する「路地」。ここが。深夜の街灯に照らされた一角はなんということもない住宅地で、しかしここをすべての創作の源泉として、彼の偉大な作品群がつむがれたのだ。

ぼくはうなだれ、翌朝、日曜日、またひとりでこの一角を歩いてみた。8月の空。すでに暑い。

帰りの電車では岡崎さんにいただいたすばらしい作品集「ZERO THUMBNAIL」に見入り、また中上紀さんにいただいた長編小説『月花の旅人』を楽しく読みながら名古屋にむかった。

熊野の山にも海にも本当にふれることのなかった短い旅だったが、強烈だった! こんどはひとりでふらりと、この土地を訪れたい。そして紀州、ミシシッピ、マルチニック、すべての小さな土地をむすびつけることを、これからの自分の仕事の上で、中上さんとの小さな約束としてはたしたいと思う。

Monday 6 August 2007

顔ぶれ

来年春に開設されるわれわれの「ディジタルコンテンツ系」だが、8月1日に第1期の入試を行い、5名が合格した。すでに先月行われた学内推薦の3名を加えて、8名の顔ぶれが確定。次回、2月の第2期入試で、定員の15名に達することを望んでいる。

CG表現の洗練を目指す人、その背後の数学(アルゴリズム)に興味を抱く人、スポーツ・ジャーナリスト志望者、関心はそれぞれだけれど、ぜひ来春からの2年間で、飛躍的な量の知識と、発想のためのばねを身につけてほしいと思う。

二十代前半の、いちばん気力の充実した時期をささげて研究に集中するわけだ。みんなが大胆に、新しい視界を切り開くことを願ってます。

まったく新しいプログラムの創成期に立ち会うことは、それだけでものすごく刺激的なことだ。これまでかたちをなしていなかったものが、一挙に凝縮し、熱を発する。興味のある人は、ぜひ2月の第2期を受験してください。

Friday 3 August 2007

音楽と交通

たまたま手にした小さな雑誌、「ぐるり」(ビレッジプレス)。300円という値段がかわいい。その6月号に、音楽家・港大尋のインタビューが載っていて、非常におもしろかった。聞き手は田川律。

港さんは1969年生まれ。ピアニストにしてサックス、ドラムスもこなし、「ソシエテ・コントル・レタ」で活動する。このバンド名はフランス語で「国家に抗する社会」。夭折したフランスの人類学者ピエール・クラストルの著書の名前だ。

ピアノをはじめた理由がおもしろい。「僕はドラムをやっていたんだけど高校生の時にジョン・コルトレーンをものすごく好きになって、サックス吹きっていいなあと思いながらも、ドラムとサックスを足して二で割るとピアノになる、という消極的な理由からピアノに進んだんです。ピアノはメロディも出るしリズムも出るし」。

この発想が、すでに常軌を逸している。それからグレン・グールドが大好きになり、「バッハの鍵盤曲は結構隅から隅まで弾き倒した」という。

現在の彼はブラームスからレゲエ、アフリカから沖縄までこなす幅の広さをもって、小中学校や聾学校でのワークショップ、日本語による自作のボサノバなど、すさまじい着想にあふれた活動をくりひろげているようだ。たとえばブラームスについて、こんな思いがけない発言が聞ける。

「ブラームスは本当にリズム的なアイデアがすごく豊かなんですよね。なんというか、バッハもモーツァルトもベートーベンもしなかったリズム・テクスチャーというのかな」。

ここで注目したいのは、ベートーベンにしてもブラームスにしても、黒人音楽的なリズム感から影響をうけているという点。ブラームス本人がそれを意識していたかどうかはともかく「バッハは間接的には受けていると思いますよ。アフリカからスペインを経由してどんどん北上していくようなリズム感の流れってあるんですよね。バッハのピアノ曲にはものすごくアフリカのパーカッション的なリズムの曲がありますからね」。

そしてもうひとつ、鍵盤楽器の特殊性について。沖縄の伝統音楽の拍節感が「譜面にならない」ことに関して、彼はこういう。「ピアノというのはある意味で本当に重力の楽器なので」「ピアノ音楽というものは解決を求めるもの、不安定なものがあって安定にむかうもの」だそうだ。ところが沖縄では「全然重力の捉え方や感じ方が違うので、だからピアノと決定的に相容れない」。

キリスト教ではなくイスラムが多かったアフリカでも鍵盤はあまり流通しなかったようなのだが、「アメリカに連れてこられた黒人だってアフリカで育ってああいう打楽器を持っていた。そして、鍵盤に出会った時に生じた『じゃあ、これをどうしたらいいんだろう』というテンションの中から多分ブルースとかジャズが生まれてきたんだと思うんですよね」。

目を開かれることの連続だ。

ブラームスのアフリカ性。それこそ、いま計画中の「世界アフリカ研究所」の、大きな課題となる種子のひとつにちがいない。

大尋さんには、彼が中学生のころ、一度だけ会ったことがある。ぼくの友人の写真家・港千尋の、九歳下の弟なのだ。あれは虎ノ門、アクシス本社での、港くんの最初の写真展のときだった。大尋さんは覚えていないと思うが、いつか彼の演奏を聴きに行きたいと思っている。

Friday 27 July 2007

アブラゼミの羽化

夜の犬の散歩の途中で拾った2匹のアブラゼミの羽化が、いま進行中。網戸にとまらせておいたら、11時すぎに背中が割れているのに気づき、あとは体の小刻みなノッキングとともに少しずつ白い体がせりだしてくる。

頭の両脇や羽の緑がとてもきれい。若いキャベツの色に、ちょっと蛍光色がかった風味を加えた感じ。30分あまりですっかり外に出て、いまは羽が展開してゆくのを待っているようだ。

不思議なのは2匹のシンクロぶり。ほぼ同時に、羽化のプロセスをはじめ、終わろうとしている。なぜこんな同時性が? 

窓の外には満月に近づいてゆく月。毎晩、この時間帯が羽化の時間帯でもあるようだ。ということは、太陽が出たら飛べるようになることから逆算して、羽化をはじめる時間を見計らっているのか。

感動。

Wednesday 25 July 2007

みんなのギャラリー

ちょっとおもしろい展開。同僚の浜口稔さん(言語思想史、沖縄研究)の尽力により、明治大学生田図書館の一角にギャラリー的な空間を用意できそうだ。たとえばそこで月替りの写真展を開けるだろう、絵画展もできるだろう、アーティスト・トークも開けるし、農学部の人たちが育てている珍しい植物の展示だってできるかもしれない。コンピュータを使ったインタラクティヴな作品の体験だってできるし、簡単な演劇だってできるかも。

企画はいくらでもある。そうした場がなかったことのほうがむしろ不思議なくらい。そして大学の外の人たちにも見にきてもらえる、学生のみんなは思いがけないものにぶつかってびっくりする。授業と連動するかたちで、たとえば倉石信乃さんの「写真集を作る」ゼミの発表会や、ぼくの作文ゼミの朗読会だってできる。

忘れてはいけないのは、大学が試みの場だということ。

そこでは「お金の論理」とは無縁に、知識や表現を追求することができる。他では目にふれるチャンスのないものを見たり、聞くチャンスのない話を聞いたりすることは、大学という場の大きな社会的役割だ。

いいかえれば、この自由度を生かして、つねにいろいろな企画をしかけてゆくことが、ぼくら教師の側の義務だと思う。学生のみんなにとっては、4年間はあっというまにすぎる。われわれは、10年を見通して動くことができるし、そうするべきだ。

早ければ今年の後半から、いろいろな動きが出てくると思う。ここでも十分に広告してゆくつもりだが、要注目! そして「試み」を支持するという気持ちが少しでもあるなら、ぜひあれにもこれにも参加してほしい。

大学がおもしろい場になるかどうかは、すべてそこで生きる者たちの「試みの気持ち」にかかっている。

Tuesday 24 July 2007

『苦い砂糖』、キューバ

きょう(24日、月曜日)は、ワールドシネマ研究会の第2回。

旦敬介さん(明治大学法学部、ラテンアメリカ文学)をホストとして、亡命キューバ人のレオン・イチャソ監督による1996年作品(ドミニカ共和国)、『苦い砂糖』(Azúcar amarga)を見た。

90年代のキューバ、若者たちにはごくあたりまえの生活が許されない。末期症状を呈する熱帯社会主義の島国で、社会主義体制の優等生である兄はさきゆきのない未来にじっと耐え、はみだした弟はロックに人生を賭け、警官にめったうちにされ、絶望のあまりエイズ患者の血液をみずからに注射する。

兄弟の父親は精神科医だが、とても食っていけないので外国人観光客向けのホテルのバーでピアノを弾いている。これはすでに売春の一形態。

そして兄グスターボの恋人は、イタリア人の商店主に身をまかせ、やがては一家そろってできそこないみたいな筏でマイアミめざして出国する。

ポスト冷戦の世界構造の中、「観光」に対する「売春」以外に、貨幣経済に参加する方法のない島国の苦境が描かれる。

あからさまな反カストロ、反社会主義の作品だ。出国したキューバ人たちが集って作ったこのさびしいラヴ・ストーリーは、妙に公式的な断片のパッチワークのように見えながら、何か心に残るものがある。

驚くべきは、この映画が作られて十年以上経っても、まだカストロが生きていること! このカリスマ指導者が亡くなったとき、キューバはいったいどんな崩壊を生きることになるのだろう。

「石川直樹」という生き方

21日、土曜日。ディジタルコンテンツ学研究会第4回は、冒険家の石川直樹さんを講師にお招きした。

いやあ、強烈だった! 言葉を失った。彼のこれまでの足跡をたんたんと語ってもらっただけなのだが、そのスケールがあまりに度はずれている。

最初は2001年のチョモランマ登頂時のビデオから。カジュアルなビデオ映像の標高がどんどん高くなり、いつのまにか世界の頂点! 8848メートルの高みでも、たしかに平常時からの連続性が感じられて、そこにかえってすさまじい体験の強烈さを感じる。

おなじことが、2004年の、残念ながら失敗した熱気球による太平洋横断についてもいえる。通常の8倍の大きさの熱気球に神田道夫さんと二人、食料はカロリーメイトだけ。これでマイナス50度、60時間の飛行に挑んだ。

いわれてはっとしたのだが、時速220キロに達する冬のジェット気流に乗って太平洋をわたろうというこの計画、その気流に乗ってしまえば、自己推進力をもたない気球には、揺れもなく、風もないのだそうだ。

果てしない青の中にぽつんと浮かぶ、無音の青の永遠。

つづいて最近のプロジェクトである北極圏の写真集Polar や、現在準備中の、世界の洞窟絵画やネガティヴハンド(手の痕跡を記す)を追ったNew Dimension 関連の画像を見せてもらったが、北海道、オーストラリア、ノルウェイ、インド、バハ・カリフォルニア、ハワイ、アルジェリアと撮影を重ねていく石川さんの、まるで人類史を凝縮するかのようなスピードに、呆然。

だがそんな彼に、自分が「冒険」をしているという意識はない。冒険は植村直己さんで終わり、自分がやっているのはただの旅。そして日常と旅に区別はないのだと。

石川さんに関して真に感嘆するのは、その「フツーさ」だ。威圧的なところ、人目に立つところが、まったくない。ごく普通の若者が(彼は今年まだやっと30歳)、普通の格好で、惑星のどこにでも、人力を中心的手段として、出かけてゆく。

その普通さの恐るべき強度が、旅をするすべてのわれわれにつきつけられていた。

Monday 23 July 2007

アフリカ講座の終わり

やはり14日、明治大学リバティー・アカデミーでの連続講座「世界文化の旅・アフリカ編」が終わった。最終の第6回は全体のコーディネーターだった中村和恵さん(明治大学法学部・英語圏文学)。モスクワやメルボルンで育ち北海道や大阪でも暮らした天性のコズモポリタンにして、すごく繊細な感覚の詩人、また豪胆で爆笑的ユーモアをもつエッセイストでもある。

作文の授業の学生たちに、いつもお手本としてあげる書き手のひとりだ。

いろいろな話題が出たが、焦点はアフリカ世界のマジック。見せていただいた、コンゴの秘密結社の儀礼(もちろん現代)が強烈だった! そこで起きていることについては、ちょっと語れない。本当なのか? 一種の手品なのか? 

今回の連続講座は6人の講師のスタイルがそれぞれひどくちがって、受講者のみなさんにとってはとまどいもあっただろうし、期待はずれだったと考える人もいたにちがいない。でも最後までつきあってくださったみなさんには、たぶん思ってもみなかった視界が、たくさんの窓が開くみたいなかたちで開けたのではないかと思う。

今後、1年ばかりはかかるだろうが、この講座の内容をみんなで本にまとめていきたいと思うので、乞うご期待! そしてぼくもいちどは、足を踏み入れたことのないその大陸に行ってみる必要がありそうだ。

ユビキタス

7月14日(土)。東大で『ユビキタス・メディア、アジアからの転換』と題する大がかりな学会が開かれているが、他のことと重なって出席できない。特にドイツのフリードリヒ・キトラーの講演には行きたかったのだが、時間が合わず。それで土曜日の午前中、フランスの哲学者ベルナール・スティグレールおよびアメリカの人文学者(美術史と科学をつなぐ)バーバラ・スタフォードの講演だけのぞいてきた。

場所は安田講堂。思えば、中に入ったのははじめて。聴衆は思ったほどの人数ではなかったが、外国人の比率が高い。

スティグレールの講演は、人が過剰な外部記憶をかたつむりのように背負って移動するようになった時代、あれほど評判の悪かった「テロス」(目的)を見失えば、人は結局自分が何をやっているのかわからなくなってしまう、というような話だったのかと思う。つまり、ユビキタス化にむかう技術そのものは、毒にも薬にもなる。ヘヴィーに哲学的な話だったが、あまりピンとこなかった。

スタフォードのほうは、彼女ほどの大御所でも緊張するのか、最初は「あー、あー」という音をはさむことが多かったが、ヴィジュアルな素材を見せながら話がすすむと、さすがに調子が出てきた。ところが申し訳ないことに、前日の睡眠不足がたたってついうとうとするうちに、話の流れを完全に見失った! 疲れ果てて出る。

ひとりの講師が壇上で話をする「講演」というスタイルでは、どうしても壇上が「映像/音声」に還元され、奇妙な一人芝居を観客はだらりと見ているような感じになる。ここにはコール・アンド・リスポンス(アフリカ系の集会なら必ずある、話し手と聞き手のかけ声のやりとり)もない。しかも「講演」が、緻密になればなるほど、それはとても耳で聞いて理解できるようなものではない。

なんか、こういうのは、もういいや。

宗教学者ミルチャ・エリアーデの日記に、サルトルの有名な講演「実存主義とはユマニスムである」を聴いたときの記述があったのを思い出した。サルトルは何も見ずに、90分にわたって、水を一口飲むことすらなく、話しつづけたそうだ。それはすごい芸だけど、聴衆のどれだけがそれをうけとめられたのか。メルロ=ポンティの『哲学を讃えて』に収められているコレージュ・ド・フランスの就任講義は、さすがに哲学史全体を相手にするような壮大で濃密なテクストだが、読む方はそれを「書かれたテクスト」として遅れて体験することが、あらかじめ予定されていたようなものだろう。

1983年、ジャック・デリダの東京日仏学院での講演は、カフカの「掟の門」をめぐる有名なものだったけど、大学院生のぼくにはさっぱり追えなかった。本になって読んでもよくわからないんだから、あたりまえか。

もちろん、すごいレベルの言葉が(ただし本質的に「書き言葉」が)、その場で発せられ、うけとめられてゆくという経験だって、それはそれですばらしいものだろう。理解できないのは、自分が悪かった! とはいえ、まるで透明な膜によって壇上と聴衆が隔てられているような空間的配置や構成そのものが、何か根本的に興味をそぐ。

それで自分が関わる場合には、できるかぎり聴衆とのやりとりを気楽に活発にしたいと思うのだが、それもこっちが思っているだけでは、どうにもならない。

それでも、思想の、あるいは芸術の、単なる「観客」、単なる「消費者」にはなりたくないものだ。

Friday 20 July 2007

ザンジバル

19日、渋谷のCCレモンホール(つまり渋谷公会堂)でのコンサート、「ザンジバル島のターラブ」に行ってきた。アフリカ東海岸、タンザニアの島ザンジバルは、人口でいえばわずか100万人。けれどもアフリカ、アラブ、インド洋、ヨーロッパのすべての要素をもつ不思議な場所で、交易言語スワヒリ語の本場だ。

バンドの名はカルチャー・ミュージカル・クラブ(1958年結成)。アラブ、インド、ジプシーなどすべての音楽要素が渾然一体となった、とても奇妙な印象の音楽だった。エチオピアの風変わりなジャズを愛聴しているが、それにも通じるものがある。

95歳(推定)の女性歌手ビ・キドゥデの歌もすごかったが、ぼくが気に入ったのは一弦の手作りベース。箱に竿をたて、そこに紐をむすび、竿を倒せば音程が変わり、ひたすらびんびんと弾いてゆく。その間、足は箱の表面を蹴って拍子をとる。おもしろい。

ビ・キドゥデはアンコールでは自分の胸までの高さの太鼓にまたがり、それを叩きながら歌を披露してくれた。なんとまあ、お元気なおばあちゃん。

女性ダンサーふたりはやたらお尻を丸く振る、相当に卑猥なダンスを披露。笑いを誘っていた。

ザンジバルの人々は、顔立ちもブラックアフリカとインドの混血顔に見える。人間の混ざり方は、ほんとうにわけがわからない。

Thursday 19 July 2007

アフンルパル通信

札幌で古書店を開業した若き友人、吉成秀夫くんから、完成したばかりの「アフンルパル通信」第ii号が送られてきた。題字は現代日本最高の詩人、吉増剛造さん。お店の通信でもあり、驚くべき創造性に富んだアート系パンフレットでもある。この衝撃は、たぶん、現物を見てもらわなくては伝わらない。

彼のお店のホームページ

http://camenosima.com/


にアクセスしてみてください。

吉成くんのご好意で、ぼくはこの号から毎回、詩の連載をさせてもらうことに。他には文化人類学者・今福龍太さんの詩と韓国からの留学生である千姉弟によるその韓国語訳、樺太アイヌの伝統楽器であるトンコリの奏者オキさんのエッセー、フランス現代思想の鋭利な解説者としてぼくらの世代の人間には大きな影響力のあった宇波彰先生の文章、若き翻訳家でエッセイストの南映子さんのメキシコ話。そして在本弥生さんの写真が表紙を飾る。

わずか16ページ、A4二つ折りの版型の小冊子だが、このソウルはすごい!

整理したい古書がある人は、ぜひ吉成くんにご相談あれ。

La Troupe Makandal

13日の金曜日、ハイチのパーカッションと舞踊のグループ、マカンダルの公演を見てきた、というか、参加してきた。場所は草月ホール。マカンダルとは18世紀ハイチの黒人反乱の指導者。けものに姿を変えて神出鬼没、支配者である白人たちを恐怖のどんぞこに陥れたとされる人物だ。

グループは1973年にハイチの首都ポル=オ=プランスで結成され、81年にニューヨークに拠点を移した。ヴォドゥ教の儀礼をモチーフにしたパフォーマンスのショー。開演前、舞台に作られたヴォドゥのおどろおどろしい祭壇や舞台中央の柱(ポトー・ミタン、神の依り代にして宇宙樹、大蛇がまきついている)にびっくり。

最前列に陣取っていたため、出演の機会が多かった! リーダーのフリズネル・オーギュスタンが叩く太鼓を、誘われて叩かせてもらい、ついでトランスに入った(ふりをしている)女司祭の洗礼儀式(バラの花やハーブを水の入った桶でもみつぶし、その水でこちらの顔や髪や体を洗ってくれる)のために舞台上へ。さらに、死神バロン・サムディ(土曜日男爵)のお通夜のパフォーマンスでは、顔を白く塗られ盛装でよこたわっているバロンが組んだ両手に、こちらの小指をからめて握手し、バロンの復活を願うという仕草もやらされた。それからしばらく舞台上で踊っていたため、出演時間はのべ5分以上。何をやってるんだか。

おかげで、舞台を見にきていた友人・小沼純一さん(音楽評論)が発見してくれて、終了後は一緒にみんなで乾杯。まずは嘘っぽくも楽しい「東京の夏」ハイチ篇でした。

今回の公演には、ハイチのことをずっと追っている写真家の佐藤文則さんが関わっているらしい。8年ほどまえに初めてお目にかかった佐藤さんには、この日はお会いできなかったが、彼は明治の文学部出身。「世界最初の黒人独立国」にして「西半球最貧国」である島国ハイチのことを、もう四半世紀にわたって追ってきた人だ。明治のみんなにはぜひ注目しておいてほしいセンパイの一人。

マカンダルのショーはまさに「ショー」だったが、それでもいろんなことを考えさせてくれる。これを「世界史」への糸口として最大限に使えるかどうかは、その観客だったこちらの心がまえにかかっているんだろう。

ハイチ! かつて一度だけ訪れたその国のことは、いつかまた書くことにしよう。

Friday 13 July 2007

アイスランドへの接近

11日、台場の日本科学未来館でのヨハン・ヨハンソンのコンサートに行ってきた。アイスランドのキーボード奏者。今回はパーカッション・プログラマーとチェロ奏者とのトリオ編成で、耳になじみやすいフレーズがくりかえされる曲を90分にわたって演奏。ちょっとデジタルな反復が退屈だったが、その分、生のチェロの響きが印象に残る。

ただし会場はあまりよくない。外の明かりが、特によくない。頭上には「ジオ・コスモス」という巨大な地球儀があり、それはおもしろいのだが、舞台の背景として映し出される映像作品の曖昧さは、あまりおもしろいとは思わなかった。あまりにも見えにくい。

特筆すべきは「霧の彫刻家」中谷芙二子さんによる、微細なミストの吹き込み。ときおり、ステージも客席も霧に包まれ、でもさして濡れるわけではなく、幽玄な雰囲気が漂う。

中谷さんは「雪博士」にして名エッセイストとして知られた物理学者、中谷宇吉郎の娘さん。この人工の霧により、すべてが救われた感じだった。途中のテクニカルなトラブルによる中断も含めて!

ともあれ、以前から抱いているアイスランドへの興味が、かきたてられたのは事実。世界に行きたいところはいろいろあるけれど、いまはニュージーランドとアイスランドに行ければそれでいい。

Sunday 8 July 2007

第4回ディジタルコンテンツ学研究会のお知らせ

第4回 ディジタルコンテンツ学研究会を、以下のように開催いたします。

日時 7月21日(土)午前10時から正午まで
場所 明治大学秋葉原サテライトキャンパス
講師 石川直樹さん(冒険家・写真家)

石川さんは1977年生まれ。現代日本の最先端の冒険家であり写真家です。2000年の北極点から南極点への人力踏破につづき、2001年には七大陸最高峰登頂を達成(当時、最年少)。一方で太平洋の伝統的航海術を学び、熱気球による太平洋横断に挑むなど、まちがいなく誰よりも広い視点から、この地球という星とヒトの居住パターンを見つめている視線の持ち主です。

この間、みずからの体験をインターネットを通じて、場合によってはリアルタイムで積極的に分ち合うという、旧来の冒険家とは完全に一線を画したスタイルを確立してきました。

今回の研究会では、最近の活動について自由にお話しいただきますが、新しいディジタル・テクノロジーと環境、そして旅、またご自身にとっての<写真>の意味などについても、人を不意打ちする斬新な視点からの発言がうかがえるものと思います。

石川さんのお仕事の詳細については、以下の公式ホームページをごらんください。

http://www.straightree.com/

ぜひお誘い合わせの上、ご参加いただけることを、切望しております。

なお、秋葉原サテライトキャンパスは秋葉原駅(電気街口)前のダイビル6階です。

早くも七夕

今週は、今週も、あわただしかった。こなさなくてはならない仕事が多かったが、その一方で、充実した時間にも恵まれた。土曜日の夜を迎えて、ほっとしているところ。

まず火曜日(3日)には、ニューヨーク在住の写真家トヨダヒトシさんのスライドショーを、明治大学生田キャンパスのメディアホールで開催。彼の初期作品「ゾウノシッポ」3部作。ひさびさに再見し、無言で展開されてゆく彼のニューヨーク暮らしの細部とその「とりかえしのつかなさ」の感覚に、深く感動。前回は数年前に新宿のphotographers' galleryのごく小さな部屋で見たのだが、上映の場所によりずいぶん印象が違う。またスライドの何枚かは入れ替えられているようだ。

写真家の藤部明子さんや翻訳家でトヨダさんのデビュー前からの友人である北折智子さんなども見にきてくれて、大学のキャンパスとしては異例の、アーティスト濃度の高い空間になった。こうしたイベントは、これからも仕掛けていきたい。

水曜日(4日)にはフランスの作家シルヴィー・ジェルマンさんに会いにゆく。本郷の旅館(なぜか外国人作家の多くが滞在する)に彼女を訪ね、初対面なのに2時間近く話しこんでしまう。哲学博士で、ものすごい教養の持ち主だが、そんなことはぜんぜん顔には書かれていない。ユーモアと、野うさぎのように機敏な精神が感じられる、すばらしい人だった。金曜の対談の打ち合わせをして別れる。

そしていよいよ金曜日(6日)。授業についで大学院の学内選考。それからあわただしく飯田橋の日仏学院にむかう。7時からの対談には60名くらいの聴衆が集まってくれて、まずまず。対談は前半を「旅とエレメンツ」、後半を「『マグヌス』を読む」という構成に。前半では人が旅をして出会わずにはいられない、それぞれの土地の自然の要素について、いくつかのキーワードを投げかけながら自由に話してもらった。太陽について、月について、風について、砂漠について。彼女が子供時代に体験した皆既日食の話が印象的。

後半では『マグヌス』という謎めいた作品について、みなさんからの質問に作家が答えた。アイデンティティの探求といえば話は早いが、この小説は探求すればするほど自分がわからなくなるという、逆のベクトルをもっている。活発な質疑応答で、ジェルマンさんのシャルマント(チャーミング)な性格もよくうかがえる、楽しいひとときだった。

この作品は「高校生ゴンクール賞」(高校生が選ぶ)を受賞しているが、終了後の雑談で「こういう試みは日本ではできないよね」と話していると、訳者の辻由美さんが現地で実際に立ち会った経験から、フランスの高校の先生たちの「やる気」について教えてくださった。ちょうど大学の非常勤講師や都立高校の先生といった友人たちと一緒だったのがよかった。結論は、「学校がつまらないのは100パーセント教師のせい」ということ。いくらでもできること、新しい試みはありうる。そして生徒の全員が興味をもたないことでも、必ず何人かはひっかかってくる子がいるはず。

それだって、創造の一形態なのだ。

そしてきょうは明治大学リバティーアカデミーの連続講座「世界文化の旅・アフリカ編」の第5回。30代のころ、アフリカとブラジルを行ったり来たりして暮らしていた翻訳家の旦敬介さん(明治大学法学部)が、東アフリカの主食ともいえる、トウモロコシの粉を練ってシチューやカレーにつけて食べる料理を、をその場で作りごちそうしてくれた。これには受講生のみなさんもおおよろこび! なんとも楽しいひとときだった。

今回の講座は、何よりも講師のチームにとって大きな刺激になっている。それぞれの貧しい知識をもちよって話し、確認し、まちがいを正し、また新たな視界を得る。

ヒューマニティーズ(人文学)の道は、孤独なものではありえない。それはつねに協同であり、だれもいないところで一人でやっているときでさえ、自分は大きな輪の一環、つねに他の人々の認識と知識がかたわらにある。この道を、これからもしばらくは、真剣に歩んでいきたいものだ。

Thursday 5 July 2007

「吉原家の130年」

「新潟日報」の7月2日号に、「吉原家の130年」をめぐる拙文が掲載された。ご希望の方にはコピーをさしあげます。いつでも研究室に寄ってください。

新潟県新発田市に、すでに130年続いた「吉原写真館」がある。その6代目の悠博さんはもともと画家、メディアアーティストとして活躍していた方だが、2001年9月のニューヨークのテロなどいくつかの機縁が重なって、新発田に帰り家業の「町の写真館」をやってゆく決意をした。

もちろん、ただの写真館ではない。海外の最先端のミュージシャンのミニ・コンサートや、芸術による町の活性化、ネットワーク作りなどに力をつくしている。また肖像写真専用のデジタルカメラも作成。世界に一台しかないアンソニー・デジタルカメラだ。

ぼくの記事は彼の写真展/映像作品である「吉原家の130年」をめぐる紹介文。同世代の彼の活動に、大きな刺激を受けることができて、幸運だった。

アート、創造、社会、生き方、土地、町、歴史、家系。そうしたすべてがぐるぐると頭の中で渦巻く。

アートとは、生きることをおもしろく楽しくする(自分にとっても、まわりの人々にとっても)ことであり、それは社会全体の問題をつねに視野に入れて「生存を図る」ことなのだと思う。

Tuesday 3 July 2007

シルヴィー・ジェルマンとの対話

こんどは、ぼく自身のイベント。

7月6日(金)、飯田橋の東京日仏学院にて、フランスの小説家シルヴィー・ジェルマンさんと公開対談をおこなう。彼女は「高校生ゴンクール賞」を受賞した傑作『マグヌス』だけが翻訳されているが、他にもフェミナ賞、ジャン・ジオノ賞などさまざまな賞をとりまくっている、現代フランスのもっとも実力ある作家のひとりだ。

哲学者で、「顔」の哲学者エマニュエル・レヴィナスの弟子。長らくプラハに住んだ。真剣なカトリックの思想家でもあり、現代における「悪」や「信仰」をめぐる、きわめて深い洞察を平易で驚きにみちた言葉で語ってくれる。稀有の存在。

都合がつく人はぜひ『マグヌス』(辻由美訳、みすず書房)を読んで、6日の午後7時、日仏学院にどうぞ! 主題は「旅と発見」を予定している。

藤部明子作品展 「ヒカリバ」

もうひとつ写真展のお知らせ。

サンフランシスコのアパートメントホテルの住人たちを撮影した『The Hotel Upstairs』、およびオランダの初老のアーカイヴィスト=アーティストの日常を追った『Memoraphilia』という、あまりにも美しい2冊の写真集で知られる実力派の写真家、藤部明子さんの新作展が、来週からツァイト・フォトサロンではじまる。

http://www.zeit-foto.com/exhibition/next.html

タイトルは「ヒカリバ」。おそらく、「光の葉」であり「光の場」なのだろう。あるいは、「火/狩り場」かもしれないし、あるいは日本語ではぜんぜんなく、アフリカのどこかの言語かもしれない。

藤部さんの写真、プリントの色彩の美しさにいつもはっとさせられる。完璧主義者の仕事とはこういうものかと思う。

ぜひ見てください。

トヨダヒトシさん新作情報

いよいよ明日7月3日、明治大学生田キャンパスにトヨダヒトシさんをおむかえする。静謐で濃厚な時間が約束されている。

そのトヨダさんの新作情報が、タカイシイ・ギャラリーのページに掲載された。

http://www.takaishiigallery.com/news/SPOONFULRIVER/japanese.html


この夏の数度にわたるスライド上映会、ぜひどれかに足を運んでみてほしい。そのみずみずしい情感に、驚き、また深く胸をつかれるはずだ。

第3回DC研 avec 徳井直生!

6月30日、土曜日、第3回のディジタルコンテンツ学研究会を開催した。スピーカーは工学博士にしてDJの徳井直生さん。わが同僚、宮下芳明さんの高校時代の同級生。お話は多岐にわたったが、じつに爽快だった。ぼく自身(1958年生まれ)とは半世代以上ちがう(宮下さんと徳井さんは1976年生まれ)世代の中に、確実にこれまでなかったタイプの知性が生まれているのを実感し、こっちもやる気がわいてきた。

徳井さんのお仕事については

http://www.sonasphere.com/blog/

を参照のこと。

徳井さんは国際メディア研究財団の研究員だが、昨年までは2年間、パリで活動していた。今回は彼のお仕事から、Phonethica および i Mashup そして Sonasphere という3つのプロジェクトを例にとり、ディジタルメディアにおける創造の(そこには集団性が大きく関わってくる)可能性について、説得力のあるかたちで解説していただくことができた。

ぼくが特におもしろかったのは、完全なインターネット世代であるかれらの中から、埋もれたもの、忘れられたものに対するまなざし、そして製作者を英雄視せずできるかぎりのものを共有してゆこうとする倫理が芽生えている点だ。

もちろん、トランスリングァル(間言語的)なパン(音の類似)や、複数のストーリーラインの並行、あるいは個を離れた集団制作といった問題は、20世紀文学がとことん考え抜いてきたことだ。そうした発想自体には驚きはない。けれども最大の驚きは、そうした発想を実践に移すにあたっての徹底した平等主義、というか特権の放棄が、ディジタルメディアによって可能になっている点だ。

徳井さんは「危機言語の復権」や「ロングテールの尻尾のほうの浮上」といった問題を重視する。ぼくにもそれはぜひ支持したい動きで、実際、翻訳者としての自分自身のこれまでの活動のある側面(ひとことでいって「小さな場所で小さな言語で書かれる小さな文学の可視化への戦いの支援」)を、これからも進めていこうという決意を新たにすることができた。

彼の活動に、これからも注目していこう。

Friday 22 June 2007

トヨダヒトシ・スライド上映会

ニューヨーク在住の写真家トヨダヒトシさんのスライド上映会を開催いたします。

7月3日(火)10時30分〜12時
明治大学生田キャンパス中央校舎6階メディアホールにて

明治大学理工学部の倉石信乃さん(美術史/写真史)のゼミの時間を使っての上映会です。

生田キャンパスは小田急線生田駅下車徒歩10分。あるいは向ケ丘遊園前駅下車タクシーで10分。

スライド上映会という性質上、時間厳守でお願いいたします。途中入場はできません。

トヨダさんは作品の発表をスライドという形式に限っており、写真集などはいっさい出していません。白い壁に光の紋様が映り、終われば消えてゆく。その場かぎりのはかなさの共有の限りない美しさを、ぜひ体験してください。

当日はカフカの誕生日。孤独と孤高の意味を考え直す、いい機会になるでしょう。

Wednesday 20 June 2007

視覚の専制を許すな

このところ1、2年生むけの「作文ゼミ」を教えているのだが、この数年とみに増えた「妙な書き間違い」に非常に気持ちの悪い思いをしていた。原稿は手書きで提出するというルールを作った。ところが簡単な漢字に代えて、「うそ字」を書く。ワープロの変換まちがいみたいな誤字誤用を平気でする。ユーモアをめざしているとも思えない場面で、ひらがなばかりになってゆく。

問題はワープロに慣れ切った作文態度にあるんだろうなとは思っていたが、まさにそのとおり。身体技法としての「文字を書く能力」が、著しく低下している。

それがじつは「視覚の専制」でもあることに気づかされて、はっとした。ワープロでは文字選択を目で確認し、イエスかノーかを伝えれば、それで話はおしまい。ひとつひとつの文字を書き上げるときの緊張、抵抗感、手の運動、どれも関わってこない。文字の細部も見ていない。問題は、こうしたことをつづけていると、人間が確実にバカになってゆくということだ。総合的な技術としての筆記が、視覚の判断に還元される。すると文にも、「身が入らない」。

そんなことを改めて思ったきっかけは、ひとりの建築家の作品集にあることばだった。千葉学の『Rule of the Site』。建築の設計における「身体」から「視覚」への転換を論じて、千葉はこう書く。

「僕たちが行なっているのは、じっと座って指先をかすかに動かすことだけだ。視覚に頼る比重が増えている。(中略)これはちょうど、ワープロで文章を書くようになって、漢字は読めるけど、実際に書くことがでいないという状況が生まれてきていることと似ている。手が覚えていることが筆跡ではなくて、マウスをクリックすることになっているということだ。/この視覚に頼った身体を受け入れつつも、そこにもう一度動き回る身体を重ね合わせてみる。身体が、視覚に頼り切ってしまっているからこそ、視覚も、そして動き回る感覚も顕在化してくるのではないか」

なるほど、と思った。視覚の比重が強くなり、それにしたがってわれわれの意識や判断力が変化するのは仕方ない。でもそこにまた、動き回る感覚をもういちど入れたい。それにより視覚の専制にチェックをかけたい。そうしなければ、われわれは十分生きているとはいえない。そういう考えに、ぼくも賛成だ。

ヴァーチャル空間での判断が現実の生活空間に影響を与えるようになればなるだけ、有機物としての自分の体の「うろつき」に判断を委ねよう、それに決定権を返そう、とする動きも出てくる。映像は世界についてめちゃくちゃに多くを教えてくれるが、それは「現実」とは一種の皮膜で隔てられている。そしてこの現実の、信じがたいほどの情報量には、視覚だけではとても対処できない。この身体を、また動かせ。建築というジャンルは、そんなメッセージを発しているようだ。

Monday 18 June 2007

Grizzly Man

見逃していた『グリズリー・マン』(2005年)を見た。ドイツの映画監督ヴェルナー・ヘルツォークのドキュメンタリー。ところがドキュメンタリーといっても、これ以上ありえない題材を得た、ヘルツォークのこれまでの作品との驚くべき一貫性をもつ傑作に仕上がっている。

アラスカでグリズリー保護の運動にひとりたずさわり、最後にはグリズリーに食われて死んだ男が残した膨大なビデオ映像を編集しつつ、ごく平均的な(なりそこないの俳優、でも一方で善意にあふれた)アメリカ男の挫折と夢、狂気に傾いてゆく執着、ゆがんだ、けれども一笑に付すことのできない世界観、そして息を呑むほど美しい光景を提示してゆく。

死んだティモシーが残したアラスカの自然の映像は、どんなにすごいシネマトグラファー(撮影監督)でも撮れないようなすさまじい美しさ。そして監督自身の訛った英語の淡々としたナレーションともに、できあがった作品はヘルツォーク自身の「世界」に対する関わり方をこの上なくよくしめすものになっている。

おなじく熊に食われたといっても、あの理知的だった動物写真家の星野道夫さんとはまるでちがうタイプの、愚かな狂気。ばかげた、もろい思い込み。でもその愚かさが、じわりと、深くから、こちらの生き方を揺さぶる。

こうして見ると、ヘルツォークと小説家ブルース・チャトウィンの想像力の親和性(「極端なやつら」にとりつかれていた)も改めて浮かび上がってくる。先日の「ワールドシネマ研究会」でとりあげた『コブラ・ヴェルデ』の原作者のこと。

それにしてもきょうもいい天気だった。ここまでの空梅雨とは、怖くなる。水量が少ないと鮭が遡上しない。食料が足りず、熊が荒れる、小熊が食われる。ティモシーが泣き叫ぶ。お天気はただちに狂気にむすびつき、狂気はただちに生存の問題にむすびつくことを、思わずにはいられない。

来年度の大学院授業「映像文化論」は作家(監督)研究になると思うが、その有力候補のひとりが、このヘルツォーク。ひとりの監督の作品をくりかえし見ることで学べることが、いずれにせよ焦点になるだろう。

メディア教育(新聞編)

きょうの朝日新聞で紹介されていたのが、長崎大学の「ガラパゴス諸島画像データベース」(http://gallery.lb.nagasaki-u.ac.jp/galapagos)。長崎大学付属図書館が作成したもので、植物生態学者の伊藤秀三名誉教授が1964年以降に撮影した1360枚の画像を収録したのだという。

動植物の名、撮影年代、地点から写真を見て、各地の生態系の明らかな変化を見ることができる。ディジタル・アーカイヴの試みとして、まとまった成果だと思う。さて、あとは、こうしたデータがどんな風に生かされていくかだ。今後さまざまなアーカイヴは急速に拡大してゆくと思うが、それによって共有されることになる知識が、たとえば「すでに絶滅した動植物」「すでに失われた風景や習俗」ばかりになっては、あまりにむなしい。

どうしようか。アーカイヴを作るということがもう一歩先の責任にむすびついてゆくことを、これからはだれも避けることができない。それがどんなに遠い土地の、どんなにささやかな問題に関することであっても。

Sunday 17 June 2007

メディア教育(テレビ編)

いつかも書いたとおり、ぼくはほとんどテレビを観ない。テレビ番組の大部分は、情報の集約度が低くてまどろっこしいし、美しくないからだ。だがきょうは疲れていて、夜しばらくテレビに見入ってしまった。

まず『世界ウルルン滞在記』。きょうはタヒチ。『ウルルン』は看板だった相田翔子が消えて(別に彼女ひとりの番組でもなかったのに)すっかりおもしろくなくなったが、あまりのセッティングの美しさに、最後まで見てしまう。タヒチの中でも離れ島に、初老の夫婦だけが暮らしている。そこに18歳の女の子が泊まりにいった。

考えられない生活だ。ぼくがタヒチを訪れたのは15年前、昨年は『フランス領ポリネシア』(白水社)という翻訳も出した。ずっと興味をもっている。でも白いオオアジサシの羽が、快晴の日、青く染まって見えることまでは知らなかった! 海の青は空の青の反映だ。それがさらに鳥の翼に映り、青く染める。信じがたい美しさ。現実に見たい。

ついで11時、見るつもりもないままに『宇宙船地球号』。きょうは沖縄本島北部、ヤンバルの固有種の生存をおびやかすマングースの駆除に導入された犬の話。ジャーマンシェパードを、琉球大学の女子学生が訓練している。モデルはニュージーランドのプレデター・ドッグたち。特定種を探し当てるように訓練され、それを罠で狙い撃ちする。

マングースは明治末期にハブの駆除のためにインドから導入された種。それをいま捕獲するとはヒトの勝手な都合でしかないが、ヤンバルクイナをはじめ格好の餌食になる種がこれだけ絶滅の危機にさらされては、いかんともしがたい。

ついで11時半、『世界遺産』。きょうはイギリスの奴隷貿易港だったリヴァプールだ。今年はおりしもイギリスの奴隷貿易廃止二百周年だったそうだが、その二百年はあまりに短かった。19世紀、20世紀のヨーロッパ諸国の圧倒的なゆたかさの背景は奴隷貿易であり、その後はアフリカの富(特に地下資源)のほしいままの略奪だった。現在のアフリカが、なぜあそこまで破綻した社会になり、あれだけの人々が飢えているのか。その咎はすべてイギリス、フランスをはじめとするヨーロッパ諸国にある。これは歴然たる事実。

結局、過去五百年の世界は、ヨーロッパが他の地域の富を奪い、固有の文化を破壊するかたちで進行してきた。それをいかに相対化し、生き方を変えてゆくかを考えない限り、文化研究にはなんの意味もない。「経済」原理やそれに奉仕する調停の一形式としての「政治」を、根本から批判できる視点は「文化」が教える。

ところで、学生たちと話していて、かれらはスイスやベルギーの高級チョコレートが、原材料からそれぞれスイスやベルギーでできると思いこんでいるのに愕然としたことがある。チョコレートひとつとっても、アメリカスとアフリカとヨーロッパががんじがらめに結びつく植民地主義の問題であることは、ことあるごとにくりかえさなくてはならないのだろう。

Saturday 16 June 2007

きょうはブルームズデイ

6月16日はブルームズデイ。アイルランドの作家ジェイムズ・ジョイスを敬愛するすべての人々が世界中で祝杯をあげる特別な一日だ。

ブルームとはジョイスの代表作『ユリシーズ』の登場人物、裏の主人公、中年のユダヤ人。この作品は1904年6月16日の一日に起きたできごとを、ダブリンの街を舞台に記している。故郷を離れたジョイスが記憶をたよりに再現してゆくダブリンが、いつしか神話のギリシャ多島海に変わり、主人公スティーヴンとブルームの小さな遍歴が多重的な意味をおびはじめる。

2003年のこの日、沖縄市で、文化人類学者の今福龍太さんが主催した「多言語で読むユリシーズ」のイベントに、ぼくも参加した。すでにいろいろな言語に訳されているこの20世紀文学の傑作を、できるだけ多くの言語で朗読し、その音の響きを楽しむという趣向。そのときはぼくはフランス語訳の朗読を担当。ラップ調のリズムによって、2ページあまりのパフォーマンスを行なった。

傑作だったのは、映画監督・金昇龍による大阪弁訳、翻訳家の浅野卓夫によるコロニア語(ブラジル日系コミュニティ語)訳、そして詩人・高良勉による沖縄語訳。ドイツ語訳、ロシア語訳、スペイン語訳などと並んで、ジョイスが体現する多言語空間を反響させる、楽しい一夜だった。

今年は札幌で、ブルームズデイのイベントが企画されている。

http://diary.camenosima.com/

古書店・書肆吉成が発行する「アフンルパル通信」に寄稿したぼくの詩が朗読される予定。参加できないのは残念だけど、こうして声をその場に「寄せる」ことができるのは、ほんとうにうれしいことだ。

すべてはジョイスの撒いた種子だと思うと、この流浪のアイルランド作家の偉大さが、改めてしのばれる。

「東京の夏」音楽祭

今年も「東京の夏」の季節。毎年かならずいくつか、すばらしい経験を準備してくれる音楽祭だ。今年も東京にいながらにしてシチリア、アイスランド、ザンジバル、キューバ、小笠原などの音楽をたっぷり堪能できるが、7月は期末試験の季節、さらにいくつかの仕事が重なるため、いくつかは断念しなくてはならないのが辛い。

でも絶対に欠かせないのは、ハイチ、ヴォドゥ教の儀礼音楽。以前にブラジルのカンドンブレ(やはり西アフリカ系の民俗信仰)の舞踊をみたおなじ舞台(草月ホール)で。これはほんとに楽しみだ。

4800円のチケットは、ひどく安いと思う。だってハイチに行くことを考えるなら! まちがいなく空前絶後の機会(だれかが東京でヴォドゥの祭祀場をはじめないかぎりは)。<アフリカ>に関わるものにちょっとでも興味のある人には、心からお勧めします。ヒップホップやレゲエの好きなみんなも、ぜひこの際、見てくれ。

Thursday 14 June 2007

第3回ディジタルコンテンツ学研究会のお知らせ

第1回に赤間啓之さん(思想史/資料体分析、東工大)、第2回に前田圭蔵さん(パフォーミングアーツ・プロデューサー、カンバセーション取締役)をお迎えして開催したDC研、第3回を梅雨空の下、以下のように開催いたします。ご興味のある方はぜひ、お誘い合わせの上ご参加ください!

日時 6月30日(土)午前10時から正午まで
場所 秋葉原ダイビル6F 明治大学サテライトキャンパス
ゲスト 徳井直生さん(国際メディア研究財団研究員)

1976 年、石川県生まれ。2004 年に「生成的ヒューマン=コンピュータインタラクションに関する研究」で東京大学工学系研究科で博士号を取得。対話型音楽システム「Sonasphere 」を開発し、DJとしてもパフォーマンスや作品を発表。

2004-2005 年にかけてはSonyコンピュータサイエンス研究所パリ客員研究員として、ネットワークを用いた音楽システムの研究開発を行なう。パリ国際大学都市レジデントアーティストを経て、現在は国際メディア研究財団研究員、および東京藝術大学/東京工芸大学/長岡造形大学非常勤講師をつとめておられます。

異言語間の偶然的音声連鎖で世界を探索するシステムPhonethica、および"An Artifact formerly known as Music"なる新しい音楽の享受システムを開発中。

Wednesday 13 June 2007

移動しました

先月開設したばかりの The Digital Tarokaja から、ブログをこちらに移動することにしました。日本の伝統芸能の世界はいまでも強く続いているわけですから、そんな中「タロカジャ」の名を借用することをちょっと考え直して。

(旧ブログは http://thedigitaltarokaja.blogspot.com/ )

ではともあれ、これからはここで! きょうはいいお天気でした。明日は雨でしょうか。